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2020年10月18日 (日)

日本学術会議問題

 日本学術会議問題に関しては、もちろん研究者の一人としてずっと注視してきていますし、直接ではありませんが、関連する学会を通して、政府への抗議と撤回を求める活動を後押ししてきています。もちろん今の学術会議に関してはいろいろと問題もありますが、まず、首相の任命拒否は許されるものではありません。

 まず法的に、政府の解釈が無理であることは確実です。推薦に基づいて任命することになっており、その解釈はかつての中曽根首相の国会答弁ではっきりと、政府側に任命を拒否することはないという解釈が明確化しています。もちろん法解釈はある程度の幅があるものですが、国会答弁による解釈は確定したものであり、それを変更するのであれば、きちんと説明し、国会で議論する必要があります。先の検察官の定年延長とまったく同じ法律無視です。そうであれば、憲法の天皇の国事行為に関しても、「国会の指名に基づいて」総理大臣を任命するのであるのも、「基づく」と言ってもそれに従う義務はないということになります。

 菅首相は、公務員だから国民から委任された首相が決めるのは当然だと言っていますが、これもおかしなことです。国民が選んだのは国会議員であり、国会で議論するというのならばまだしも、首相はあくまでも行政府の長ですので、単純に国民の代表とは言えないはずです。

 そのことを前提としたうえで、学術会議のあり方が議論されるのは、よいことだと思います。まず、学術会議と言っても、多くの研究者は詳しいことを知りません。私も関連する学会の理事会などで報告があり、それについての議論があるので、その範囲では多少その活動を知ってはいます。会員は前会員の推薦ということになっていますが、実際には規模の大きな学会が基盤となっていますので、学会活動と密接に関係しています。

 ただ、学術会議に関することは理事会で諮られるので、一般の会員にはそれほど知られません。また、規模の小さな学会は会員を出していないので、直接かかわりを持ちません。学術会議は大きな組織で、雑な構造になっていますので、会員でなければ、まず詳しいことは分かりません。大学の准教授の方が、自分は関係ないとSNSで書いて炎上したということですが、それは無理もないところがあります。

 学術会議が設けられたのは戦後で、戦争への反省が大きく、研究者の平和への貢献ということが意識されていました。当初は政府との関係も良好でしたが、再軍備が進む中で、学術会議が次第に政府にとって厄介な存在になってきました。その間に制度を改定して、政府に批判的な勢力を弱めようとしましたが、うまくいきませんでした。とりわけ近年は、軍事研究に対して学術会議が待ったをかけているのが、ずっと政府側の不満でした。それが伏線となっています。

 このように、学術会議は政治と密接に関わりますが、重要なことは、政治的立場を離れて、学術研究の立場に立つということです。その立場から、政府への提言だけでなく、新しい研究の推進を行なっています。学術会議のHPを見れば、たびたび数多くのシンポジウムを開催していることが知られます。ただ、あまりに多いので、ルーティン化して、埋没してしまうところがあります。私も二度ほどシンポに登壇したことがありますが、その場限りで、記録を残すわけでもなく、どれだけの意味があったのか、疑問のところもあります。

 とは言え、学術会議の意義を否定するわけではありません。大事なことは政治に左右されず、あくまでも学術研究の立場から、さまざまな問題に対して、学術研究の方向性を定め、必要があれば、政府の政策にも対応していくことです。軍事研究の問題だけでなく、環境問題、生命倫理問題など、研究者がどのような態度をとるべきかが問われる問題は少なくありません。それに対して、基本的な方向を決める役割が学術会議に課せられています。

 今回の政府の人事介入に対して、学問の自由の侵害だという批判がなされましたが、古典的な意味での「学問の自由」は今日では疑問を付されており、そのような主張は必ずしも適切ではありません。むしろ、軍事研究を推進する立場からは、学術会議こそが学問の自由を奪っているという批判がなされています。確かにその通りだと思います。しかし、今日、そのような無制限の「学問の自由」はありません。学問は自由だから何を研究しても構わない、ということであれば、遺伝子操作でも、環境破壊でも、核兵器開発でも、何でも自由になってしまいます。それは今日許されないことです。

 そうではなく、大事なのは学問の自律性ということではないかと思います。政治的な判断を学問研究の中に持ち込むべきではありません。研究者自身の自律性に基づいて、方針を決めなければなりません。それは何でも自由というのではなく、それこそ、「総合的、俯瞰的」でなければなりません。もちろん、今日では、すべてを見通せるような「総合的、俯瞰的」な立場などありえませんが、一つの立場だけでなく、複合的な立場から物事を見ていくことは可能ですし、そうしなければなりません。さまざまな分野の専門家によって、複合的な立場から、学術研究の方向性をつけていくことは不可欠ですし、そこに外から政治を持ち込むことは許されません。

 従って、原則としては学術会議の自律性を保つべきだということは前提になります。その上で、どのように改革していくかは十分に議論すべきでしょう。政府から切り離して、独立法人化するというのも一つの方法でしょう。それ以前に、もっと広報活動をしっかりして、それぞれの学会の活動と結びつけていくことが必要でしょう。学術研究をどのような方向に向けようとしているか、それを学術会議の中だけでなく、研究者全体の共有にして、議論を深めなければなりません。

 政府の狙いは、今後ますます学術研究への介入を深めることにあります。一部の報道では、東大を完全民営化するということももくろんでいるとあります。それよりも、あり得るのは次には科学研究費の助成にクレームを付けることでしょう。以前にも、自民党から、政府の方針に反する研究に助成金を出すのはおかしいという議論が出されました。菅首相の論理からすれば、国民の税金を支出しているが科学研究費を使って、国民を代表する政府に反するのは認められない、ということになるでしょう。

 政治の圧力や干渉に対して、研究者は何よりも研究の自律性を主張しなければなりません。研究者個人としては、それぞれ政治的な立場もあるでしょうし、それは自由です。それが右であれ、左であれ、政権寄りであれ、反政府であれ、いろいろな立場があってよいでしょう。とりわけ社会科学では、実際の政治に対する態度をどうとるかが必要になることもあります。それでも、それは個人のレベルの問題であって、研究自体は実際の政治活動から距離を置かなければなりません。研究の自由ではなく、研究の自律ということをしっかり考えなければいけないと思います。

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