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2020年6月 8日 (月)

原点のフェイク記事問題に戻り、研究者のあり方を考える

 コロナは大きな時代の転換期となりそうです。報道と情報伝達の問題も、会議や授業もオンラインになる一方、テレビ番組をめぐるSNSの誹謗で自死者が出た問題は、テレビという既成のマスコミの手段と、SNSという新しい情報伝達手段との複合的な問題を提起しました。検察法をめぐる問題でSNSが政治を動かす一方、トランプ大統領とSNSの関係も複雑です。そうした問題も考えてみなければなりません。他方、研究者のあり方をめぐっても、大学の外でどのような活動が可能か、これもきちんと考えていかなければなりません。ただ、先走ってどんどん進んでしまっても、何が問題なの分からなくなってしまいますので、このあたりで、もう一度原点に戻っておきたいと思います。

 もともとこのブログは、一つの新聞記事がフェイクだということを追及することから始まっています。それは、朝日新聞に出た記事です。ネットでは関連する記事がいくつか出ていて、印刷記事との関連がはっきりしません。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

   タイトル「文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死」

   これは全文が見られますが、短縮版です。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html

   タイトル「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた」

   これが印刷版と同じもののようですが、後半は有料です。

   以上は2019410日の記事です。

  https://www.asahi.com/articles/ASM4V7GYNM4VULBJ018.html

   タイトル「女性研究者の自死が伝えるもの「役に立ちたがっていた」

   2019521日の記事ですが、やはり有料ではじめしか見られません。

   これは、後継記事のようですが、実は私も今回発見したもので、知りませんでした。

 取り上げられた記事は201622日に43歳で自ら命を絶った研究者西村玲氏に関するもので、彼女が就職を得られないために追い詰められて自死したというストーリーで、そこから、博士課程を修了しても就職のない若手研究者の窮状へと問題を持っていくというものでした。それは広く共感を呼び、多くの反響がありました。私は、彼女を学術振興会の特別研究員として受け入れ、その後、共同研究を共にしてきたこともあり、記事に私の名前も出てきます。

 けれども、多少経緯を知っているものから見る時、この記事は明らかなフェイクです。すでに指摘してきたように、彼女の自死は結婚に問題があったためであり、決して就職がなかったためではありません。記事ももちろん、結婚のことに触れていますが、あたかも就職がないために、誤った結婚をしたかのような書き方になっていて、いわば、無就職(→

結婚)→自死のように、よほど慎重に読まないと、結婚を飛ばしてしまうような書き方になっています。そもそも、就職がないから、よく調べずに変な相手と結婚したなどというストーリーは、まともに考えれば絶対にあり得ないことでしょう(逆に就職がないから結婚できないという話ならば、実際にたくさんあります)。それなのに、そのようなあり得ないストーリーを信じ込ませてしまうのが、フェイク作りの記者の腕前ということです。

 しかし、もう一つ大きなフェイクがあります。それは、彼女は決して就職してなかったわけではありません。彼女は公益財団法人中村元東方研究所の専任研究員でした。同研究所については、ホームページがあります。

  http://www.toho.or.jp/

 Wikipediaにも簡単な紹介がありますので、ご覧ください。

 私自身、若いころ就職がなく、当時財団法人東方研究会と言っていた頃、専任研究員を5年間勤めました。一時期、同研究所の評議員をしていたこともあり、私が彼女を専任研究員として推薦しました。ただし、今は直接の関係から離れています。

 もともと同研究所は、文化勲章受章者のインド哲学研究者中村元先生が、就職できない若い人たちに研究の場を与えるという目的で設立したものです。専任研究員と言っても、実質的にはほとんど無給で、研究所の事務的な仕事をすることで、時給的に多少出ます。そんなわけで、それだけでは生活できません。ただ、いわば就職浪人者の互助組織的なもので、辞典の項目執筆、非常勤講師職の紹介等の仕事を回してもらえます。

 今日では、国の奨学金の制度が変わってきていますが、以前は、貸与型の奨学金も、ある年数研究教育機関で職に就いていれば、返還免除になりましたが、同研究所はその免除機関となっていたので、専任研究員になれば、返還しないで済みました。これは、厳しい経済事情の中で、大きなメリットです。また、科学研究費の申請資格もあり、研究費を獲得できました。これも重要なことです。科研費があれば、資料代や出張費が賄えます。科研の応募資格があると、他の研究者の科研の返球分担者として、共同研究にも参加できます。

 従って、多くの専任研究員は、他に塾などで生活費を工面しながら、研究所に所属することで、研究を継続することが可能でした。ただ、公益財団法人になってから、かえって制度の締め付けが強くなり、かつてのような自由さがなくなってきています。

 確かに大学や研究機関に就職がないのは厳しいことです。しかし、それを乗り越えようとする試みはいろいろと為されていて、同研究所もその大きなチャレンジです。そういう場で、彼女は専任研究員として仕事を持ち、そこから紹介された仕事もこなしていました。例えば、記事では、「見かねたベテラン研究者が仏典の英訳を点検する仕事を回してくれた」とありますが、これも仏典の英訳プロジェクトに関係している同研究所の人が能力のある適任者に依頼しているものであって、決して「見かねたベテラン研究者が」彼女の経済的窮状を救うために、どこかから探してきて仕事を回したというわけではありません。これも事情を知っていればすぐ分かることですが、それを隠してこうした書き方をすると、知らない人は本当に思ってしまうでしょう。

 このように、記事は徹底的に東方研究所のことを消そうとして、それに成功しています。記者にこのことを尋ねたところ、「それで生活できなければ仕方ないでしょう」と反論しました。けれども、今日大学の就職先が限られ、それに必ずしも大学が本当にいい研究をするのにふさわしい場所かと言うと、そう言えなくなっている現状を考えると、東方研究所のような組織は重要な意味を持ち、そのような大学外の研究のあり方を模索していくことは大事なことと思います。それを一切伏せて、お涙頂戴式の記事に仕立て上げた記者の手腕は大したもので、事情をよほどよく知っている人でなければ騙されてしまいます。

 じつは、この記事のはオチがあります。ネット記事には入っていないのですが、紙媒体には、最後に、「科学技術政策に詳しい一般社団法人「科学・政策と社会研究室」代表・榎木英介さん」という方のコメントがついています。それは、「研究機関に所属していなくても研究しやすい環境の整備も欠かせない」と、必ずしも大学や研究所に就職できなくても、独立研究者でも研究できるようにすべきだ、ということを言っています。これは本当にその通りで、東方研究所は、(現在の状況はともかく)もともとはそのような独立研究者がきちんと研究できるような互助組織的なものを作ろうとしていたのです。ですから、そうであれば、当然記事は同研究所の活動を積極的に評価して書くべきなので、コメントとは逆に、大学に就職できなければ研究者は他の生き方はあり得ない、という前提で書かれているのは、はっきり言って許せないと思います。

 私自身は、三十代後半で、生活できるだけの給料の得られる大学に就職できましたが、それは本当にたまたまであり、そのような職を得られないままでも不思議はない状態でした。それだけに、大学以外の生活手段を得ながら、研究を続けられるような、そういう道を積極的に作っていくことの必要を強く感じています。何でも、既成の道以外はないと決めつけるのでなく、既成を外れたところに積極的に可能性を見つけていくことも、とても重要なことだと思うのです。

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コメント

西村さんの死に対する記者の解釈が、あらかじめ用意された問題提起の結論へと短絡的にもっていき過ぎていること、また、彼女が研究所に所属していて身分もあり、周囲の先生方から将来を嘱望され、同世代同分野の研究者の中ではむしろ経済的にも人的にもかなり恵まれた存在であったことが記事に書かれておらず、むしろ逆の印象を事情を知らない読者に与えかねないという点では、先生のご意見に同意します。

ただ1点違和感を感じたこととして、経済的に自立できるような研究職のポストに就けていなかったことは、彼女を死に至らしめたストレスの中には含まれないと、先生はお考えなのでしょうか。

同世代・同分野でも群を抜く華々しい業績を上げていた中、それでも応募先から次々と不採用通知が届くという事に対して、活躍しているからこそ、逆にこれ以上どうすればいいのかと追い詰められる気持ちはあったのではないでしょうか。(まして先生や周囲から「そのうち大学に就職するだろう」と思われていたなら不安な思いを出しにくいですし、なおのこと精神的にきついと思います。)

もちろん、自死の直接的な原因であるうつ病の要因は単純に説明できるものではないですし、上記は勝手な想像に過ぎないと言えばそれまでですが、彼女が大学での職を求め続けていたにも関わらず得られていなかったのは事実で、研究者であれば程度の差はあれ、そのことを苦にしない人はいないと思います。

ですので、彼女の死の-おそらく複雑で複合的な-背景から「研究者としての地位の不安定」さや就職活動の不調という要素を否定し、あくまで家庭の事情からだけとするのであれば、それはむしろ不自然だと思います。

以上の理由から、朝日の記事がたとえ先生からみて非常に底の浅い解釈であったとしても、「フェイク」とまで言うのは行き過ぎではないかと思います。
西村さんは当時まさにポスドクの就職難という深刻な問題の渦中にいて、より安定した研究職につくべく必死に努力していたことは事実でしょうから、記事のような解釈は、当時の状況の一側面しか示しておらず説明不足ではあるとしても、全くの嘘から導き出した話ではないので、フェイクとまでは言えないと思います。

蛇足ながら、では先生はどのような方向性の記事ならご納得できるのだろうか、という疑問も、素朴に沸きました。これだけデリケートな問題に対して、本人や詳しい経緯を直接知らない第3者がある意味ドライに分析して書くものである以上、どのように整理して書いたとしても先生がよくご存じの西村さんの像とはぶれてしまい、漏れる部分も出てきて、先生がご納得いくことはないのではないか、という印象を受けました。

以上、長々と失礼いたしました。万一誤解などありましたら、失礼の段、どうぞご容赦下さい。

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