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2020年5月 9日 (土)

大学と大学の外

 コロナウイルスの蔓延で緊急事態宣言が発せられて、学校の対応が大変です。大学はほとんどすべてが休講状態で、キャンパスへの立ち入りを禁止しているところも少なくありません。オンライン授業も広く行なわれています。大学をネットで開放するのは、しばらく前からの課題でしたが、これから大きく進展するでしょう。

 ところで、このブログでずっと考えてきている大きなテーマの一つは、大学の組織と研究者のあり方です。確かに研究者の大学や研究機関への就職ということは、研究者にとって生活の根本にかかわる問題です。就職して生活が安定しないと、結婚して家庭を持つことも困難ですし、逆に大学院時代に結婚して家庭を持っている研究者がその後就職できないという事態も大変なことになります。コロナで大学が閉鎖されると、身分が不安定な非常勤講師の立場も大きく揺れます。

 そうした就職と生活という問題も大事ですが、もう一つの問題は、大学という組織内でなされる研究の性質の問題ということも考えなければなりません。つまり大学という大きな組織の中で研究が埋没してしまうのではないか、ということであり、そのことは、大学外で研究ができるのか、という問題でもあります。

 そんなことを考えるのは、僕がいわゆる全共闘世代だからでもあるでしょう。僕が入学したのはその最後の年で、入学するとすぐに、全学ストライキとなり、その後、安田講堂占拠と機動隊導入へと続き、翌年には東大入試が中止になりました。最後の盛り上がりの時ですが、僕自身はそういう政治向きの話はまったく分からない、いわゆるノンポリと言われる立場でした。それより自分個人の精神的な問題で手いっぱいというのが正直なところでした。ただ、大学という組織のあり方への疑問は大きく植え付けられたように思います。

 60年安保が全学連の学生を中心としながらも、安保条約改訂という国家社会の問題を中心としたもので、国会へ向けてのデモは一般市民にも広がりました。それに対して、全共闘の運動は、もともと医学部のあり方をめぐって出発し、「大学解体」がスローガンとなったように、大学という場に集約されたものでした。新宿や御茶ノ水のバリケードのように、新左翼による騒乱もありましたが、過激化することで、社会的共感は広がりませんでした。

 その分、大学内の矛盾が大きな問題となり、いわゆる象牙の塔が国家体制の庇護のもとに硬直化して、体制擁護になっていることが問題とされました。そこから「自己批判」「自己否定」がスローガンとなりました。

 今考えてもその過激な主張に同調できませんが、ただ、当時から大学という場の中で行われる研究というものがそれでよいのか、という疑問は、今までずっと持ち続けてきています。

 当時の全共闘の活動家の中には、その後、大学を離れて、学問のあり方を問い続けてきた人たちも少なくありません。東大全共闘議長の山本義隆は、その後駿台予備校のスターとなる一方で、科学史に関する大著を著して、研究者として高く評価されています。また、哲学の長谷川宏は、子供の塾を経営しながら、ヘーゲルの新訳に挑み、従来の難解な訳でなく、分かりやすい日本語に置き換えた画期的な訳で大きな衝撃を与えました。また、生活の場に根ざした哲学を実践してきたという点でも注目される思想家です。

 また、当時、造反助手と言われ、その後も東大に身を置きながら、大学を問い続けた人たちには、宇井純、最首悟、大西廣などがいます。当時は国立大学の助手の身分は任期制ではなかったので、造反しても解雇できなかったので、任期制になった今では不可能です。京大で反原発を貫いた小出裕章も、「万年助手」(最後は制度が変わって助教)でした。

 大学と関わりなく、哲学的な研究を進めた人としては、長谷川さんの他に、内山節さんがいます。内山さんは、群馬県の農村にすみながら、いわば現場から哲学をしてきた方です。後には大学とも関わりますが、もともとはそもそも大学も卒業しておらず、そのあたりの経歴や思想遍歴はよく知りません。内山さんは私などと同世代です。もっと上の世代では、全共闘の神様扱いだった吉本隆明がいます。

 ただ、大学に定職を持たずに研究を続けることは、確かに大変なことです。よほど親の遺産でもあって、生活の心配がないのならば別ですが、そうでなければ、何らかの形で収入を図らなければなりません。本がたくさん売れれば、それで食っていくこともできるでしょうが、今日、本はそれほど売れませんので、その収入だけで生活費を稼ぐのはかなり大変です。かつては、高校教員でも研究日を取ることができ、優れた研究をしていた人たちがいました。僕と同世代でもいます。けれどもそれも難しくなってきました。

 大学を何らかの事情で退職して、その後、活躍している方もいますが、それぞれ大変のようです。宗教学者の島田裕巳さんは、オウム事件で、オウムを擁護し、学生をオウムに引き入れたという風聞のために、日本女子大を退職に追いやられました。社会学者の大澤真幸さんは京大を若くして退職しました。明治学院事件の寄川条路さんもそうです。

 そんなわけで、生活という面を考えると、大学を離れることはなかなか難しいのが現状です。もちろん、研究と関係する職場はあります。最近では、民間企業のほうの研究所のほうが大学よりも研究水準が高いこともあり、企業からのノーベル賞受賞者も出てきました。文系では、博物館・美術館・図書館などもあります。ただ、よほど恵まれていないと、なかなか難しいでしょう。

 そんなわけで、生活ということを考えると、もし大学や研究施設を離れたところで研究しようというのであれば、かなり覚悟を決めて、生活の道を考えておくことが必要です。それでも、困難ではあるけれども、不可能ではない、と思います。先に挙げた人たちは、それぞれ困難な中で道を開いてきました。大学という場が今日、全共闘時代以上に大きな企業体となり、その中の歯車に組み込まれるよりも、その外でなければできないこともあるのではないかと思うのです。とりわけ哲学関係の学問は、もしかしたら大学という組織の外でなければ、本当の発想が生まれない、ということがあるのではないか、ということもあります。そう言えば、『14歳からの哲学』で知られた池田晶子さんも、大学に就職せずに頑張った一人です。

 大学の外でなければできない学問もあるのではないか。大学人も巻き込んで、外でできる活動もあるのではないか。それがどのようにできるのか。定年までサラリーマン教授でいて、退職してから言い出すことではないかもしれませんが、それでも、退職して自由になることで、発想が生まれるということも確かにあると思います。僕なりに考えてみたいと思います。

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コメント

在野での研究を目指している者です。

今回、さまざまな大学外での研究者の例を紹介していただき、勇気づけられました。今後ともよろしくお願いいたします。

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