« プライバシーはどこまで公共化してよいか | トップページ | ちょっと一休みの雑談 »

2020年2月 8日 (土)

研究者の就職

 ごく狭い分野しかわかりませんが、今日、研究者の就職はますます厳しくなってきているようです。少子化による大学の縮小化傾向はますます進みつつあります。大学の生き残りを賭けた戦いはますます厳しく、それぞれの大学がいろいろとアピール合戦をしているようです。新学部の新設もそれなりにあり、また、いろいろとプロジェクト型の研究所やセンターを設ける大学も多くあります。そのことによって助成金を導入して、研究を活性化するとともに、若手の就職先を確保する工夫です。方向は二分化して、国際的に先端を行くか、さもなければ地域に密着して住民や地方自治体と協力するか、というどちらかに方向づけていくことが求められます。

 そうした努力は大きな意味を持つことで、どの大学も頑張っていますし、そうした企画の中心になる教員もがんばっていい仕事をしています。大学の教員が自分の研究だけしていればいい時代は終わって、どのように有意義な組織を作り、有能な人材を活用していくかが問われるようになってきました。

 ただ、そうした中にもおのずから格差は生じますし、すべてがうまくいくわけでもないので、やはり厳しい状況は変わりません。全体としてみると、若い研究者の就職状況はやはり厳しいものがあります。ポスドクの就職には政府も力を入れていますが、結局のところ任期付きで、不安定であり、安定した職場を得るのは容易でありません。任期付きのポストを渡り歩いて、最終的に放り出されるのは、きついことです。

 僕の知っている範囲で、非常勤職や任期付きしかなく、職を探している研究者が十人以上います。若い方から、すでに還暦を迎えた方もいます。年を取ると、それだけ職を得にくくなります。著名な業績のある人ならばともかく、そうでなければ、選ぶ方もエスタブリッシュした年配の人よりも、どうしても動かしやすい若い人を選びます。非常勤職だけだと、生活も安定しませんし、家庭を持つことも困難です。

 逆に、シングルマザーで、子育てしながらいい仕事をして本も出し、学会的にも活躍していた若い研究者が、安定した職を得られないために、研究を諦めて、他の職種に転身した例もありました。何とも残念なことですが、それを止めることのできる力もありません。いずれ生活が安定したら、何らかの形で研究に戻ってくださることを願うばかりです。

 明治学院大学事件で辞職せざるを得なくなった寄川さんも大変だろうと思います。中年で仕事を失うと、他の職のように、転職が難しいという難点があります。かつてオウム真理教との関係から日本女子大を辞職した島田裕巳さんは、その後執筆や芝居の脚本を書きまくりましたが、それで生活していくにはかなりの時間がかかったと言います。島田さんの場合も頑張れば職に残れた可能性もありましたが、学生をオウムに勧誘したという風評で、大学の受験者が激減して、追われる形になりました。作家でもある程度ヒットを飛ばしていかないと大変ですが、研究者が著作と講演だけで生活を立てていくのは、まず無理です。テレビにレギュラーで出たりすれば、相乗効果で本も売れて、ある程度の収入が望めますが、それだけタレント化できるのは、研究者と違う才能が必要です。

 大学などの研究者がセクハラで表沙汰になって懲戒処分になるのは相当ひどい場合で、多くはその前の自発的に辞職しますが、その場合もやはりその先は困難です。出版社にほぼ専属のような形で学術書の編集を担当している方もいます。出版社はもともと研究者と持ちつ持たれつの仕事で、職がないときに出版社で糊口をしのぐという例は少なくありません。戦前の話ですが、女性問題で東北帝国大学を辞職した物理学者の石原純や、やはり女性問題で京大に職を得られなかった三木清を救ったのは岩波でした。ただ今日、出版がきわめて不況になり、出版社がどんどんつぶれている状態ですので、これも厳しくなっています。

 最近、島津製作所の田中耕一さん、旭化成の吉野彰さんなど、民間企業からノーベル賞受賞者が出たことは、理系の研究者の幅を広げるという点で大きな意味がありました。文系でも、例えば金融関係の研究部門には大学以上の優れた専門家がいます。ただ、経済学、社会学などの実用的な分野を除くと、やはり厳しくなります。かつては、高校教員も、週1回の研究日が認められるなど、ある程度研究可能で、実際優れた研究者が出ていますが、これも今日では激務となって、困難になっています。

 海外の日本語教師として出ていくという方もいます。これも一時的にはいいのですが、必ずしも条件がいいわけではないので、長期になると厳しいようです。ヘッドハンティングや留学の延長で海外に安定したよい職を得る場合は別ですが、そうでないと、契約の問題などで長期的に海外の職に留まるのはかなり難しいようです。

 かつてインド哲学の大家中村元先生は、友人が職がなく自死したということから、そうならないようにと、就職のない若い研究者のたまり場として東方研究会という組織を立ち上げました。今は、公益財団法人中村元東方研究所となり、その性質上、研究員の採用が厳格化して、就職浪人のたまり場としての役割が減じました。最初の頃は、もう数十年も前ですが、次々と就職浪人を受け入れてくれましたので、僕などもずいぶん助かりました。もちろんそれだけでは生活できませんが、中村先生の下請け仕事を回してもらったり、非常勤職を回してもらうなど、いわば生活互助会的な役割を果たしていました。

 東方研究会のようなことは、確かに世間に名が知られている中村先生だからできたことで、その真似が僕たちにできるわけではありませんし、また、批判もいろいろありましたが、今となって見ると、その志の大きさに圧倒されます。

 ちなみに、東方研究所などは、科学研究費を受けられるという利点もありました。科研はもちろん生活費にはなりませんが、少なくとも研究のための費用に生活費を回さなくてもいいという点で、非常に助かります。非常勤職でも原則として可能ですが、自分で金銭を扱うことができず、研究機関に経理を任せなければならないので、研究機関によっては、非常勤職の場合必ずしも受け入れてもらえない場合もあります。

 そんなわけで、今回は結論らしい結論はありませんし、他人事のような書き方になってしまいましたが、その問題の切実さは身に染みています。確かに状況は決して楽観視できませんが、しかし、それでも新しい試みは不可能ではありません。既存の組織や国の援助待ちでなく、何かできないか、注視しながら考えてみたいと思います。

« プライバシーはどこまで公共化してよいか | トップページ | ちょっと一休みの雑談 »

コメント

たびたび訪問させていただいています。

今回の記事は(←こういう「は」は失礼で申し訳ないです)、私にとって有用な情報でした。

ありがとうございます。

ぜひ、つづけていただきたいとおもっています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« プライバシーはどこまで公共化してよいか | トップページ | ちょっと一休みの雑談 »