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2019年12月 8日 (日)

学問の自由は成り立つか

 前々回の「研究現場は今」では、『毎日新聞』の記事を手掛かりに若手研究者の状況に触れましたが、最後に、記事の中の「「常勤のポストを得てもバラ色の未来が待っているわけではない」」という箇所を引いて、そのままになっていました。今、大学という場がどうなのか、それについて少し考えてみましょう。

 以前書いたように、明治学院大学事件というのがあり、私も一応支援者として名を連ねました。ただ、事件そのものを必ずしも十分に把握していたわけではありませんし、直ちに当事者の寄川条路さんの立場を全面的に支持するというわけではありません。けれども、大学の解雇権の乱用は論外ですし、大学における研究のあり方を考えていく手掛かりとしたいという思いもありまして、寄川さんから求められたとき、支援者として名を連ねました。それに対して十分に考えがまとまっているわけではありませんが、現段階の途中報告というところで、少し書いてみます。

 まず、明治学院事件についてですが、HPに概要が記されています。

https://sites.google.com/view/meiji-gakuin-university-jiken/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0

 私は必ずしも経緯をきちんと把握しているわけではないので、詳しくは、上記HP、並びに寄川氏が編集して出版している2冊の冊子をご覧ください。

  『大学における〈学問・教育・表現の自由〉を問う』(法律文化社、2018

  『大学の危機と学問の自由』(同、2019

 要するに、明治学院大学教養教育センター教授の寄川氏の授業を、無断で職員が録音し、大学を批判し、大学の基本方針であるキリスト教を批判したという理由で、氏を解雇したという事件です。それに対して、寄川氏は裁判に訴え、第1審の東京地方裁判所では、氏の解雇を無効として地位を確認したが、慰謝料の請求は認めませんでした。そこで双方が控訴し、東京高裁で審議中、2019年11月に和解が成立したということです。和解条件は、大学側が無断録音を謝罪するとともに、寄川氏は解決金をもらって退職するということだと言います。寄川氏としては、こうした和解での解決は必ずしも本意でなかったようですが、そのあたりの事情はまだ十分に公開されていません。

 ここでは、上記の2冊の本を基本テキストとしますが、それらを読んでやや違和感を感ずるのは、今日、「学問の自由」ということを正面に据えることが一体どうなのか、ということです。こういう言い方はやや誤解を招くので注意が必要ですが、ある意味では、今回の問題は「学問の自由」以前の問題であり、ある意味では「学問の自由」以後ではないか、ということです。「以前」というのは、そもそも労働者の解雇を雇用主側が勝手になしうるか、という問題です。「以後」というのは、近代的な価値観が崩壊している今日、近代的な「学問の自由」を旗頭にできるか、という問題です。

 第一の「学問の自由」以前という点ですが、ここでの問題は雇用と解雇という雇用者と被雇用者の問題の特殊例であって、「学問の自由」というのはその一部をなすものの、それが争いの正面に出る問題なのかどうか、ということです。そもそも雇用者が勝手に被雇用者を解雇できないのは当然であり、解雇するには正当な理由がなければなりません。もちろん原告側の情報だけで判断できませんが、この事件の解雇は、どう考えても無理であろうと思います。そのことは一審の判決でも明らかですし、二審の途中で和解した際の条件も、大学側が謝罪し、教授側は自主退職になりますので、形の上では大学のほうの落ち度が大きいことになります。

 その中に、確かに研究・授業の自由ということは含まれるにしても、ここでの中心となる問題は、より一般的に被雇用者の地位の問題として捉えられるのではないかと思います。つまり、研究者でなくても、被雇用者が雇用者に都合の悪い言動を行なった時に、勝手にその権利を侵害して、解雇できるか、という問題です。

 この点は、かつては労働組合の力が強く、被雇用者の権利は雇用者と組合との交渉によって決められていたのが、今日では組合の力が弱体化して、組合の力で被雇用者の立場が保護されないようになりつつあるという問題があります。教職に関して言えば、かつて自民党などから目の敵にされた日教組(日本教職員組合)というのが大きな力を持っていました。私が大学の助手をしていた1980年前後頃は、衰えたと言ってもまだ組合がそれなりの力を持っていて、私も組合に入って、かなり高い組合費を払っていました。私が先の就職なしに助手を退職することになった時も、組合で地位保全の交渉をしてくれるということでしたが、私自身激務に耐えかねて自分から退職を望んだこともあって、それは断りました。ただ、そのように応援してくれる味方がいてくれることは心強いことでした。

 今日、日教組は総崩れ状態で、ほとんど力がありません。また、私立大学で経営側の力が強いところでは、そもそもはじめから組合を認めないところも多く、たぶん明治学院大学もそうであろうと思います。逆に今でも組合が力を持っている私立大学もあります。イデオロギー的な問題はさておき、少なくとも自分たちの雇用条件を向上させるために、組合は必要だと私は考えます。日教組の場合、小学校から大学まで含むので、広い範囲の教職員の交流という意味も大きかったと思います。そうした組合がない中で、今日、被雇用者である教員はどうしたら自分たちの雇用条件を守れるのか、これは大きな問題です。

 多くの国立大学や被雇用者の教員の力の強い私立大学では、教授会が自分たちの権利を守る砦としてある程度の役割を果たします。それに対して、経営側の力の強い大学では、教授会はほとんど力を発揮できません。明治学院大学でも、教授会はむしろ大学側に立って、寄川氏を非難する側に立ったようです。今日、国立大学も、国や経済界の意向に従って、次第にトップダウン方式に向かい、教授会の力を弱める方向に動いています。

 「学問の自由」以前というのは、こういう状況の中で、大学教員だけ特別の「学問の自由」という理念を旗頭にするよりも、もう少し大きく、戦後の労働運動の崩壊の中で、被雇用者の権利をどのような形で主張できるか、というところから考えるべきではないかということです。「働き方改革」の名の下で、注目されるようになった裁量労働制が、すでに大学教員においては採用されていることはあまり知られていません。国立大学の場合、大学が法人化した段階で、多くの大学では裁量労働制を採用しています。裁量労働制のものとでは、一応形式として、労働者側の代表が経営側と毎年交渉して労働条件を承認することになっています。それがある意味では労働組合に代わるものです。しかし、はたして大学教員が裁量労働制に当てはまるものか、また、毎年の交渉が単なる儀式以上の機能を有しているかは疑問です。

 「学問の自由」以後というのは、そもそも近代の「学問の自由」という理念が今日通用するのか、という問題です。とりわけ西欧においては、「学問の自由」は市民社会の確立の中で、大学が闘って勝ち取った権利であったのに対して、日本でははじめから大学は国家のものであり、その枠の中でひ弱な「自由」を与えられてきただけではなかったか、という疑問です。それが今日、ますます大学は国や経済界の意向で左右されるようになっていく中で、もはや「学問の自由」を正面から言える段階ではないのではないか、ということです。隣の中国などではもっと厳しい状況に置かれています。

 これは大学という場の中だけの問題ではありません。先日の名古屋の「表現の不自由展」で、はからずも文字通り表現がいかに「不自由」であるかが如実に示されたように、「表現の自由」や「学問の自由」が社会的に確実に支持されているわけではありません。逆に、「学問の自由」が言えるのであれば、大学における軍事研究だって自由ではないか、という議論も可能です。あるいは、ヘイトスピーチだって表現の自由ではないか、という主張も実際になされています。抽象的に「学問の自由」「表現の自由」を謳い文句にすることでは何にもならない状況に今私たちはいるのではないでしょうか。「表現の自由」「学問の自由」は、もっと大きな社会国家、ひいては世界のシステムの中ではじめて考えられる問題ではないでしょうか。

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