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2019年11月 4日 (月)

なぜフェイク記事が書かれたのか?

 このブログは、西村玲氏に関するあまりにひどいフェイク記事が掲載され、それが大きな反響を呼んで誤解が広まったことから、それを反省し、その問題点を考えていくということから出発しました。その記事は下記のものです。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html

 これまで、フェイク記事であるということを前提として話を進めてきましたが、それがどうしてできたのか、なぜフェイクなのか、という具体的なことには十分に立ち入ってきませんでした。記事が出たすぐ後に書いたブログの文章「小宮山記者の記事に対する私見」(2019.4.19)には問題点を指摘しましたが、私自身が混乱していて、十分に整理された文章ではありません。そのため、かえって誤解を招いたところもあったかと思います。今後、少しずつ記事を検証していきたいと思いますが、まず今回は、どうしてこのような記事が書かれることになったか、そのいきさつを書いておきます。なお、西村氏のこと、また氏と私とのかかわりについては、別に書きます。

 西村玲氏は、2016年2月2日に逝去されました。自死であることは、一部の親しい方の間には知らされましたが、それ以外には伏せられました。ご両親による四十九日の挨拶状は、後述の『遺稿拾遺』にも掲載されていますが、そこには、「娘 玲は、旧年十二月中旬より体調を崩しておりましたが、本年二月二日に急逝致しました」と記されています。うつ病でした。

 その後、遺稿となった論文を集めた『近世仏教論』が2018年2月に法藏館から出版されました。これは主として友人たちの手により編集されたもので、私もお手伝いしました。その際、学術的な論文集の為に、重複するものや、エッセー的なものは入れず、厳選しました。なお、その出版費用の一部は、友人たちが結成した「西村玲氏論文集刊行委員会」で募金し、それに多くの方が賛同して、ご寄付くださいました。その時に、氏のお父様から、そこに入らないものを別の形で出せないか、という相談を受け、自費出版という形がよいのではないか、という意見を述べました。

 その後、その本はご両親の編集で『西村玲遺稿拾遺』として2019年1月29日付で私家版として出版されました。これは、外に発表した文章だけでなく、手紙や日記類、そして写真や年譜をも含め、本当にご両親の愛情のこもった素晴らしい編集の本です。ご両親ともに編集者でしたので、その力のすべてを出し切ったように思います。この本をどの範囲の方にお送りしたかは存じませんが、論文集出版の際にご寄付くださった方にはすべて配布されたようです。

 この『遺稿拾遺』の中で、初めてご両親は玲氏が自死であったことを明らかにして、彼女の最後の頃の日記をも併せて収録しています。このようなわけで、『遺稿拾遺』はあくまでも関係者の間だけに配布されたものでしたが、それが広く伝わったのは、同書を受け取られた方の一人M氏がツイッターで書いたことによります。それがどの範囲に広まったかは、私はきちんとフォローしていないので分かりませんが、かなり広くリツイートされたようです。M氏が最後の日記の箇所の本文写真も掲載したために、衝撃を受けた方が多くいたようです(この本文写真はその後削除されました)。朝日新聞のK記者もそのツイート、あるいはリツイートによって知ったようです。

 M氏のツイート/リツイートを知って、西村氏の友人たちはそれが広まることを懸念しました。私はそのことを彼女の友人の一人からメールで知らされ、どうしたらよいかと相談を受けました。彼女の非常にプライベートな心情が、事情を知らない不特定多数の人たちの間に流され、話題とされるのは、彼女にとってあまりに残酷すぎます。また、自死の原因となった結婚・離婚の事情まで明らかにされるのは、その相手の方のプライバシーにも関わります。私もまたそれが広まることを心配しましたが、結局、そのまま放置して、自然に収まるのを待つことにしました。すでに広まってしまったことを止めることは難しいし、それに対する意見を発信しても、かえって炎上するような事態になれば、逆効果と考えました。

 今になって見ると、その判断は間違っていたかもしれません。何らかのメッセージをきちんと発信しておくべきだったかもしれません。ツイッターのアカウントは持っていますが、ふだんあまり見ることもありませんし、まして発信することはほとんどありませんでしたので、このようなSNSでの発信の使い方や広まり方に関する知識が乏しく、的確な判断が下せなかったことは、深く反省しています。それを新聞記者が見て、記事にするということは、まったく想定していませんでした。今日、政治の世界でもツイッターが有力な発信源とされていることを考えると、それを軽視したのは、甘すぎました。

 M氏のツイートは、必ずしも就職ができないことと自死とを直接結びつけたわけではありません。どうして、新聞記事ではそのような結びつきになったのでしょうか。おそらくその根拠となりうるのは、ただ一か所だけ、最後の日記の中の15年11月6日に「大学に職がなく、安定を求めて結婚したら、相手が統合失調症で、自分が病気になりかけて、離婚を決めたけれど、応じてくれない。安定に目がくらんだことを認めつつ、認められない」(『遺稿拾遺』324頁)とある箇所だけだろうと思います。その頁がM氏のツイートに写真で出ていたために、学術問題を担当して、研究者の就職問題を追っていたK記者の目に留まったものと思います。

 『遺稿拾遺』をすべて読めば明らかですが、就職問題と結婚・離婚を結び付けて書いているのは、この箇所だけです。この頃の彼女は結婚の失敗で非常に追い込まれて、自分の人生はすべて失敗で、それは自分の責任だと、自分を責めていました。10月に数人の人に結婚の破綻を知らせる私信を出していますが(そのことは、渡邊寶陽先生宛FAX、170頁に出ています)、それを受け取った時に、いちばん心配だったことはその強度な自責でした。それはうつ病の一つの兆候なのでしょう。そこから、日記のような書き方になったのでしょう。『遺稿拾遺』全体を通して読めば、ここの書き方に違和感を持つはずです。

 もちろん誰でも結婚には経済的な裏付けを考えるでしょう。それが悪いわけではありません。「もう年だから、そろそろ結婚して、生活を安定させなければ」という意識や焦りは誰にもあることです。それは彼女にもあったでしょう。それは事実だったと思います。しかし、結婚の時に経済的安定だけを最優先に考えるというドライな割り切りをする人は、非常に特殊でしょう。彼女がそのように打算的な性格だったとは、おそらく彼女を知っている人は誰も認めないでしょう。

 彼女は結婚の際に非常に慎重でした。知り合って半年ほど交際し、それから入籍しても直ちには同居せず、半年ほどは遠距離で行き来して、それで大丈夫と判断してから、同居に踏み切っています。それだけの慎重な手順を踏みながら、相手の病気が見抜けなかったのは、彼女の責任ではありません。相手の男性も薬をきちんと服用していれば、平常の生活が保てたようです。ただ、同居後、(医師でありながら、あるいは医師であるから自己過信したためか)薬の服用を自分の判断でやめたために、病状がひどくなったということのようです。ですから、「職がないから、焦って結婚して失敗した」などという短絡的な因果関係のストーリーが成り立つわけもありません。

 記事を細かく検討するのは、今後順次行っていきたいと思いますが、この記事は、研究職がないということを前面に出し、彼女の自死はそれが原因だという誤解を生じさせるような書き方を、意図的にしています。それは明らかにフェイクです。なぜそのようなフェイク記事が書かれたのか、そして、どうして多くの読者がそのフェイクに騙されて、信じ込んでしまったのか、それは今後検証していきたいと思います。

 今日、SNSを使っての発信や、それに伴いフェイクニュースが人々を動かすということが大きな問題となっています。小さな事例かもしれませんが、現代という時代の特徴をよく表わすような事象と言えるかもしれません。

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