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2019年9月12日 (木)

ポスト真実時代にどう立ち向かうか

 前回のエッセーで明らかにしたように、このブログで追究しようということは、N氏をめぐる朝日新聞の一つの記事を分析したいということであり、それとともに、現代の学問・報道、広く言えば「知」の構造がどのような状況にあり、それにどのように立ち向かうことができるか、という問題です。たった一つの記事で、それほど大きな問題に展開しうるのか、という疑問はあるかもしれません。けれども、今日の大きな問題にいきなり取り組もうとしても、問題が大きすぎて、それだけの装備をしていなければ、弾き飛ばされてしまうだけでしょう。一見小さな問題をしっかり考えていくことが、大きな問題を解く鍵となっていくのではないでしょうか。

 今日、ポスト真実と言われる時代を迎え、学問も報道も大きな危機状況にあります。ポスト真実時代は、トランプ政権の誕生とともに、大きくクローズアップされることになりました。2017年のことです。その前年、イギリスではEU離脱が国民投票で決められました。日本で森友学園問題が大きな話題となったのも2017年です。

 ポスト真実というのは、簡単に言ってしまえば、一義的な「真実」などというものはなく、正義は勝者が決めるという考え方です。それまで何らかの形で「真実」というものが一義的に決められ、それが正否を糺す鏡となって、紆余曲折があったとしても、最終的には、真実が勝つ、ということが、一応の共通理解でした。そこには、(1)「真実」は一義的に確定できるということ、(2)それが同時に倫理的な規範となり、最終的に勝利するということ、の二つが含意されています。このような古典的真実主義が必ずしも素朴に額面どおり信じられていたわけではありませんし、政治の世界では「勝てば官軍」で、虚偽が勝利してきたことも事実です。けれども、理念としては、それは「真実」に反することで、倫理的にも正当化されない、と考えられてきました。それは、いわばニュートン的な古典物理学の世界と類比的と言ってもよいでしょう。ニュートン的世界では、物質の運動は厳密に計算され、一義的に決定するとされます。

 一義的な真実の時代は、長い戦いを経て達成されました。それが輝かしい「近代」という時代です。アメリカの独立、フランス革命を経て、自由・平等な個人の権利、即ち「人権」の観念が確立し、一義的な正しさの基準となります。それは、科学が宗教の支配を脱して、唯一の「真実」を明らかにできるという信念と相補的です。真実も正義も一義的に決まります。民主制はその基準から必然的に出てくるものです。それが人類全体に普及することが、社会進化の究極的な目標として設定されます。一見、マルクス主義はそれに反するかのように見られますが、あくまでも科学的社会主義を標榜している点で、近代の価値観を共有しています。

 その近代の価値観が崩れ出すのは、おそらくは20世紀の終わり、1990年代からでしょう。冷戦構造は戦争の危機を孕みつつも、近代的価値観に基づいて、構造自体は分かりやすいものでした。そこでは、唯一の真理がどちら側にあるかは不明ですが、二者択一で、どちらかに必ず真実と正義があるということを前提とすることができました。その構造が崩れることで、近代的な唯一の真理と正義という前提も崩壊しました。ポスト近代時代への突入です。ポスト近代ということは、それ以前から言われてきたことですが、それが狭い思想界の問題ではなく、社会全体に波及することになったのです。古典的物理学から、相対論的、量子論的物理学への転換とも関連するでしょう。

 ポスト近代思想の一つとして、言語論的転回ということが言われました。真実は外側に唯一のものとして確定されるのではなく、言語空間に内在する流動的なものだということです。そこから、歴史物語論ということが主張されました。唯一の真実がないならば、歴史というのは、いかにして物語として語られるか、という問題に帰着するという主張です。それは特に、従軍慰安婦問題をめぐって論じられました。いわゆる歴史修正主義問題です。唯一の真実がないのならば、従軍慰安婦問題を否定するのも一つの物語の作り方ということになります。

 こうした過去の経緯を経て、ポスト真実時代に入りました。そこでは、まさしく言語論的転回以後として、そもそも一義的な真実などはない、ということが前提とされ、それが現実の政治の中核に躍り出ます。最終的に真実を決めるのは、政治的な勝者となります。今のところ、ポスト民主主義にまでは至っておらず、むしろ民主主義の徹底としてのポピュリズムが最終的な判断基準となります。選挙なり国民投票で勝ったものが、すべてを決める権利を有するということです。そうであれば、如何に巧みに人の心をつかみ、勝者となることができるか、ということが問題であり、言論はそのための手段となります。即ち、それは論理よりも修辞(レトリック)の問題となります。正義もまた一義的に決められず、最終的に勝者がその基準となります。一義的に決まらない、というよりもむしろ、最終的な勝者が一義的な真実や正義を決める、と言ってよいかもしれません。政治の力が極めて強くなり、それが学術や報道という「知」の領域をも侵犯します。

 フェイクニュースということが、大きくクローズアップされたのも、まさしくポスト真実時代の特徴です。もちろん古くからフェイクということはありました。しかし、それは唯一の真実に背くものであって、本来あってはならない悪と考えられてきました。場合によっては、それが戦術として使われ、必要悪と見なされることもありました。ところが、ポスト真実時代にあっては、フェイクは特にとがめだてをされるものではなくなりました。というか、フェイクということが、唯一の真実に背くということではなく、修辞的に相手を攻撃するための用語となりました。トランプがあらゆる手段を使って偽情報を流布させながら、「新聞はすべてフェイクだ」として、攻撃手段としました。

 その中で、ポスト真実時代の特徴は、それがSNSによる新しい情報伝達と深く関係していることです。トランプは、記者会見よりもTwitterでの発信を重視しました。日本でもYouTuberから支持を広げたN国の立花孝志のように、まったく従来の政治家から考えたらとても政治家とは言えないような人間が国会議員になるという事態にまで至っています。新しいネットによる情報発信は、まったく従来の常識を覆してしまいます。従来型の政治家は、そこまで行ってはいませんが、現在の安倍政権がネトウヨと言われる人たちによって強く支持されていることはよく知られています。

 ネットによる発信は、従来型の意見表明とは全く異なる性格のものです。Twitterでの発信は字数を制限されるため、じっくり考え、十分な論証をすることができません。短い言葉で、いかに強い印象を与えるか、ということが勝負どころとなります。そのために、しばしば指摘されるのは、極端化しやすく、理性よりも感情に訴えるようになり、敵対的な態度を取りがちです。また、いつでも取り下げられるために、言葉が軽く、無責任になります。炎上のように、集中砲火によって相手をつぶすこともなされます。瞬間的、刹那的で、その場限りの効果を狙うことになります。

 今日、新聞や雑誌という古典的メディアは総崩れ状態です。とりわけ新聞は、かつてのように、「真実」を振りかざして権力に挑む、という構図が成り立たなくなりました。それでは今日、このようなポスト真実の時代に、どのように立ち向かうことができるのでしょうか。まず確認しておきたいのは、今日、古典的な意味の「真実」が全く無意味になったわけではない、ということです。それは、相対性論・量子論が出たからと言って、古典物理学が否定されるわけではないのと同様です。「真実」や「正義」にしても、ある意味では古典的な議論が成り立たないわけではありません。しかし、それを万能として、ポスト真実を打ち倒す、という単純な議論は成り立ちません。ポスト真実側が、それを認めなければ、それ以上押していくことはできなくなります。

 それでは、どうしたらよいのか。それはSNS的な言論と正反対のことをすることです。その場限りの瞬間だけの軽い言説に対して、時間の中で熟させるという手間暇をかけるということです。どんどん問題を移っていくのではなく、一つの問題にじっくりと時間をかけて取り組むという反時代性を徹底することです。それによって、瞬間的に消えてしまう言説ではなく、歴史の中に根差した重さを獲得することができるのではないでしょうか。少なくとも私としては、そのように、時間の中で成熟し、立ち上がってくるものに立脚したいと思うのです。

 ところで、問題がなんだか大きくなってしまいましたが、最初に問題にした新聞記事を考えるのに、どうしてそんな回りくどいことが必要なのか、と問われるかもしれません。しかし、その記事はもともとTwitterから情報を得て出発してものであり、感情に訴え、「真実」を拠り所としない、意図的なフェイク記事という点で、きわめて現代的、ポスト真実的な報道になっているように思います。それをじっくり考えてみるのは、決して無意味なことではありません。

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コメント

すばらしいです(皮肉ではありません)。ぜひ最後まで、西村 玲さんのような方は、報われないのか、教えてください。
インターネット上の記事を読んでいると、頭が腐りそうです。(これもそうだ、とか言って勝ち誇る輩ばかりなので。)

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