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2011年10月23日 (日)

メモと近況

 これ以上ネット上には書かず、今後、印刷物の場で意見をまとめていくということで考えていますが、堀江さんから大学の授業でも使っていただいたとのことで、貴重なご意見をいただき、有難うございます。なかなか僕のような考えは理解されにくいので、時間をかけて整理していかなければなりませんが、いくつか思いついたことと、今後の予定など記しておきます。

1、石原発言問題とごっちゃになったため、政治的なアジテーションと誤解されたところがある。あくまで、それとは切り離して、哲学・宗教的な問題として考えるべきである。

2、その場合、自然科学者と同じように、「地震」が自然現象としてのプレート移動によるものかどうか、ということを議論しても仕方ない。「震災」の捉え方を問題にしているのであって、自然現象としての「地震」の原因を云々しているのではない。

3、問題は、自然という他者とどのように関係するか、ということである。他者とは、これまでも拙著にしばしば論じてきているように、合理的なコミュニケーションが不可能でありながら、関わりを持たざるを得ない何ものか、である。

4、そのような「他者としての自然」と関わるには、一方で、自らのあり方を反省する必要があり、他方では、「他者」に対して、どのように処遇するかが問題になる。

5、そのことは、「自然現象だから仕方ない」というような無責任な態度でなく、今後も起りうる災害に対してどのように対するかという、将来へ向かっての問題にも絡む。

6、このように考えれば、「震災は天災、原発は人災」というような二分化は成り立たない。

7、思想史的に見ると、仏教理論としては、「業」をどう考えるか、ということがひとつの問題となる。もうひとつは、日蓮の善神捨離説である。他に、中国の天人相関説があり、「天罰」というのは、それを受けて室町期に天道説などと関連して形成されたようである。

8、それらを、単に過去の説として見捨てるのではなく、近代的な合理論が通用しなくなった中で、もう一度その意味を考え直す必要がある。

9、「震災」に対して、「無常」ということが一部の人たちによって言われたが、原発問題をみても、あるいは、なかなか被災地の瓦礫も片付かないことを見ても、「無常」で片付けるべきではない。むしろ、「無常」が通用しなくなった状況にどう向うか、という問題である。

10、議論の方法として、相手の意見も聞かずに、一方的にバッシングして、議論を封ずるような方法は、絶対に認めず、それに対しては断固闘う。

 以上、これだけでは納得していただけないと思いますが、このような方向で理解していただけるように書いたり、発言していきたいと思います。

 今後の予定として、現在、日本の自然観の歴史の論文を執筆中で、来年はじめには、日本の災害観の歴史について書かなければなりません。それらで、歴史的なことを整理してみます。来年予定している拙著の中でも、とりあえず論争を簡単に振り返るようなことは書きたいと思っています。日蓮宗でもようやく震災論を本気になって議論したいということで、そのような機会に発言することも出てきそうです。できれば、今後、反対論者にも加わっていただいてシンポジウムができるようにしたいと思いますが、慌てずに、もう少しそのような気運が出てくるのを待ちたいと思います。もし時間が調整できれば、授業に参加して、学生さんと議論してもかまいませんが、時間の調整が難しいかもしれません。

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コメント

現在、ダライ・ラマ法王が来日されていますが、高野山での質疑で「地震や原発の事故は何の因果か」という質問があり、法王さまが回答されたようです。私は今回高野山には行かなかったので直接聞いてはいないのですが、報道で知りました(下記の毎日新聞の記事など)
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20111101ddlk30040439000c.html
そのあと、ダライ・ラマ法王の公式サイト(dalailama.com)で映像が公開されました。youtubeで見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=ex3shbLEnBw
1:55あたりに「地震や原発の事故は何の因果か」という質問があり、それへの回答が述べられています(回答はチベット語。日本語通訳あり)。
これで議論のきっかけとなったダライ・ラマ法王のお考えに関しては明瞭になったと思います。
ただ、これは学問仏教的な回答で、民衆の受け止め方としては、佐藤剛裕さん(面識あります。中沢新一さんの中央大学での教え子で、今はネパールで民衆信仰の調査をされているようです)が『サンガ』に書かれているのに近いものになるかと思います。
仏教的には、神々への祈りや供養は、果を一時的に受けることを延ばすことはできるが、因となるカルマそのものをなくすことはできないと説明されます。
これはどちらが正しくどちらが間違っているということではなく、物事は重層的で説明も様々なレベルで説明できるということだと思います。
一時的に延ばすだけとはいっても、地震などが起こらないにこしたことはないので、実際、何年か前に亡命政府のあるインド・ダラムサラで、大きな地震が起きることを各宗派の高僧が予知し、法要がおこなわれるということがありました。もしかしたら4月の追悼法要で法王が唱えられた「大地の女神への祈り」は、その際に使われたものかもしれません(確認はしていません)。ダライ・ラマ法王による追悼法要以前にも、日本の法王事務所が主催しておこなった震災法要で、すでに唱えられていました。
もちろん、これはチベットの考えで、スリランカ仏教でどう理解、説明するかは、また別の問題です。
個人的好みとしていえば、重層的なチベットや明治以前の日本の神仏習合的な考えの方が、肌にあっていて、(日蓮その人の思想はまた別に考える必要があるのかもしれませんが)原理主義的傾向の強い日蓮主義や、 テーラワーダの伝統を継承するというよりも釈尊原理主義的な傾向の強いスリランカ仏教というのは、(どちらもほとんど知識がなく、あくまでも印象ですが)違和感があります。もちろんこれは個人の好み以上のものではありません。
先生のお考えは、震災を仏教ではどうとらえるかということよりも、文明論的方向に発展されているようなので、現在のご関心とはもうずれてしまっているかもしれませんが、前にコメント欄に書き込みさせていたご縁で、この場で紹介させていただきました。

 吉村さんからのダライ・ラマ法王の発言について、ていねいなご教示有難うございます。だいたい納得できることのように思います。
 僕も別に文明論の大風呂敷を広げるつもりはありません。自分なりに理解した仏教の理論にとこまでも基づいているつもりです。ひとつは、人間の責任をどこまで明らかにできるかと言うことで、これは、個人の業ではなく、「共業」(ぐうごう)として理解できると思っています。もうひとつは、自然とどう付き合うかということです。冷たい機械的な自然に対して、機械的に対処する(津波が来るから、それより高い堤防を作るというような)のではなく、生きた自然(それはある場合には恐ろしく、ある場合には親しい)とどう付きあうか、と考えるほうがよいのではないか、ということです。
 上座部の仏教はよく知りませんが、恐らく民衆の仏教には、もっと自然と付き合うという考え方(例えば、樹木崇拝など)があるのでないかと愚考します。
 僕には、「自然災害説」はどうしても分からないのですが、多くの方が採用している以上、きちんと議論することが必要と思っています。自然災害説側の意見をもっと聞きたいと思っています。

末木 文美士 先生
吉村 均 先生

川口英俊でございます。

勝義方便に関するまとめが遅れておりまして大変に申し訳なく存じております。

ダライ・ラマ法王猊下の高野山大学記念事業・大阪特別講演に参加致すなど、この度のご来日での法王猊下のお考えをネットを通じても一通り拝聴致してからのまとめをと考えておりましたもので遅滞致しております。

これまでのまとめへ向けましたメモは以下のようにございます。

#勝義方便メモ まとめNO.1
http://togetter.com/li/200586

吉村均先生お示しの10月31日の高野山で行われた法王/管長と僧侶たちとの対話(http://t.co/CFbo3hie)と共に以下も「業論」について考える上で幾つかの視座がございますものをご紹介させて頂きます。

ダライ・ラマ法王談話:ダライ・ラマ法王石巻慰霊法要を終えて(文殊師利大乗仏教会)
http://t.co/RdbT2Oct

【ダライ・ラマ法王自由報道協会記者会見】2011.11.07アーカイブ
http://t.co/rDLVWTIN

でございます。

仏教の「業論」につきましては、拙自身、この度の法王猊下のお考えを思惟致し、また、関連著書で復習を致しております中、少しの理解の前進を得られたように存じております。その理解も併せまして、早期に勝義方便に関するまとめを仕上げて参りたいと存じておりますので、宜しくお願い申し上げます。

川口 英俊 拝

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