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2011年8月23日 (火)

天罰論再考

 遅ればせながら、『サンガ・ジャパン』第6号「震災と祈り」特集号を読みました。

 そこには、震災に対するいくつかの宗教からみた見方が提示されています。

 第1は、震災を純然たる自然現象とみる見方。これは、佐藤哲朗氏の立場(「東日本大震災は「天罰」なのか? 『大般涅槃経』から読み解く初期仏教の「地震」論」)です。氏は、『大般涅槃経』に出る地震の原因に関する説を検討し、そこには二つの原因があるとします。第一は自然現象。第二はお釈迦様を賞賛するために地の神々が大地を揺るがした時。ところが、お釈迦様はもういないので、第二の可能性はなく、そうなると地震は純然たる自然現象以外ありえないと結論します。

 島田裕巳氏は「東日本大震災は天罰か?」で、天罰や祟りのような災害観は中世のものであって、現代では成り立たないとしています。

 以上の二人が、災害を自然現象とみなすのに対して、その奥に人間を超えた力との関係を見ようとするのに、大澤真幸氏(「オウムから原発へ」)と、ダライ・ラマ(佐藤剛裕「ダライ・ラマの慈悲とチベットの大地母神」)の説があります。

 大澤氏は、「天罰」という見方は否定しながらも、大震災(津波)をノアの洪水と比較し、そこに「神の超越性を残存させる」としています。また、原発事故をヨブ記と比較しています。もっとも氏の見方は、結局のところ、どうも聖書の見方を否定するような結論になっているようです。

 それに対して、自然を超えた力をはっきり認めて、それとの関係の重要性を説いているのが、佐藤剛裕氏の紹介するダライ・ラマの立場です。チベットの人たちの地震に対する理解は、「我々人間の自然に対する負債が積もり積もったため、返済を余儀なくされたのだ」というものだと言います。そこで、ダライ・ラマの指導下で、チベット仏教の僧たちは、地震に際して、「大地の主と四大の女神たちへの供養文」というのを読むそうです。それは、「自然に対する負債を返済して対称性を保とうという古い考え方」に基くものです。佐藤氏の論述をもう少し引くと、

「仏教を新しい土地に広めようとした人々は、これらの神々を力によってねじ伏せるような方法をとりませんでした。寺院などを建設するというような、土地から便益を一方的に享受するだけでは土地を司る神々の怒りや嫉みを買ってしまう。つまり自然に対する大きな負債が発生するのだととらえていたのです。だからこそこのような供養の儀礼で、償いとして神々を饗宴に招いて酒や肉などを振る舞い、共に歌い踊ることによって、女神たちに母としての慈悲を垂れるように、つまり菩提心を起すようにと祈るのです。」

 この見方はまったく納得のいくもので、僕も賛成です。日本の仏教もじつは長い間、このような見方をずっとしてきましたし、僕はその見方を今でも生きていると考えます。その点で、このような見方を中世的として否定する島田氏と異なります。また、神々が常に慈悲だけの存在で、人々に苦痛を与えることがないとする佐藤哲朗氏の説とも異なります。

 神々は、人々から苦しめられれば、呻くこともあり、暴れることもあります。だからこそ、漁師も農民も、自然と対話しながら、自然をいじめないようにと努めてきたのです。ところが、都市化と過疎化の中で、自然はどんどん破壊され、人々は自然の中の神々との対話を忘れてしまいました。自然は単に自然現象としてしか見られません。それでよいのか、というのが私の問いかけです。ダライ・ラマだけが、その点をきちんと見据えているように思います。僕はダライ・ラマに賛成です。

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コメント

ボクを厳しく批判したみなさんが、まったく同じことを言っているダライ・ラマを黙認していることが不審です。ぜひ厳しい批判をしてください。

川口英俊でございます。誠に失礼致します。

この浅学菲才の未熟者、以前は、【大震災・空と縁起と】(12-72)として、天罰論に関しましての私見を投稿させて頂きました。

この度は、その続きとなるツイッターでの発言をこちらの方にも少しまとめさせて頂きまして、コメント掲載をさせて頂きました。どうかご叱正、ご批正の程を賜れますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

1)「天罰」も「天佑」も、最終的には、私たちの意識作用・概念作用・思惟分別作用によって仮名・仮説・仮設されて一応はあり得ると言えるのかもしれませんが、もちろん、どちらも実体としてはあり得ないものと考えております。

2)自然の営みを「原因・条件と結果の依存関係」・「部分と全体の依存関係」という「縁起」においては、幾分か世俗諦的に社会共通の世間一般に認められている概念の範疇で、「天罰」・「天佑」として言えることがあるとは思います。

3)自然の奥底に神仏が関わっていると仮定して、それら神仏に対して敬虔な信仰にて安寧を祈願・祈祷し、供養しているからといっても、(分別によって一応、仮名・仮説・仮設してあると言える)災害・厄災が回避できるかどうかは、正直疑問です。

4)それよりも、自然と私たちとの縁起関係を理解することで、自然の恵み・大切さ・有り難さへの感謝を育み、私たちは生かされて存在することができているということをしっかりと再認識することが求められるものであると考えております。

5)そして、その再認識により、親切や思いやり・いたわりの心、慈悲や利他の心を滋養することとなれば、佐藤哲朗先生のおっしゃられるように「菩提心」の想起にも繋がり、多くの利益(りやく)をもたらすこととなるのではないかと存じております。

6)3と関連して、例えば「災害・厄災という苦」を、実体として私があると我執にとらわれている者における「死苦」に置き換えて考えてみてもわかりやすいのかもしれません。そのような「苦」を回避することは当然にできないものであります。

7)ただ、自然の奥底に神仏の存在を想念することによって、出離、菩提心、慈悲・智慧を滋養する契機になることまでは、私も否定は致しません。それらを滋養するための神仏(無実体・無自性・無自相ですが)の存在の想念は大切であるとは思います。

8)ダライ・ラマ法王猊下も深遠なる空と縁起の了解によるご見解を前提となされて、出離、菩提心、慈悲・智慧を滋養させることの契機となるための(想念による)神仏の存在まではご否定なされないのではないかと僭越ながらも存じております。

・・以下、これまでの考察

【大震災・空と縁起と】(1-11)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52002925.html

これまでの天罰論に関しましての私見関連考察 【大震災・空と縁起と】(12-47)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52007858.html

天罰論に関しましての私見関連考察、【大震災・空と縁起と】
(48-72)・完結
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52009321.html

・・以下、関連考察

『東日本大震災に思う』 平成23年度・お盆施餓鬼法要・配布用資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/28c0cc5975d7b67227e085443ad9053f

『空と縁起と』~仏教の存在論~  平成23年度・秋季彼岸施餓鬼・配布用資料
http://t.co/wHL7TR0

コメント、有難うございます。もちろん、実体的な存在はないということは前提です。実体的な発想は今日の哲学では通用しないもので、その意味で仮名・仮説といってかまいません。ですから、別に実体としての神に祈れば、実体的な結果が出て災害がなくなるというつもりはありません。神社やお寺でお祈りする人も、そうは考えないでしょう。そうではなくて、問題としたいのは、他者にどのように関わるかということです。例えば、目の前にいる人は、縁起で五蘊が集まっただけですが、その人と話をする時、五蘊と話をしているわけではありません。そうではなく、一人の人として対応するはずです。それは、海や山に対する場合でも同じではないかと思うのです。漁師にとって、海はただの水ではなく、農家にとって、稲はただの植物ではなく、畜農家にとって、牛は肉をとるだけの道具ではない、ということです。別に、神や仏が、あたかもモーターを回して、あるいは爆発装置を動かして、大地を震わせ、それで地震を起こすのだ、というつもりはありません。ただ、自然を機械的な運動と見たくない、ということです。完全にではありませんが、ほぼ川口さんのご意見は適当と思います。

末木 文美士 先生 様

この度は、この浅学非才の未熟者なる拙僧に対しまして、ご丁寧なるお返事を賜りまして、誠に恐縮致しております。

先生に御教示賜りました「他者にどのように関わるかということ」。

誠に「縁起」の理解による実践の要諦に関わることであると存じております。

仏教においては、空と縁起の理解から、真摯に、智慧、慈悲、平等なる心において「他者」と関わっていけるような実践ができていけるかどうかが、問われるものではないかと僭越ながらも存じております。

更にこのことにつきまして、私なりにも論考を深めて参れましたらと考えております。

どうか、今後ともコメント投稿のご無礼をお許し頂きまして、意見交換並びに、様々にご教授を賜れますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

川口 英俊 九拝 合掌

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