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2011年8月 8日 (月)

五山送り火と放射能問題

 京都の五山送り火に、震災で倒れた陸前高田市の松にメッセージを記して燃やす計画が、放射能汚染の不安があるということで中止になったということです。保存会側は、市民の反対があり、不安があるからという理由で中止にしたということです。しかし、調査で、放射能汚染は全くなく、風評以外の何ものでもありません。もし証拠がないけれども不安があるから、というのが理由になるのならば、それこそ、福島の子供と遊んでも放射能がうつるはずはないけれども、それでも不安があるから付き合うな、という論理が正当化されることになります。京都に移り住んで、伝統の行事に心慰められていましたが、この措置には唖然としないわけに行きません。

 しかも、反対というのは、メールやファックス数十通に過ぎないということです。その措置に対する批判反対もまた、数十通あるということですので、なぜ中止側の肩を持つのか、理由が分かりません。五山送り火の保存会は京都市とも関係を持った公的な組織であり、それがそのような風評を公的に認めたということは、画期的な大事件です。京都は差別の強い土地だということは以前から聞いていましたが、あまりにひどすぎる話です。

 京都市長は、その反応に驚き、一部の薪を京都に持ち帰り、送り火と別に燃やすということですが、これもよく分からない措置です。どうして、送り火と別にしなければならないのか、その理由が分かりません。差別を正当化することになるだけです。慰霊や追悼に差別があってはなりません。

 これでは、折角の伝統の送り火も心安らかに見ることはできません。五山送り火で震災の被害者を追悼する計画もあるそうですが、そんな偽善的なことはしないほうがよい。あまりに被災者を馬鹿にした話で、被災者を傷つけるだけです。そんな差別で慰霊されるはずがないでしょう。

 仏教はこのような差別の正当化に手を貸してはなりません。仏教界は五山送り火に非協力の態度を明確にすべきです。今年の五山送り火は、本当に悲しい行事になりそうです。

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コメント

全く同感です。悲しくてたまりません。木の幹の内部の木材であり、素人目に見ても放射能の影響は低いと思われます。京都市と京都市民はこの件をどのように考えているのか、聞いてみたいものです。

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