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2011年5月15日 (日)

自然はただの自然か?(1)

(ネット論争の結果、分かったことは、自然をただの自然と見るのか、その奥に何ものか、他者的なものを認めるか、というところが最大の論点だということです。ボクはどこまでも後者の立場に立ちます。以下、現在準備中の本の一節ですが、ちょうど関連します。やや長いので、2回に分載します)

 日本に近代的な「自然」の観念ができるのは、もちろん近代になってからのことである。それまでは、自然世界のことは、天地などと呼び、その法則は、天理・道理などと呼ばれた。天地は我々の生活が成り立っている場であり、客観視された自然と違い、我々に恩恵を与えるものであり、天地の理法は自然法則というだけでなく、道徳の原理ともなるものであった。

 「自然」という言葉もあるが、これは自ずからなるに任せることで、老荘思想に基き、仏教にも取り入れられた。『老子』に、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」と言われているように、天地のもととなる道の根源的なあり方である。人為を取り去り、天地の道理に一体化するもっとも高い境地を意味する。このように、「自然」は外界の天地のあり方であるとともに、人間の理想のあり方でもある。「無為自然」という言い方がよくなされるが、人為を加えない「自然」のあり方をさらに明確化している。親鸞が「自然法爾」という言葉を用いていることはよく知られているが、「行者のはからひ」を否定して阿弥陀仏に任せることを意味している。

 その「自然」が、近代になってnatureの訳語として用いられることになった。この近代的な自然は、ヨーロッパの伝統を受けて、人間の倫理や宗教的なあり方とは切り離された純粋に客観的な存在とみなされた。そのような「自然」の観念は、十九世紀の終わり頃にかなり普及し、それは科学のみならず、知識人の自然観全体に大きな影響を与えた(柳父章『翻訳語成立事情』)。志賀重昂の『日本風景論』(一八九四)は、日本の自然景観を宗教や倫理と切り離して、鑑賞すべき「風景」として捉えたことで知られるが、そこでは、日本の自然の特徴として、「気候、海流の多変多様なる事」「水蒸気の多量なる事」「火山岩の多々なる事」「流水の浸蝕激烈なる事」が挙げられている。志賀はまた、登山家としても知られるが、宗教性を持たないスポーツとしての登山も、近代の産物である。

 しかしながら、このような新しい自然観は、完全に伝統的なものと切り離されているかというと、そういうわけではない。例えば、徳富蘆花の『自然と人生』(一九〇〇)は、文字通り、「自然」と「人生」を対比させ、「自然」を客観視して賛美する、近代的な自然観に立つかのように見える。しかしそこでは、「自然は春に於てまさしく慈母なり。人は自然と融け合ひ、自然の懐に抱かれて、限りある人生を哀み、限りなき永遠を慕ふ。即ち慈母の懐に抱かれて、一種甘へる如き悲哀を感ずるなり」(「春の悲哀」)というように、自然が人生を包容し、救いを与えるような存在と見られている。ここには、キリスト教的な自然観というよりは、まさしく自然と人間の融合という伝統的な自然観と結びついた発想が入り込んでいる。

 こうした自然による救いは、日本近代の知識人の一つの特徴的な思想となる。そのような典型的な例は、志賀直哉の『暗夜行路』に見られる。主人公謙作は、大山の自然の中で、「自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込で行くのを感じた」ことで、救いを得る。このように、近代の日本の自然観には、独特のものがある。そこでは、一方で自然を自己の外なるものとして立てる西洋的な自然観を受け入れるとともに、その中に自己を融解させることに救いを見出す。自己主張ではなく、自己を大きなものの中に解消することを求めるのである。その自然は、生命のわいせつさを除去した、きわめて抽象的、観念的に理想化され、純化されている。親鸞の自然法爾も、このような観点から見直されることになる。それが、日本的と言われる「甘えの構造」を作り、天皇のために自己を捨てるという発想につながるのである。

 そのような近代日本の自然観の流れの中にあって、異色なのが南方熊楠である。南方は独学で粘菌学、生態学などの自然科学の領域に成果を挙げたが、科学信仰に陥ることはない。彼によれば、「科学というも、実は予をもって知れば、真言の僅少の一分に過ぎず。ただその一分の相を順序づけて整理し、人間社会を利するに便するをいうに過ぎざるなり」(明治三六年七月一八日、土宜法龍宛)と、その限界が指摘される。そこには科学信仰が成り立つ余地がない。「顕」の世界の理法である科学は、「冥」の世界に広がる真言の中に含み込まれる。それ故、「人間の智識をもって絶対の真理を知らんなどは及びもつかぬこと」(昭和六年八月二〇日、岩田準一宛)である。

 その自然観は西洋的な外なる自然というものとは異なり、自分たち人間もその一部であるような生きた自然である。「今の学問は粘菌と人間とはまったく同じからずということばかり論究序述して教えるから、専門家の外には少しも世益なきなり」(同)と、人間と粘菌を同類のものと見ている。南方が研究対象として選んだ粘菌は、動物とも植物ともつかず、生命体のようでもあり、無生物のようにもなる曖昧で境界的な存在である。それ故、「人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰様の半流動体と蔑視さるるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見解がまるで間違いおる」(同)ということになる。

 人間の目で見られたことは、浅薄な見方に過ぎず、別の目で見れば、生のように見えることが死であり、死のように見えることが実は生であるかもしれない。それ故、「有罪の人が死に瀕しおると地獄には地獄の衆生が一人生るると期待する。その人また気力をとり戻すと、地獄の方では今生まれかかった地獄の子供が難産で流死しそうだとわめく。いよいよその人死して眷属の人々が哭き出すと、地獄ではまず無事で生まれたといきまく」ということも、ありえないことではないのである。「顕」だけしか見ない目には、「冥」の世界は分からない。痛快な世界観である。

 世評に高い「南方曼荼羅」も、このような視点から見られるべきである。「不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり」(明治三六年七月一八日、土宜法龍宛)と、不思議に五種類を立てる。事不思議は科学で解明され、心不思議は心理学などで解明され、事不思議は数学で解明される。理不思議はその奥にあるものであるが、これら四つの不思議は「不思議とは称するものの、大いに大日如来の大不思議とは異にして、法則だに立たんには、必ず人智にて知りうるものと思考す」(同)。即ち、「顕」の領域に属するものである。いわゆる南方曼荼羅の図は、この四つの領域の中での事理の錯綜した関係を示すものである。

 ところが、「大日如来の不思議」は、それらすべてを超えている。「すべて画にあらわれし外に何があるか、それこそ、大日、本体の大不思議なり」(同)と言われている。このように、南方によれば、大日の不思議は図示できないという。しかし、果たしてそうであろうか。法則で説明できない「冥」の世界を明らかにするのが、本当の曼荼羅ではないだろうか(南方自身は、自らの図を曼荼羅とは呼んでいるわけではないが)。

 南方が、神社合祀に反対したことはよく知られている。「目前の私慾に目がくれ、祖先以来崇敬し来たれる古社を潰して快とするようなものは、外寇に通款し内情を洩らすほどのことを何とも思わぬこと当然なり」(明治四四年五月二五日、柳田国男宛)と憤慨している。神社の森にはさまざまな動植物が繁殖する。それを取り潰して人間の勝手にするのは、まさしくそれらの生物を絶滅させることに他ならない。南方の発想をエコロジーということはできるかもしれないが、その根底にあるのは、人間や動植物だけでなく、地獄やその他の異界をも含む大日の不思議の世界である。

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