2019年5月16日 (木)

死者を利用してよいのか

 朝日の新聞記事は大きな反響を呼び、それはなお続いているようです。それに対する私の意見はすでに書いた通りです。要するに、この記事は大事な点で事実と異なるところがあること、記者の作ったストーリーに合うように強引に彼女の死が意味づけられていることを、最大の問題点として指摘しました。それに対して、ツイッターやブログのコメントで様々な意見をいただきましたが、多くは私の抗議に否定的で、記事を支持するものでした。果たしてそれでよいのか、もう一度改めて問題提起いたします。と言っても、彼女のことについては、これ以上書きません。亡くなった方についてあげつらうことはすべきでないからです。ですから、あくまで一般論として論じます。

 要するに問題は、はたして自己の目的の達成のために死者を利用してよいのか、ということです。これまで出ているご意見は、基本的には、記事は大事な問題を提起したのだから、それでよいのではないか、それに抗議するのは、その問題を隠蔽したり、否定したりすることになる、というものだったと思います。

 一人の人間の死は重いものです。そして、それだけ誰に対しても訴えるところが大きいものです。最近の子どもの虐待死のことや、運転誤操作による交通事故死の問題、あるいはいじめによる自死、あるいは過労死による自死など、様々なニュースが報道され、死者に同情が集まるとともに、それに伴う社会的問題が提起されています。そうした問題をきちんと報道し、問題を提起するのは報道の大事な役割です。

 しかし、人間は複雑なものですし、自死の直接の引き金ははっきりしていても、それ以前の因果関係ということになれば、複雑であって、必ずしも一つに断定できません。そのことは、記者も取材の中で知っています。そのことを承知の上で、報道が一つの原因だけを直接的な原因として断定してよいのか、ということです。つまり、B(それ以前の原因)⇒A(直接の原因)⇒自死、というふうに一直線に確定して、だからBが問題だ、というふうに決定する権利を、報道は持つのでしょうか。

 例えば、いじめによる自死の場合とか、過労死の場合であれば、直接の引き金となった問題、つまりAが問題とされるわけで、それは明確です。けれども、Aに至るその前の原因まで求めるとなれば、BCDEetc.といろいろな要素が入ってくるので、それをBだけ取り上げて、直線的にBA⇒自死、と決めつけてよいのか、ということです。

 それに対して、今回の記者や、そして多くのその支持者の方たちは、Bという大きな問題を提起したのだから、それでよいのではないか、というものでした。しかし、私ははっきりそれに反対します。死者はかけがえのない、自分だけの生を生き抜いたのであり、その生は、ほんとうにさまざまな要素をもって、喜びも苦しみもすべて含みこんでいたものです。中途で不本意に倒れましたが、充実した生を生きたのであり、同情するよりも、まず一途の生とその達成した成果に思いを致し、敬意をもって対すべきだと思うのです。その上で、もちろんその生の中でぶつかったBという問題が、社会的にも大きな意味を持つから取り上げるという手順であれば、それはそれできちんと筋の通ったことです。しかし、その手順が踏まれていなければ、読者は短絡的にBA⇒自死という一直線の因果関係だけをメッセージとして受け取ることになり、その死は、Bを訴えるためだけの死でしかなくなってしまいます。それではあまりに死者に対してひどくないでしょうか。

 私はずっと戦争の死者の問題を自分の課題として追い続けてきています。その中で、『きけわだつみの声』の問題というのがあります。戦没学徒の手記を集めた同書は、戦争のために本来の仕事をなしえないままに、その生を断ち切られた若者たちの心の声として大きな反響を呼び、戦後の平和運動の大きなよりどころとなりました。それはそれで大きな意義がありました。しかし、その後、必ずしも手記をすべて収録したわけではなく、戦争を肯定するようなところもあったのを、カットして掲載したということが問題とされました。それは、当時の時代状況の中で仕方なかったので、それは彼らの本音ではなかったのだからカットしてもいい、という論理もあり得ます。

 しかし、それに対しては、それと全く反対の立場から、靖国神社が出している『英霊の言乃葉』という冊子があります。その中の言葉は、神社の社頭に掲示されています。それは、戦没した方々、つまり靖国の英霊の遺書を集めたものですが、多くは国の為に死ぬことを誇りとして死に向かう心情が記されています。英霊たちの死は、国為に戦争に行くことを肯定し、人々をそちらへと向かわせるはたらきを持っています。でも、彼らははたして本当に戦争を肯定していたのか、本当に国のために死ぬことを誇りにしていたのか、やはり都合のよいところだけを使っているのではないか、という疑問や批判は当然出ます。

 どちらの立場の人たちも、自分たちは正しいのだから、死者は自分たちと同意見のはずだ、正しいことを主張するのに、死者に語らせてなぜ悪いのか、と言うでしょう。でも、やはりたとえ正しいことであっても、死者を利用する、ということは、絶対してはいけないことだと私は思います。もちろん、死者のすべての重みを受け止めた上で、死者の本当に語りたかったこと、死者の求めていたことを、自分の問題として引き受けることは可能ですし、そうしなければなりません。

 つまり、私の言いたいのは、自分のほうでストーリーをあらかじめ作り、その中に死者を入れ込んで、死者のインパクトを感情的に利用することで、自分の主張を社会に訴えるというのは、間違っているということです。震災以後、死者がステレオタイプの中に押し込められ、一人一人の死者の重みが失われて、マスコミのワンパターンでなければならないかのようになってしまっているような危惧を覚えます。

 こんなことを書くと、きっとまた、こいつはおかしなことを言っている、と散々な非難を浴びるでしょう。でも、どんなに非難を浴びても、言わなければならないこともあります。そして、本当に少数であっても、分かってくださる方がきっといると信じます。そして、死者たちもまた、きっとうなずいてくれるものと信じています。

ポスドク問題再考

 博士課程とポスドクのあり方について、補足します。

1、研究員はどのような位置づけか

 博士課程までは学生であり、指導教員がついて指導を受けますが、博士論文が通れば、学生ではありませんので、当然ながら、指導―被指導という関係はなくなります。すぐに終身雇用の研究・教育職に就くことは今日では非常に難しいので、多くの場合、期限付きの助教や研究員のポストに就くことになります。

 研究員には幅があり、学振の特別研究員や正式の給与が出る場合から、科研などのプロジェクトでパート的に雇用され、週1,2回勤務で時間給の場合や、全く無給で名目だけの場合もあります。授業を担当する場合もあります。そのように千差万別ですが、図書館の本を利用できるというような便宜はあり、また、後のキャリアアップのためにも、研究員の名を得ておくことは必要です。

 研究員は、種別的には厳密に規定されているわけではありませんが、基本的には教員と同じに扱われます。ちなみに、研究生というのは学生で、学部・大学院の正規のルート外の扱いになります。従って、研究生は授業料を払う必要があります。

 海外の大学で学ぼうとする時も、学生と研究員とは扱いが全く異なります。学生の場合は留学ということで、向こうでも学生として授業料が必要です。研究員の場合は教員と同じ待遇で、授業料もいりません。留学ではなく、海外研修等の扱いになります。逆に、海外の方を受け入れる場合も、博士号取得前の場合は基本的に研究生(学生)として受け入れ、博士号取得後は研究員になります。(ただし、ある種の基金は、博士号取得前の学生も研究員として受け入れることを要求する場合があってややこしいのですが、それはさておきます)

 

2、ポスドク研究員の研究上の問題点

 研究員の給与などの生活上の問題は、基本的には受け入れ教員側は関与しません。(ただし、科研などの研究費から支出する場合は別です)。そこで、研究上の問題として何があるかというと、博士論文を出したからと言って、ただちに完全に独り立ちで研究できるかというと、なかなかそうはいきません。確かに若くていちばん馬力が出せるときではありますが、理系であれば実験技術とか、文系であれば文献解読とかの基礎力は経験を必要としますので、博士課程を終えたばかりで十分な力を身に着けているかというと、必ずしもそうは言えません。従って、実験結果の読み取りや文献の解釈でとんでもない間違いをしないとも限りません。その時に、学生であれば、指導教員が必ずチェックしますし、チェックしなければ教員側の責任にもなりますが、ポスドク研究員の場合は、チェックなしにそのまま通ってしまう可能性があります。スタップ細胞事件のときもそうですが、論文不正がそのまま見逃されてしまう危険もあります。

 もちろん受け入れ教員の側でも可能な限りのアドバイスはしますし、研究員の側でも多くの場合は自分の力不足のことが分かっているので、授業や研究会に出たり、アドバイスを求めたりするのが普通です。ただ、それは制度的なものではありませんし、義務ではありません。博士論文であれば、おかしいところがあれば落とすこともできますが、研究員の論文であれば、それは完全に自己責任になります。

 

3、ポスドク研究員のレベルアップは可能か

 それでは、ポスドク研究員の場合、制度的に何もできないのか、というと、考慮の余地はあるように思います。現在の大学制度は、大きい大学の場合、学部生から博士課程までの学生をすべて擁し、その上に学振などのポスドク研究員を受け入れるという場合が少なくありません。それでは教員側もとても対応しきれませんし、ポスドク研究員のために特別のプログラムを組むこともできません。

 しかし今日、大学の多様化に伴い、大学院大学のように、学部生のいない大学もありますし、理系の場合はもちろん、文系でも研究所のような形で基本的に学生がいない施設もあります(実際上は、何らかの形で大学院教育にはかかわっている場合が多いですが)。独立の研究所の他に、大学の付置研究所というのもあります。しばらく前から、このような研究所に対する風当たりが強くなって、不要論が言われるのですが、そのような施設は多数の学生を擁する学部と異なり、独自のプログラムを組める余地があります。そこで、若手研究者を活用する余地はまだ十分にあるように思います。

 私は、東京大学から国際日本文化研究センターという小さな研究施設に移って退職しましたが、そこでは教授は共同研究を組織することが義務となっています。その場合は、他組織の研究者を組み込むことができますので、そこに外からもできるだけ多くの若手研究者を入れて、活躍の場を提供するとともに、必要なアドバイスを与えるということができました。そのような形で、ポスドクの研究者がキャリアップと同時に、研究自体をレベルアップできる場をきちんと作っていく工夫が、もう少しできるのではないかと考えます。研究がレベルアップして、それによって、それに見合った職を得ていくというのが、本来のあり方ではないでしょうか。

2019年5月 1日 (水)

大学改革とオーバードクター問題私見

 以下は、すでに現役を去った元教授のごく狭い視野から見たもので、不十分のところが多いと思いますが、ご参考になればと思います。また、誤りや不備のところは、ご教示いただければ幸いです。

 

1、1990年代から2000年代へかけての大学改革

(1)小講座制の廃止と大講座・学科目制へ(1995頃)、関連して、助教授・助手から准教授・助教へ(2007

 旧来の帝国大学の組織は小講座制に拠っていた。それは、教授―助教授―助手各1人で一講座を形成し、もともとはそれに事務員1名が配属されていた。教授が研究・教育の責任者であり、助教授・助手はそれを助ける職務であった。旧帝国大学の文学部の場合、現実的には小講座が複数集まって研究室を形成していたが、それは正式の制度ではなかった。そのために、教授はそれぞれが一国一城の主であり、研究室内で教授同士が口もきかないというようなことも起りえた。

 1995年頃、小講座が廃止され、大講座となり、だいたい研究室単位で一大講座を形成するようになった。現在もその頃の組織がもとになっているが、かなり流動的になっている。助教授・助手が准教授・助教になったのは、大きな変化である。准教授・助教は教授を助けるのではなく、独立して教育研究に携わることになった。従って、現在は職階による上下関係はない。ただし、東大文学部の場合、教授と准教授で教授会メンバーを構成して、助教はそれには入らない。また、助教は任期制の場合が多いので、その点に差がある。助教も教授会に加わる組織もある。

 ただし、研究室が単位となって動くことになり、大学院教育も研究室単位で行われるために、実際には以前のような個人プレーではなく、研究室で協調して対応しなければならなくなり、そのための会議などが多くなった。

(2)大学院重点化(1995頃)

 旧制大学は4年生で、大学院は卒業して研究職を目指すものが籍を置いたが、大学院専門の授業もなかったはずである。博士号は特別なものであり、通常、教授も博士号を持たなかった。新制になって、大学院が組織されたが、実質的には修士課程で修士論文を書くことがいちばんの課題であり、それでひとまず一人前の研究者とされ、博士課程の指導はほとんど組織的にはなされなかった。課程博士も可能であったが、実際にはほとんどなく、博士論文は10年以上かけるのがふつうであった。

 大学院重点化で、大学院が学部と並ぶ正式の組織となり、その方が中心組織となった。それとともに、博士論文を提出して、課程博士を取得することが必須となり、そのための教育に力点が置かれるようになった。また、大学院の定員充足が要請されるようになった。この変化が急激だったために、さまざまな混乱を引き起こした。オーバードクター問題もそれに伴って大きくなった。

(3)国立大学法人化(2002)

 かつては国立大学は国家予算によって運営されていたが、法人化に伴い、運営費交付金と呼ばれる国からの運営費は大きく削られ、また、年々減少している。それに代わって、大学の自助努力が求められるようになった。大学独自で寄付金を求めることが必要となった。それとともに、従来法律で決まっていた大学内の組織が、各大学の判断で自由になり、それぞれ特徴ある大学を目指したり、新しい内部組織を作ったりすることができるようになった。しかし、大学間格差や、同一大学の学部間でも競争が激しくなり、学部間格差が大きくなるなどの問題を生じた。

 

2、以前からのオーバードクター問題

 専門によっては、かつては修士課程を修了すれば、すぐに大学に職を得られるようなところもあった。どこの大学にも設置されている英文学・国文学(現在の日本文学)・国史学(現在の日本史学)などは、売れ口がよかった。それに対して、インド哲学のような分野は、もともと就職口は小さかった。ただ、寺院の子弟が多かったので、修士課程修了後、自分の寺に帰るというコースがあり、必ずしも大学に就職しなくてもよい者も多かった。

 大学院入学の口述試験の際に、主任教授から、「修了しても就職口はないが、それでもよいか。両親は許してくれているか」と問われるのが慣例であった。ただし、これについては、私が助教授になってから、研究室会議で、大学院での研究とは関係ないことなので、不適切な設問ということで、それ以後取りやめることになった。しかし、実態が変わることはなかった。それ故、寺院のような帰る場所を持たない場合は、あらかじめ予備校・塾の講師や、不動産がある場合はその経営など、各自で収入の道を考える必要があった。

 その頃の大学への就職は、公募ではなく、大部分がコネによるものであった。基本的に研究者養成は、旧帝大系か大きな私立大学に限られていたので、それぞれに縄張りがあり、欠員が生ずると、先任者の出身大学の研究室に依頼して、適任者を紹介して、大体そのルートで就職することになった。旧帝大系の教授の仕事の一つは、どの大学のどの教授がいつ定年になり、その時に誰を推薦するか、その順番を決めることにあった。そのために、教授のボス化が起りやすかった。ボスの気に入られなかったために、就職の順番から外されるというアカハラ的なことも少なからずあった。

 

3、改革後の問題:大学院問題

 大学院重点化によって、博士課程の学生の指導教育が大きな課題となった。従来より門戸が開かれたことにより、人数も多くなり、また、課程博士論文が必須となったので、教員にとってその負担はきわめて大きくなった。修士課程・博士課程をあわせると、比較的少人数の専門でも、一人で十数名の指導学生を抱えることになり、その相談に要する時間だけ見ても、非常に長時間を要するようになった。論文の書き方から指導しなければならず、所定の期間で博士論文まで書きあげるように指導するのは、非常に大変なことである。

 大体、修士課程が2年で、1年延長可、博士課程が3年で、2年延長可であるが、それで書けない場合は、休学して時間を稼いだり、退学後1~3年の猶予期間を認めたりする。3年で博士論文はかなり難しいので、実際には5年くらいが普通であろう。その場合、修士・博士を終えると30歳近くなってしまい、それから一般企業への就職は困難になる。また、論文執筆のために、2年くらいは授業にもほとんど出ずに、論文に専念することが必要なため、文献解読などに必要な基礎的な習練を受ける時間的余裕がなくなる。いわば促成栽培的な論文が多くなり、学問的に未熟なまま外に出る恐れがある。

 もちろんよい点もある。学生が多くなることは、それだけ研究室に活気が出ることになり、学生間で読書会をするなど、自主的な活動がなされるようになる。また、博士論文の中には、非常に優秀なものも少なくなく、その能力が若くから引き出され、成果が上がることが可能となった。

 今日、制度が少し落ち着いてきたために、以前ほど無理に定員を充足せずに、ある程度余裕を持たせたり、また、受験生のほうでも、就職の困難が知られて、本当に研究したい人だけが博士課程に進むようになってきている。また、外国人留学生や社会人入学が増えてきているので、その場合は、就職問題と関係ない。学生の多様化は望ましいことと思われる。

 

4、改革後の問題:就職問題

 かつてのような指導教授によるボス的な就職斡旋はなくなり、今日では、公募が主流となってきている。公募情報は、科学技術振興機構のJREC-INで条件も含めて公開されるので、透明性が高くなっている。ただし、応募側の希望と合致する公募が必ずしもあるわけではないし、一つのポストに対してきわめて多数の応募があるので、公募で採用されるのは宝くじに当たるようなもの、と言われている。また、公募ポストは任期付きのものが多いので、任期終了後の再就職の問題が残される。

 すぐに任期なしのポストに就くのは難しいために、博士課程を終えた若手研究者は、多くはまず助教などのポストに就いたり、日本学術振興会(学振)特別研究員として、よりよいポストへのキャリアアップを目指す。今日、雇用規則により、若手の任期付きポストは多く3年程度で、2年まで延長可能というのが多い。学振特別研究員は任期3年である。これは、学振に雇用されるということになるので、正規の就職として扱われる。ただ、実際には、大学などの研究者が受け入れ教員となり、そこで研究に従事することになる。以前は、指導教員のもとにそのまま留まることが多かったが、徒弟的な形になることを避けるために、今日では、異なる研究機関(ただし、同じ大学内でも研究室が異なれば可)となっている。採用期間中には、科学研究費もほぼ自動的に付き、海外研究も認められるために、若手にとって恵まれた環境で研究に専念できるよい機会である。

 その最大の問題は、3年の任期後の保証がないということである。任期中は、専業義務があるので、専門と関係する非常勤講師は可能であるが、それ以外のアルバイトはできない。そこで、予備校や塾教師など、それまでのアルバイトをやめなければならず、任期終了後にはゼロの状態で放り出されることになる。そこで直ちに就職を得られることは、きわめて困難で、再びオーバードクター問題の振り出しに戻ることになる。

 その問題のただちの解決は困難である。今日、学生数の減少に伴い、大学教員のポストは減少している。そこで、いわば軟着陸のために、それぞれの大学ではさまざまな形で任期付きの研究員のポストを設け、ポスドクを受け入れるように努力している。今日、プロジェクト型の予算は増えているので、大きなプロジェクトや、あるいは大きな科研で研究員を雇用することは、以前より多くなっている。ただ、それも任期の上限があるために、プロジェクトを渡り歩くような不安定なままに、年齢を重ねる恐れもある。今のところ、それに対する根本的な解決はないのが現状である。

 

5、今後の見通し

 今後、大学の安定したポストの増大が望めないために、若手研究者の不安定な状態は今後も続かざるを得ないであろう。それに対しては、若手研究者の側では、必ずしも大学という組織に属して収入を得るという形でなくても、ともかく何らかの生活の道を立てながら、研究を進めるという自衛策を取らざるを得ないであろう。

 制度は、もちろん修正できることはすることが必要であるが、ある程度今の制度が定着してきている中で、それをあまり大きく変革することは、かえって再び混乱を招くように思われる。私自身としては、変革前の牧歌的なアカデミズムが好きであり、現役の時代にことごとく改革に反対して、抵抗勢力のように見られ、窓際に追いやられたこともあった。けれども、今さらそのような時代に戻ることは現実的に無理である。それ故、いまの制度をできるだけ柔軟に応用しながら、よりよい道を探っていくほうが現実的であろう。文教予算が増えることは望ましいが、赤字の国家予算の配分の中で、突出して予算を増やすことは難しいであろう。ただ、一部の巨大プロジェクトに多額の予算を付けるような形で、格差化を進めることがよいかどうかは、きちんと議論することが必要であろう。

 今日、大学の専任職は、きわめて多忙化し、かえって自分の研究に専念できないという問題も生じている。このことは、陰に隠れて見えにくいが、非常に深刻な事態である。そのために、皮肉なことであるが、定職を持たない状態のほうが、かえって研究に専念でき、成果をあげられるというような事態も生じている。

 今後、実際に悩んでいる研究者の声がもっと聞こえるようになり、それが新しい方向を生むことになれば、それは大きな意味のあることだと思う。

 

6、研究の中味も大事だ

 ただ、私自身としては、生活手段を得る定職としての大学のポストという経済的な視点も現実問題として重要と思うが、それとともに、本当によい研究を進め、よい研究成果を上げるという中味の問題を、見失ってはいけないと思う。既存の研究の枠や価値観の中で、認められる成果を挙げればよいのかというと、それだけではいけないと思う。博士課程の段階では、ともかく指導教授に従って、その枠組みの中で成果を上げるということにならざるを得ない。また、就職を得るためには、あまり極端にならず、ほどほどのところで学会に受け入れられる研究のほうが認められやすい。だが、それで終わってはいけない。

 本当の研究は、その基本的なパラダイムそのものを疑問視し、問い直し、新たな枠組みを作り出していくところまでいかなければならない。それは時間がかかる困難な道である。長期的な目で見て、本当に充実した成果が期待できる大きな視野を持った研究プランを立て、そこに志を同じくする仲間が集まってくるのでなければならない。一時的な流行ではなく、本当に今後の世界にとって必要な研究は何なのか。その原点を見失ったら、どんなに巨大な予算をとっても、場合によってはそれが逆に人類に悲惨な結果をもたらすことさえあり得る。反対に、明日の生活の保障さえないような中から、珠玉のような本ものの研究が生まれることもあり得る。

 私が若い頃、環境問題を追及していた工学部の名物助手宇井純が自主ゼミを行なっていた。実利的には何の役にも立たず、むしろそれとは逆なのに、毎回百人を超える聴衆が、学生も社会人も集まり、熱気にあふれていた。その中で、宇井は、かつて戦時下のポーランドで、大学が閉鎖され、それでも学問をしたい学生たちがあちらこちらに集まり、熱気に満ちた研究を続けていた例をモデルとして、しばしば述べていた。確かに1970年前後の全共闘の運動にもそのような理想があったかもしれないが、彼らは大学という組織の解体をめざすことで、その中味を忘れて崩壊した。社会に不要な学問はいらないという彼らの主張は、皮肉なことにそのままそっくり政府の側の主張に採り入れられ、実行に移された。それが大学改革であった。

 しかし、すぐに社会の役に立つ学問だけが学問なのだろうか。あるいは、ノーベル賞を取るような研究だけが優れているのだろうか。一見何の役にも立たず、世間から嘲笑されても、それでも本当に価値のある研究というのもあるのではないか。危機の時代だからこそ、本当に将来に目を据えた、本物の学問を、制度やお金の為でなく、築いていこうということは、単に夢物語なのだろうか。

 私自身はすでに現役を去った一老人に過ぎないが、それでももし志を同じくする若い人と一緒に、未来へ向けて希望の持てる研究をともにする場が持てれば、とても幸せだし、実際、多少の試みはしている。最初はごくささやかで、夢のような話だと馬鹿にされても、いつかは本当に世界を変えることのできる研究だって、決してありえないことではない。実際、そのような研究に資金を投ずる民間企業もないわけではない。必ずしも国だけを頼らなくても、道はあるのではないか。八方ふさがりのような時代だが、それでも希望は捨てなくてもよいと信じている。

2019年4月23日 (火)

西村玲さんの記事に関してご意見有難うございました

この度の朝日新聞の記事に対しては非常に大きな反響があり、また、私の抗議文に対しても、コメントやTwitterで様々なご意見を頂き、有難うございました。本当は書くことのできないもう少し複雑な事情もありますので、単純化したきれいごとのストーリーにまとめて、彼女を悲劇のヒロインに仕立てることには、私は反対でした。ただ、こういう形で問題が提起され、若い研究者の就職や研究のあり方に議論が絞られるとすれば、それはそれで、私の身近にも実際にそのような研究者が多くいますので、それを現実としてあきらめて受け入れるのでなく、何か突破できる道があるのであれば、考えていかなければなりません。それが彼女に対して多少なりとも応える道でしょう。近く小宮山記者とも会いまして、積極的な対応の道を一緒に考えたいと思っています。今回の一回の記事で終わりでなく、長期的な目で考えていかなければなりません。どうぞ皆さまにもこれで終わりでなく、関心を持ち続けてください。必要に応じて私のほうでもまた発信します。

ちょうど彼女の最後の仕事である井筒俊彦『東洋哲学の構造――エラノス会議講演集』の翻訳が出ました。彼女の専門であった近世仏教思想に関しても、これから研究を深めていかなければなりません。

なお、いただいたご意見に対して、多少コメント的なことを付させていただきます。

九州大学での火事の記事、教えていただきましたが、悲惨な事件は過去にもありました。1987年に広島大学で、助教授に昇進できなかった助手が学部長を逆恨みして殺人に及んだ事件でした。Wikipediaに広島大学学部長殺人事件として出ていますので、ご覧ください。

それから海外の例ですが、ドイツにも同じような問題があります。私の知っている範囲でも、助教までしながら、その後定職が得られなかったり、研究と無関係の仕事に就いた方を複数知っています。アメリカの場合は、大学の数が多いので、他に較べれば、大学への就職の門戸はかなり広いようです。それでも、就職できない方もいます。それと、アメリカでは、たいていは任期付きの助教授で採用され、その後テニュアの准教授に昇進するという2段階になるために、後者の段階で落とされる可能性があります。実際にそのような例を知っています。ただ、その方は他のやや条件の悪い大学に移ることができたので、全く放り出されたわけでもありませんでした。

 

2019年4月19日 (金)

朝日新聞小宮山亮磨氏の記事に関する私見

 8年近く放っておいたブログが、今でも残っていたことに自分でも驚いていますが、久しぶりに記事を書きます。

 朝日新聞(大阪本社版)2019年4月18日朝刊に「若手で受賞 でも20超す大学不採用――研究者は追い込まれていった」という記事が掲載されました。一面と、さらに続きが33面にも出る大きな記事です。執筆者は小宮山亮磨記者です。じつはそれ以前にネット版にも掲載されていました(多少違いがあるようですが)。概要は以下で読めます。

 https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

私の名前が出るところから、何人かの方から私宛にも問い合わせをいただきましたので、私の意見を表明するほうがよいと考えました。小宮山記者には事前に本稿を送り、誠意あるご返事をいただきました。私としては、決してケンカを売るつもりではなく、あくまでも私の意見を述べ、議論を進めたいという意図ですので、その点、誤解のないようにお願いいたします。

    *

 はっきり言って、この記事は不適切なものであると考えますので、以下私の意見を記し、同記者に抗議します。簡単に言えば、記事の中の事実に大きな誤りがあるわけではないのですが、一部の事実のみを記すことで、あらかじめ用意した結論に無理やり結びつけるという手法であり、読者をミスリードするものです。

 まず経緯ですが、事前に私に対して電話取材がありました。その時に、無理に一方的な結論に結び付けようとする誘導尋問的な語り方でしたので、そのように単純な問題ではないことを申し上げ、下記のような問題点も指摘しました。死者を自分の都合のよいように利用するということは厳に戒めるべきことであり、できるならば記事にしないでほしい旨、要望しました。ただ、それ以上は私にできることではなく、従って、私がしゃべったことを断片的に談話として使うことは拒否しました。ただ、私の書いたものから引用するのは、すでに公表したものですので、私としても拒否できませんので、記事には引用として私の言葉が出ています。しかし、出典を明記していないので、この掲載の仕方は不適切です。また、本来このような人の死と関係する複雑な問題は、きちんと対面取材すべきであり、電話で簡単にコメントを取って、自分に都合よく使うというようなことをすべきではありません。

 ちなみに、私はN氏が学振の特別研究員の際の受け入れ教員であり、それ以後、アドヴァイスは行っていますが、正式の指導教員ではありません。ただ、ずっとさまざまな場で共同研究を行ってきました。従って、記事に「指導してきた」というのは厳密には間違いですが、私も電話取材で「指導」という言葉を使ったところもありましたので、これは私が誤解を招いたところとして訂正します。

 ここでこの記事の問題点ですが、確かに取り上げられたN氏(享年43歳)が、安定した収入を伴う研究・教育職に就いていなかったことは事実です。そのことが精神的な不安定を招き、その後プライベートな問題で自死に追いやられたということも、まったく間違っているとは言えない面があります。ただ、人の生死を無理やりに一つの原因に結び付けるのはしてはならないことです。しかし、小宮山記者は、記事自体の中では、N氏が死に追いやられた事実を追うように見せながら、最後のところで「博士急増でも教員ポスト増えず」「国の交付金減り大学は財政難」という、現在の大学の問題を取り上げて、結局はN氏の死を、国の大学政策に結び付けるという方向付けを与えています。もちろん、今日の大学政策がいいとは言えません。この部分に関する限り、この指摘はこれで正しいところもあります。しかし、N氏の自死を現今の大学政策批判に直結させ、後者を結論として出すためのインパクトのある実例として、N氏の自死のことを利用したという形になっています。これは完全にミスリードで、認められません。

 まず指摘したいのは、小宮山氏は、N氏の問題を大学問題一般の問題に解消し、それを近年の大学政策を批判するという文脈に結び付けていますが、これは不適切です。N氏の研究分野は、日本思想史であり、そのなかでも近世の仏教思想を専門としています(このことは記事に書かれています)。従って、仏教学や宗教学とも関係するもので、その方面の学会でも発表しています。私自身は仏教学が専門であり、その方面から日本思想史や宗教学とも関わっています。私は、東京大学の印度哲学(現インド哲学仏教学)研究室の出身であり、その教員として学振特別研究員のN氏を受け入れました。しかし、この分野は最近就職がなくなったというのではなく、創設以来、就職の困難な領域でした。私自身も、大学の助手(いまの助教)を3年務めた後、任期で退職し、その後、安定した職を得るまで5年間就職浪人をしました。その間、職業安定所(今のハローワーク)にも通い、失業手当も受けました。40年も前のことですが、N氏とまったく同じ状況でした。従って、N氏の精神的に不安定な状態は、私自身もまったく同じことを経験しているので、よく分かります。私は37歳で職を得ましたが、N氏はそれより遅れています。しかし、今日全般に研究教育職への就職が遅れているので、40代半ばというのは普通です。それ故、それを直ちに最近の大学政策に結び付けるのは間違いです。

 確かに大学院重点化以後、ポスドクの就職の手当てが十分でないということは問題です。大学院重点化により、大学院生を定員まで増やすようにという圧力は大きいものがありますが、それに対しては、それぞれの専門で工夫していますし、特に修士課程から博士課程に進学させる場合はかなり絞っています。私どもの専門では、多少院生は増えていますが、外国人留学生や、定年後や他の専門を経た方の再入学も多いので、ただちにそれで若い人の就職難が大きくなったというわけではありません。そのように、国の大学政策のせいで一律に問題が起ったという書き方はミスリードするものです。

 私どもは、研究者の人数も少なく、厳しい状況の中で、長い伝統を守りながら、地味な研究を続けています。それは決して世間の脚光を浴びる分野ではありません。就職や収入も不確かです。それでも、研究が好きで、誇りをもって日々の研究を進めているのです。億単位の金が動く理科系とはまったく異なるのであり、それと同一に論ずるのは間違っています。

 それと関係して、N氏がまったく就職と無縁であったかのような書き方も間違っています。N氏は公益財団法人中村元東方研究所の専任研究員という専任職を持っていました。この研究所は、もともと私の恩師でもあるインド哲学の大家中村元先生が創設したものですが、中村先生は学生時代、尊敬する先輩がやはり就職がないということから自死したということがあり、職のない若い研究者を救済するということを大きな目的として、同研究所の原形である東方研究会を設立しました。確かにそこでは生活するに足る給料は出ませんが、奨学金の返済免除、科研の応募資格など、研究上の便宜はきわめて大きく、若い研究者にとって、大変心強いものです。私自身も就職浪人中、専任研究員として所属していました。このように、この分野の就職難は最近の政策の故ではありませんし、それに対して、研究者の側もまったく自衛策をとって来なかったわけではありません。そのことは、電話取材で私もきちんと申しましたが、今回の記事では完全にスルーされました。記事の最後に、「科学技術政策に詳しい」という方のコメントが出ていますが、N氏の場合から見ればまったく見当違いの内容であり、おそらくN氏の事情を知らされないままに、記者から求められて出したコメントであろうと思います。

 最後に、この記事は、N氏の研究上の業績にはほとんど触れることなく、「ずっと研究していたかった」というようなお涙頂戴式のリード文で、「経済的困窮」を際立たせるのは、死者に対して大変失礼なことであり、してはいけないことです。N氏は、2冊の著作(1冊は没後ですが)を有し、優れた成果を着実に上げてきた第一線の研究者であり、学会でも次第に指導的な地位に向かいつつありました。存命していれば、おそらくまもなく大学の責任ある職についたであろうと推測されます。確かに生活上の悩みはあったとしても、まず研究者としての実績に注目すべきであり、裏のプライベートな生活を暴き立て、非常に一面的な偏見を持った視点から、自分の主張のために利用するというようなことは、許されることではありません。ここに強く抗議致します。

 ちなみに、これは私の偏見かもしれませんが、もしN氏が男性であれば、このような記事の書き方になっただろうか、という疑問を持ちます。ジェンダーバイアスがなかったかどうか、これも十分な検討を要するところかと思います。

2011年11月30日 (水)

ネット議論のあり方

 先の文章(「ご意見を有難うございます」)に新たなコメントをいただき、佐藤哲郎さんの書評のことをお知らせいただき、有難うございます。情報自体は大変有難く、僕も知りませんでしたが、ただ書き方は少し気になります。

 僕はこれまでもいろいろな方と論争をしてきましたが、いちばん気を付けてきたことは、個人攻撃にならないこと、卑劣な態度を取らないことです。論争はあくまで気心が知れた、尊敬できる友人を相手にしてはじめて有意義なものにできるのであり、敵対関係やお互いに罵倒するような関係では、本当に実りのある論争にはなりません。

 僕はいつもその態度を貫いてきましたし、論争相手にもそのように求めてきました。ですから、論争をしてそれで人間関係が壊れたということはありません。はじめはよく知らず、警戒心を持ったり、敵対的な心情を持っていても、論争することによって、かえって親しくなり、お互いの立場が分かり、親しくなって来ました。論争する以上、そのような方向を求めるべきだと、ずっと信念を持ってやってきました。

 僕は、どうせ本名が分かっているのに、ネット上ではあえて匿名にしています。それに何の意味があるかと、しばしば尋ねられますが、あくまで議論は肩書とか経歴とかなしに、意見そのものを闘わせるべきだと思うからです。印刷されたものですと、公共の場に出るので、言葉にあるセーブが効きますので、きちんと名乗りを上げなければいけませんが、ネット上では、対象があやふやな場合が多く、個人攻撃や、人格攻撃にまでなりかねず、本当の議論から問題がずれてしまいます。それを避けるために、できるだけ個人性は外して、内容本位で議論するほうがよいのではないかと思うのです。ただ、そのあたりは、若い方とは感覚のずれがあるかもしれません。

 そのようなわけで、これまでも意見や態度に対しては、かなり厳しく批判しても、個人攻撃や、ある特定の団体に対して悪口を言ったり、陰口を聞くような態度は、自分であれ、他人であれ、決して認めず、戒めてきました。そのことははっきりさせておきます。今後はそのようなコメントは削除させていただきます。

 ちなみに、今回お名前が出ましたので、あえて書いておきますが、佐藤哲郎氏は僕にとって尊敬すべきよき友人で、そのご著書を高く評価していますし、スマナサーラ長老たちの活動にも注目しています。ですから、『サンガジャパン』にも執筆しています。

 僕は伝統重視派ですが、それに対して、従来からも批判仏教のように、伝統的な日本仏教を批判する立場もあります。意見は違っても、それはそれでありうる立場です。震災自然現象説も、一概に否定するわけではなく、そこからどのような積極的な帰結が出てくるか、これから展開してくださることを期待しています。ぜひもっと議論を深めたいと願っています。

 ネットの中に閉じた党派性を作って、自分たちだけ囲い込んで他人を排除して自己満足にふけるのではなく、本当に開かれた議論の場を作り、反対意見も含めて、お互いの理解を深めるような論争をしたいと切に願いますし、このブログを訪れた方には、そのような基本方針をわかってご協力いただければ有難く存じます。

2011年10月23日 (日)

メモと近況

 これ以上ネット上には書かず、今後、印刷物の場で意見をまとめていくということで考えていますが、堀江さんから大学の授業でも使っていただいたとのことで、貴重なご意見をいただき、有難うございます。なかなか僕のような考えは理解されにくいので、時間をかけて整理していかなければなりませんが、いくつか思いついたことと、今後の予定など記しておきます。

1、石原発言問題とごっちゃになったため、政治的なアジテーションと誤解されたところがある。あくまで、それとは切り離して、哲学・宗教的な問題として考えるべきである。

2、その場合、自然科学者と同じように、「地震」が自然現象としてのプレート移動によるものかどうか、ということを議論しても仕方ない。「震災」の捉え方を問題にしているのであって、自然現象としての「地震」の原因を云々しているのではない。

3、問題は、自然という他者とどのように関係するか、ということである。他者とは、これまでも拙著にしばしば論じてきているように、合理的なコミュニケーションが不可能でありながら、関わりを持たざるを得ない何ものか、である。

4、そのような「他者としての自然」と関わるには、一方で、自らのあり方を反省する必要があり、他方では、「他者」に対して、どのように処遇するかが問題になる。

5、そのことは、「自然現象だから仕方ない」というような無責任な態度でなく、今後も起りうる災害に対してどのように対するかという、将来へ向かっての問題にも絡む。

6、このように考えれば、「震災は天災、原発は人災」というような二分化は成り立たない。

7、思想史的に見ると、仏教理論としては、「業」をどう考えるか、ということがひとつの問題となる。もうひとつは、日蓮の善神捨離説である。他に、中国の天人相関説があり、「天罰」というのは、それを受けて室町期に天道説などと関連して形成されたようである。

8、それらを、単に過去の説として見捨てるのではなく、近代的な合理論が通用しなくなった中で、もう一度その意味を考え直す必要がある。

9、「震災」に対して、「無常」ということが一部の人たちによって言われたが、原発問題をみても、あるいは、なかなか被災地の瓦礫も片付かないことを見ても、「無常」で片付けるべきではない。むしろ、「無常」が通用しなくなった状況にどう向うか、という問題である。

10、議論の方法として、相手の意見も聞かずに、一方的にバッシングして、議論を封ずるような方法は、絶対に認めず、それに対しては断固闘う。

 以上、これだけでは納得していただけないと思いますが、このような方向で理解していただけるように書いたり、発言していきたいと思います。

 今後の予定として、現在、日本の自然観の歴史の論文を執筆中で、来年はじめには、日本の災害観の歴史について書かなければなりません。それらで、歴史的なことを整理してみます。来年予定している拙著の中でも、とりあえず論争を簡単に振り返るようなことは書きたいと思っています。日蓮宗でもようやく震災論を本気になって議論したいということで、そのような機会に発言することも出てきそうです。できれば、今後、反対論者にも加わっていただいてシンポジウムができるようにしたいと思いますが、慌てずに、もう少しそのような気運が出てくるのを待ちたいと思います。もし時間が調整できれば、授業に参加して、学生さんと議論してもかまいませんが、時間の調整が難しいかもしれません。

2011年9月25日 (日)

ご意見有難うございます

 僕の所論に対して、いろいろご意見をいただいて、有難うございます。

 川口さんには、貴重な情報を有難うございます。

 佐藤さんには、ご意見有難うございます。上座部仏教やチベット仏教に関しては、まったく知らないので、見当違いも多いかと思います。お許しください。ただ、業や心の問題が関係するということは、よく理解できますし、東アジアに伝わった『倶舎論』などの理論とも合致するところです。「業」の問題は、僕もまだ、どう理解したらよいのか、はっきりできないところがあり、正直を言っていささか避けています。さらにご教示ください。

 僕自身は、密教を中心とした日本仏教の考え方をどのように生かせるか、ということを考えていますが、既成の仏教教理そのものではなく、それを僕なりに組み替えたいと考えています。その前提から出発して書いていくと、非常に複雑になってしまいますので、とりあえずは『仏教vs.倫理』第20章をご覧いただければ、基本はご理解いただけると思います。「自然」を「他者」として捉えるということは、決して親密なだけのものとしてだけ捉えるということではなく、逆に理解不能ということが原点ですので、師さんのご批判には答えられると思います。もっとも、僕の他者論はやや特殊ですので、それ自体への批判はあろうかと思います。

 ただし、『東京新聞』(中日新聞)にも書きましたように、いろいろな見方があってよいと思います。立場の違いはあっても、一方で違いをはっきりさせると同時に、協力できることはしていければと思います。当初、石原発言是か非かという踏み絵的な二者択一で問題が出されたために議論の論点がずれて混乱しましたが、少なくともそれを超えて、生産的な議論を通じて、理解し合える基盤は作られたのではないかと信じます。

 自然現象説を槍玉に挙げるような書き方になったことは、これもお許しください。もちろん、佐藤さんのようなご理解であれば、まったく賛成であり、十分に協力していけると思います。しかし、例えば、玄侑さんのような方でも、地震と津波は自然現象で、原発はそうではないというようなことを言っておられるし、『在家仏教』9月号の巻頭言で、高崎直道氏も同じようなことを言っています。そうした言い方はかなり通俗的に広く受け入れられているのではないかと思います。それもひとつの立場かとは思いますが、原発と、地震・津波の被害を完全に切り分ける二元論になったら危険かと思います。原発も、ある意味では、地震・津波の被災地と同様に現代社会の縮図であり、連続的に捉えるべきではないかと思います。

 それと、何より重要なことは、震災は終った問題ではなく、これからの被災者の生活、被災地の復興、原発対策、そして、それと同時に、これから起るであろう首都圏の震災に対して、どのように対応していけばよいのか、という未来へ向っての問題も含みます。と言うよりも、それこそ最大の問題です。本当に必要なのは、それをどう考えていけばよいかという理論だということには、賛成していただけると思います。それに向って、ぜひ一緒に考えていくことができればと思います。

 自然は年毎に厳しくなってきています。東北だけでなく、最近の台風で、紀伊半島は壊滅的な打撃を受けました。そうしたことも含めて、僕たちの生活のあり方をもう一度根本から考え直さなければならないのではないかと痛感します。八ツ場ダム工事を続行すべきか否か、諫早湾の開門をどうするか、などの問題は、簡単な二者択一で答えられない難しい問題であると同時に、過去の我々の自然との付き合い方がよかったのかどうか、もう一度検討しなおすように問いかけているように思います。

 もっとも、このようなことがはっきり言えるようになったのは最近のことであり、これは議論の中で自分の立場が次第にはっきりできるようになってきたからです。僕の立場は、皆さんのように決定的な立場が最初から決まっているわけではなく、いろいろと試行錯誤しながら、突き当たり、曲がりくねり進んでいます。ご教示いただければ幸いです。

 ただし、正直を言って、Twitterにはもう関与しないつもりです。もともと瞬間的な判断力に欠けていますので、短く的確に書くことは無理です。それと同時に、たしかに災害時に、Twitter情報がもっとも早くて正確であったという利点もあるとは思いますが、少なくとも公共的な場に出すべきでない、人を傷つけるような言葉が数多く飛び交い、とても読むに耐えません。最近若い方に聞くと、ユーチューブの動画の中には、撮影禁止のところや、個人のプライバシーを侵害したようなものが多数あるということです。

 数年前、僕は自分の哲学を作り上げていくのに、HPを使いました。けれども、その後、ずっとHPからもブログからも離れていて、今回、はじめて臨時のブログを開設しましたが、これも今後定期的に更新していくつもりはなく、特別のことがない限り、閉鎖はしませんが、そのまま放置することになると思います。ネットを使いこなすのは、若いうちでないと、ちょっと無理で、とりわけ、時間をかける思索にはあまり向いていないように思います。

 ただ、前にも書きましたように、ネットに積極的に関わるみなさんには、ネットの倫理というのをきちんと確立していただきたいということを改めて強く要望します。そうでなければ弱者いじめの悪魔の所業になります。ネットを自在に使いこなす人は、他の人もみな同じようにできるとつい思いがちでしょうが、そうではなく、苦手な人はたくさんいます。当事者が見ていないところで悪口を言いあうのが、はたして倫理にかなうことかどうか、ぜひ皆さんの良識で判断してください。

 とりあえず、これから先に進むためには、少し時間をかけて、思索を深めていくことが必要ですので、しばらくブログを離れます。ただ、先に書きましたように、震災は過去の問題ではなく、現在、そして未来の問題でもあるという基本の立場から、発言すべきことがあれば、発言していきたいと思います。

2011年9月12日 (月)

自然災害説は間違っている

 少し挑発的な題をつけましたが、もちろん自然災害説が全面的に間違っているというわけではありません。地震や津波がなぜ起るのか、それを純粋な自然現象として、自然科学的に追究することは必要です。けれども、いま問題にしたいのはそのことではありません。多くの人が災害で亡くなり、多くの人が被害を受けられたことを問題にしたいということです。もしあえて分けていえば、地震自体は自然現象といってもよいでしょうが、地震被害は自然だけでなく、人間が関わっているということです。自然現象論者も、自分の説は被害のことは無関係だ、などと言うのではないでしょう。そのことをはっきりさせておく必要があります。そして、僕は被害の問題まで含めて考える場合に、自然と人間の生活は相互関係的に、つまり縁起的に考え、一体として見ていくべきだと主張し、それを純粋に自然だけが原因だという説を誤りだと批判します。

 なぜ、この問題が大事かというと、それが復興計画を立てていく上で、ポイントとなるからです。それを以下に論じます。

 なお、原発の問題との関係ですが、両者を切り離して、地震・津波は純然たる自然災害で、原発は人災だという論者も多くいます。一見もっともそうですが、僕は両者を切り分けることに反対です。もちろん、対応の仕方はまったく違いますが、いずれも人間と自然との関わりの中で生まれたということでは、本質的に連続しています。

 現在、復興計画が遅れており、非常に困難な状態が続いています。それは、災害の規模が大きすぎて、手が付けられないという現状もあります。先日、はじめて気仙沼や陸前高田に行って来ましたが、被災直後と変わらないままの状態に言葉もありませんでした。

 けれども、そもそも復興計画を立てる理念が欠けているように思います。小規模であれば、原状復帰ということで問題ありませんが、原状に戻せる状態でなければ、それに対して、どのような理念で新たな構想を描くか、ということが問題になります。

 その時、自然災害説からは適切な理念が生まれてこないのではないか、と思うのです。自然と人間生活を切り離してしまうと、自然災害は諦めるしかないということになるか、それへの対策を立てるとなれば、堤防を高くするとか、津波の来ない高台に住居を移転するとか、とかいうことしかないでしょう。しかし、堤防を高くすることには限界があります。高台移転ということは、一つの方針として認めうることです。しかし、現地をご覧になれば分かるように、高台などそれほど広くありません。そこに、従来規模の都市を作るなど、とても無理なことです。そのために大規模な造成を行い、山を切り開いて平地を作ったとしたら、それは新たな自然破壊を招くことになります。津波は来ないけれども、がけ崩れで巨大な被害が出る、ということも出てくるでしょう。従って、高台移転といっても、限界があります。

 そうすると、どうなるでしょうか。すでに被災地の人口流出は始まっています。恐らくそれはどんどん続くでしょう。もとのところに住めず、仕事もない、ということであれば、他の地域に移住するのも仕方ないことでしょう。けれども、それによって、被災地はますます衰亡し、年寄りだけ残って、荒れ果てていく、という結果になってしまうでしょう。それでなくても、今回の被災地の多くの地域は、交通が不便で、海岸沿いの僅かな平地に点線のようにつながっている小規模な都市や村落で、以前から過疎化が進んでいたところです。

 この地域だけではなく、今日、少子高齢化によって、各地域の過疎化は厳しい状態にあります。このことは以前の文章で指摘しました。平成の大合併などと大騒ぎをして、実質的には過疎地の切捨てで、どの地域も自然がどんどん荒廃しています。自然は自然のままで放っておけばよいのではないのです。人が関わらないと、自然はますます荒れて、手が付けられなくなっていきます。

 それならばと、被災地の漁業へ、外部資本の導入という案も出て、いまのところ地元の反対でストップしています。外部資本の導入は危険です。外部資本は、儲かる限り資金を投入しますが、もし儲からなくなったら、地元のことなど考えずにさっさと引き上げます。そうすれば、もっとひどい荒廃が残るでしょう。原発を誘致した過疎地は、同じ発想で、地元振興のために誘致しました。それがどんな結果になったかは、よく分かるでしょう。同じ轍を踏んではいけません。

 同じ意味で、環太平洋経済連携協定(TTP)に安易に加入して農産物の輸入を自由化して、日本の農業をつぶすことは、とんでもないことです。小規模な農業が自然と人間の橋渡しをして、自然保護に尽してきたことをもう一度再認識しなければなりません。その役割をこれから何がどのように担っていけるかという構想をきちんと描くことなしに、つぶしてしまいことはまったく危険なことです。

 過疎化の問題は、他方で大都市、とりわけ首都圏の巨大化の危険と裏腹です。首都圏の地震は必ず起こると予想されています。そのときの被害がどれほどになるか、誰にも想像できません。東日本大震災の時でも、東京は帰宅難民でごった返しました。まして、直下型の地震が起こったら、どうなるか、そんなことは考えたくありませんが、それでも実際に必ず来ることです。

 地震は自然災害だという論者は、それも仕方ないと言うのでしょうか。地震を自然災害とする論者を許せないのは、この点です。手を束ねて何もせずに、起ってしまえば、どんな巨大な被害も自然災害だから仕方ない、というのでは余りに無責任ではないでしょうか。それは、宗教の問題ではなく、政治の問題だ、とでも言うのでしょうか。しかし、政治に理念を示すのは宗教ではないのですか。人が必ず死ぬと分かっていながら、それは自分の役割ではないと言って、そっぽを向こうと言うのですか。それを放棄したら、宗教の役割とは一体何なのですか。何か起った後の「心のケア」だけが宗教の問題ではありません。もっと大事な、根本の理念を示すのこそ宗教の本当の役割ではないのですか。もし誰も耳を傾けてくれなくても、それでも最大限の努力をすべきではないのですか。

 今日一番大事なことは、首都圏の巨大化と、それに対する地域の過疎化とのバランスをもう一度考え直し、人間と自然との相互関係を取り戻していくことだと思います。その過程で、伝統的な日本の宗教はもう一度重要な役割を果たしうるのではないかと考えます。伝統的な日本の宗教は、自然と人間の橋渡しをしてきました。それは、かつての小規模な農業が果たしていた役割と一体になっていたところがあります。今日、状況が変わり、伝統的な宗教も危機に瀕しています。それも仕方ないところがありますが、でも、その役割をもう一度考え直し、その役割をどのように新しい形で再構築できるか、これをきちんと考えることは急務だと思います。

 震災を自然災害と考える論者は、医学で言えば、二、三十年前の西洋医学のようなもので、癌になれば、切るしかない、切って治らないものであれば、それは放置して、それでも延命は必ずする、というような考え方に近いものです。それは、病気を自然現象と見るからです。今日の医学は違ってきています。病気は単なる自然現象ではなく、患者という人間の生き方と密接に関わっています。患者の生き方に従って、さまざまな療法がありえます。その中で、医療従事者自身のあり方も問われています。そのような総合性の中で、病気というものが捉えられるようになってきています。

 今の日本の宗教者はあまりに鈍感です。経典解釈でどうとか、世界の宗教界のトップリーダーがどういったとか、中観派解釈ではどうなるとか、それもよいでしょう。でも、大事なことは、その理論が現実にどのように適用できるか、ということです。それを他人の借り物の理論ではなく、本当に自分の身についた理論として考え抜くことです。現実に力を持たない理論は、理論としての役割を果たしません。

 先日も被災地の浄土真宗の僧侶の方が、こんな大変な状況なのに、本山では、「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」は違うなどと言っていて、何になるんだ、と怒っていました。復興のための努力が、「聖道の慈悲」であろうが「浄土の慈悲」であろうが、そんなことを議論するのは空虚です。世俗諦であろうが第一義諦であろうが、どちらでもよいことです。本当に現実に力を持つ理論を築かなければならないのです。

 僕は、現実の力になろうと言う方であれば、どなたとでも力を合わせていきたいと思います。僕は、現場でボランティアとして力仕事をする力がありません。僕にできることは、少し離れた場で、歴史と現実を見つめ、そこからどのような理論を構築し、宗教的な理念を示すことができるか、ということに力を尽すことだけです。

 自然災害論者の方も、その理論から現実への有効な対応ができるのであれば、協力します。違う説でも相互に議論し、認め合い、よりよい方向へ向って協力していくことは不可欠です。僕も自分の説が絶対とは思いません。と言うよりも、試行錯誤の連続ですので、欠点だらけでしょう。それは、批判を受けながら修正してきます。けれども、自然現象だから諦めるほかないというような無責任なことを言って努力を放棄するのは間違っています。あまつさえ、まじめに考えようという人を、議論もせずにツイッターとやらで嘲笑し、暴力的に抹殺しようというのであれば、それは仏教者とは言えない悪魔の所行であり、僕は絶対に許しません。断固闘います。

2011年9月10日 (土)

地震は自然現象か?

 地震は純粋な自然現象だとする方々と、しばらく論争が続いています。僕は、純然たる自然現象とはいえない、という説です。一見おかしく聞こえ、自然現象説のほうが正しそうに思えるかもしれません。それは、僕の説明がいささか不十分で、十分に趣旨を理解していただけなかったからだと思います。そこで、少し説明を加えます。まだ分かりにくいところがあるかと思いますが、ともあれこれをお読みいただいた上で、ぜひ批判や疑問点のご指摘をお願いします。やはり相互にきちんと相手の主張を理解しなければ、建設的な議論になりませんので。

 もし誰も人がいないところで地震が起こり、被害が何もなければ、それは純然たる自然現象といえるでしょう。例えば、人類発生以前の地球で起こった地震の場合はそういえるかもしれません。もっとも、それが今日のボクたちのあり方に何らかの影響を及ぼしているのであれば、純然たる自然現象とも言えなくなりますが。

 あるいは、今回の大地震の場合でも、それを人命や生活上の被害と無関係に、それがどうして起こったか研究する場合には、純然たる自然現象として見ることになります。もっとも、その場合も、科学的営為という人間の行為が関わってきますので、その点では、純然たる自然現象とはいえません。本当に純然たる自然現象というのは、誰も知らないところで起った、人間の認知ともまったく関係ない場合、ということになりますが、それは知られないのであるから、問題にしようもありません。

 ここで問題にしたいのは、そのような場合でなく、さまざまな被害が起るような地震です。もちろん地震だけでなく、台風などの自然災害の場合も同じですが、ここでは、地震の場合を例としましょう。そのようなわけで、被害ということを別にして、自然現象と見ることはありえますし、自然現象として研究することは重要です。もし地震自然災害論者が、その意味で言っているのであれば、僕も賛成です。でも、そうではなく、さまざまな被害を含めて考えた時、それを純然たる自然現象と言えるかというと、僕はそうではないと考えます。

 寒川旭『地震の日本史』(中公新書)の「はじめに」に、こういう文章があります。

「ひとたび大地震が発生した場合、日々の暮らしを豊かにする文明の産物が、牙をむいて襲いかかってくる。家族の団欒の場である住居や家具、電車や自動車などの交通機関、橋梁や高速道路などの建造物が、私たちの生命を脅かす凶器に一変し、石油などのエネルギー資源が大災害を引き起こす要因となる。このように、都市化が進むにつれて被害の規模が拡大して複雑さを増すことになり、同じ地域が地震に襲われても、古代と現代では被害の様相が異なる。」(同書、ii頁)

 この言い方は非常に分かりやすいと思います。地震の被害は、かならずしも純然たる自然現象だけではありません。地震が起こり、津波が襲うところに人が家を作り、産業を興し、生活していることによって、はじめて被害が起るのです。人がどのようなものを作り、どのくらいの数の人が生活し、どんな文明を持っているかで、その被害も違ってきます。例えば、人口が少なく、家も木造で小さく、コンクリートもなく、電気もない時代であれば、同じ規模の地震であっても、はるかに被害は少ないでしょう。

 地震や津波の被害は、そのときだけでは済みません。命が助かればよいと言うものではなく、ずっと後まで生活が破壊され、精神的に苦しむ場合もあります。それまで含めて考えるべきでしょう。その時、それまでも自然現象と言えるかというと、疑問です。それは切り離して考えるべきだ、と言うかもしれませんが、すべてが一連である以上、切り離すことは無理です。もちろん、人間も最終的には自然の一部ですので、その意味ですべては自然だというのであれば、それは認めてもよいと思いますが。

 仏教では縁起ということを言います。もし地震は自然現象で人間は関係ない、というのであれば、人間と自然とは無関係で、縁起的な関係がない、ということになります。でも、それは仏教的に考えてもおかしいと思います。人間も自然も相互に切り離せない関係の中に入っている、それが縁起ということではないでしょうか。

 人は自然と対話しながら暮らしてきました。それこそ、もっとも自然な人間の生活です。ところが、自然は人間とは別だ、という考え方が近代になって入ってきました。別に僕は古いものは何でもよくて、近代のものは悪い、というわけではありませんが、少なくとも、今日あまりに常識化してしまった、人間と自然を分ける考え方は間違っていると思います。それは、自然を人間と無関係だとして、自然への関心を失わせ、自然を疎外することになってしまいます。自然と対話しながら、自然に対してどのように対応したらよいのか、自然と一緒に考えていく姿勢が必要ではないでしょうか。自然は自分たちとは別物だから、利用できるだけ利用すればよいとか、津波が堤防を越えたから今度は堤防をもっと高くする、というような、自然を拒否した一方的な対応だけでは無理と思うのです。

 ところで、僕は「自然の奥に神がいる」と主張してきたが、それは自然との対話ということとは違うではないか、と言われるかもしれません(ちなみに、『自然の奥の神々』というのは、内山節さんの本の名で、とてもよい本です)。そのことを説明しましょう。

 いま目の前にあなたがいるとします。あなたは、確かにある意味では、自然物質です。細胞からできているし、そのもとは原子、さらには素粒子に分解できるでしょう。そうであれば、僕が真向っているのは、純然たる自然現象とも言えます。でも、だからと言って、あなたは自然現象に過ぎない、とは誰も思わないでしょう。もし自然現象ならば、殺そうが、分解しようが、し放題ということになります。でも、あなたはあなたであって、純然たる自然現象とは違います。それはなぜでしょうか。心があるからだ、というかもしれませんが、心などというものは、見ることができません。本当にそんなものがあるかどうか、誰にも分かりません。そもそも、あなたが人間なのか、それとも人間の形をした精巧な人形であるのかさえも、本当は分かりません。

 それでも、あなたに対して、ものに対するのと違う対応をするのはなぜでしょうか。それを僕は他者との関係の持ち方の違いと考えます。ものに対するのと、あなたに対するのでは、異なる関係を結ぶということです。仏教的な言い方をすれば、どういう縁起的な関係にあるか、といってもよいでしょう。ここで大事なのは、別にあなたの奥に「心」という不変な実体があって、それが人間とそれ以外のものを分けているわけではないと言うことです。その点、仏教の無実体、無我の立場は正しいと思います。

 ですから、その意味では、人間だけが区別されなければならない必然性はありません。手近な例でいえば、もしかしたらペットとの関係のほうが、人間との関係より緊密な場合もあるでしょう。先の例で言えば、人間であるか、人間の形をした人形であるか、というのは、そのこと自体はどちらでもよいのです。鉄腕アトムのようなロボットがいれば、やはり「もの」に対するのではなく、人に対するように対応するでしょう。

 自然もまた、同様ではないかと思います。それを自分とは関係ないものだとして拒否すれば、それは純然たる自然現象ということになります。でも、そうではなく、自然も同じ仲間と考えれば、別の対応が出てきます。その時、海や山の「心」のようなものを考えたとしても、それを簡単に迷信的、前近代的で、笑うべき見方だと言えるでしょうか。

 「神」というのは、何か実体的にあるものではありません。自然の不思議さ、人知を超えた畏敬すべきあり方を言います。自然の「心」といってもよいと思います。ですから、「神」は人間に対して、人間的な道徳で対するわけではありません。「神」はすべて善神であり、人間に対してよいことしかしない、というような考え方は、かえって自然を人間の枠の中に取り込んでしまうことで、おかしいことです。自然は人知を超えた他者です。人間に対して害をなすことをするかもしれません。だからこそ、自然、あるいは自然の「神」と対話することが必要なのです。

 論争の発端になった「天罰」論に戻ります。「天罰」という言い方は、確かに誤解を招きやすい表現で、僕も違和感を持ちます。当初、石原慎太郎の「天罰」発言に賛成するような言い方をしたのは、自然を人間の営みと切り離して純粋自然現象とみる見方に対して、少なくとも、「天罰」という言い方は、人間の営みと関係させ、それを反省させる意味を持つと考えたからです。でも、石原の著作『新・堕落論』を読むと、副題に「我欲と天罰」とあるにも関わらず、「天」のことにはまったく触れずに、手前勝手な時代批判をするばかりで、まったく僕の考えていることと異なります。ですから、誤解を招かないように、石原「天罰」論への賛成は取り下げます。

 以上、取り急ぎ、僕の考えをいささか述べてみました。まだ不十分だと思いますが、ご指摘をいただきながら、お答えできればと思います。ぜひ生産的な論争になりますことを願っています。

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