2019年7月12日 (金)

人文学はなぜ理解されないのか?

 前回のブログで、田中優子氏の新聞コラム(毎日新聞2019年5月8日 東京夕刊)に触れたが、詳細を後回しにした。田中氏のコラムは、以下で見られる。

  https://mainichi.jp/articles/20190508/dde/012/070/008000c

 田中氏のコラムは見ていたが、そもそも「大学に職を得られず自死した」という理解が、もとの朝日新聞のK記者の記事の誘導による誤解に基づくものであって、前提が間違っている以上、それ以上問題にすべきものではなかった。(結婚に問題があって自死したのであって、大学に職が得られずに自死したわけではない)

 しかし、「学問で食べられるか?」という問題提起と、それに関連して書かれていることは、逆に私などにはもっともすぎることで、その記事がネットで叩かれたり、K記者が憤慨したことのほうが意外で、不思議であった。しかし、振り返って考えると、田中氏が書いたことを、私などが当然のことと思ってしまうほうが、必ずしも世間で通用しないということは、確かに大事な気づきであった。それは、人文系の学問の特殊性をどう考えるかという問題に結びつく。

 田中氏は、こう書いている。

《入試面接では担当教授から「就職の世話はしない」と言われ「分かっています」と答えた。大学院を修了しても専任の研究職に就ける可能性は極めて低いことを、研究者は知っている。それでも研究への熱望から、生活手段を他に得て研究を続けている人々は多い。》

 以前のブログにも書いたが、大学院入試面接で私も同じように尋ねられたし、他にも何人か、別の大学、別の専門で同じように入試で念を押されたという人がいたので、かなり広く行なわれていたらしい。これも以前書いたことだが、職がない状態で結婚したことを京都大学の大先生に報告したところ、「君も北白川殿になったか」と笑い飛ばされた。北白川というのは、京大の北の一帯で、職がなく、妻の収入で暮らしているような若い研究者が梁山泊のように集まっていたらしい。

 そんなわけで、僕たちから見れば、職がないのは当たり前のことだったが、どうもそのような常識が通用する範囲は、限定されているようだ。一つは年代的にある程度限定されること、もう一つはそれがどうも文学部・人文学系の学問に限られているらしいということである。

 時代的な面から言えば、私自身が逆の立場から、大学院入試の際にそのような宣告をしなくなったのは、たぶん1990年代の半ばの大学の変革の頃であり、そのあたりで断絶があるということである。それまでは人文系の学問にとっては、食っていけないということはある意味で誇りでもあった。学問の純粋性は世間に役立たないというところにあり、むしろその学問で生活費を得るというのは恥ずかしいという感覚があった。このことは、田中氏も折口信夫の例を引きながら、こう書いている。

《折口信夫は「文学や学問を暮しのたつきとする遊民の生活が、保証せられる様になった世間」となったものの、「役立たずの私」は、「学者であり、私学の先生である事に」いささかも誇りを感じないと書いた。ついこの間まで、学者として給与をもらっていることをありがたいと思いながらも、恥じらいがあった。》

 このことも私などにはよく分かる。文学部の学問は、ある意味では、食えない文士のようなものであった。だから、文学部に行こうとすると親に反対されて、就職して食っていける学部に移らされるという話は、戦前からしばしば聞くところで、永井荷風などもそうだったかと思う。全共闘時代には、吉本隆明が大学で非常勤講師さえもしないことが、尊敬の念をもって語られた。全共闘に関わった一部の研究者は、あえて大学に職を得ることを潔しとせず、予備校や学習塾が彼らの受け皿となった。

 それだから、田中氏が「大学に職を得られない」ということを大きな問題にすること自体に違和感を持ったのは、当然であり、私もまったく同じ反発を持った。しかし、翻って考えるに、こういう感覚は他の学部の人には理解されにくいであろう。他の学部に行けば、大学、あるいは大学院で研究をすれば、それを生かして食うための仕事がなければならない、というのは当然の前提である。世の中の役に立つ研究をすれば、それによって報酬を得られるのは、自明である。田中氏や私のように、学問は役に立たないし、生活の足しにもならない、などというと、何をおかしなことを言うのか、と呆れられ、反発されるだけになってしまう。それに対して、文学部出身者側は、まともな論理で答えることがしにくい。何故ならば、そもそもがまともでないところに、高等遊民のアイデンティティーがあるからだ。

 ところが、1990年代以後、そういう牧歌的な「食えないことを誇りにする」伝統は理解しにくくなった。当然、職があることを前提としたはずの他の領域の研究者が、博士号の乱発で職を得られなくなり、高学歴ワーキングプアが社会問題化したことにより、人文系の古典的な高等遊民の伝統がその中に埋没することになった。

 ちょっと違う話だが、数年前に、ある仏教宗派の宗務所で働いていた若い人が、超過勤務手当も出さずに、労働基準法に合致しないということで訴えて問題化したことがあった。宗派側からすれば、宗務所で働くのは単なる労働ではなく、一種の奉仕であり、多少とも給料が出るだけでも有難い、という感覚だったが、若い僧侶のほうからすれば、それは純然たる労働であり、きちんと報酬が支払われなければおかしい、ということである。大学でも、昔は研究室の本を覚えるためというので、助手が飲みに連れていくくらいの報酬で、学生に本の整理をさせるのが普通であったが、今ではそれに対してもかなりきちんとした謝金を払わなければならなくなっている。

 そんな具合に、確かに時代が変わってきている。もちろんそれは悪いことではない。人文系でもきちんとした職があるほうがよいのは当然であり、また、非常勤講師や臨時の非正規雇用などでも、不当な労働条件で不利な扱いをされることがあってはならない。その意味で、もはや古典的な高等遊民感覚にいつまでもこだわるのは不適当である。若い人たちが少しでも不安なくよい研究を進められるように、制度面の充実も含めて、考えていかなければならない。

 その上で、あえて文学部・人文系の学問の特殊性を、もう一度明確化しなければならない。そうでなければ、役立たない人文系は不要だという論に拍車をかけるだけになってしまう。役立つか、役立たないか、というのとは違う次元で、人文学がなぜ不可欠化ということを説明できなければならない。

 それは、自己反省ということに求められる。他の学問は、ともかく先へ進めることが課題で、まさに成果を挙げなければならない。だが、人文学は、根本において、自己を振り返り、自己のあり方を問い直すというところに、根本的な特徴がある。人文学は、大きく分けると哲学系・歴史系・文学系に分けられる(哲・史・文)。もっとも最近では様々な融合が図られ、また人文系以外の分野とも分野横断が盛んになって、それはそれで大事だ。しかし根本となるこの三つの分野は、何よりも自己のあり方を問い直し、歴史や社会や人間のあり方を問い直すものだ。先に進むのではなく、はたしてそのようにどんどん進んでいいのか、と一歩下がって考える。決まった枠組みの中でものを考えるのではなく、そもそもその枠組みが適切なのかどうかを問い直す。たとえて言えば、暗闇の中で、どんどんトンネルを掘り進めていくのが他の科学だとすれば、そうやって先に掘り進めていくことでいいのか、立ち止まって検証するのが、人文学なのだ。だから、以前は人文科学という言い方で、自然科学や社会科学と並んで科学の一部とされていたのが、最近では、人文学と呼んで、科学と区別する傾向が強い。

 かつての人文系の学問が、お国の役に立たず、職がない高等遊民たることを誇ってきたのは、決められた価値観の中で成果を上げることに没頭する他の学問に対して、それが根本的な批判となっていたからだ。その精神は、たとえ時代が変わっても、揺るがすことがあってはならない。そうでなければ、人文学の存在意義がなくなってしまう。自分自身を掘り返し、反省し、批判的に見直し、新たなビジョンを描き直すという、人間にとっていちばん根本的な大事なことを担うのが人文学なのだ。

2019年6月25日 (火)

K記者との対話

 先日、K記者と会ってお話ししました。以下、K記者のご意見と私の意見をメモ的に記しておきます。K記者と私とは立場も意見も全く違います。でも、私は違う意見の方と議論することが好きですし、とても大事だと思います。どうしても同じ業界の中で似たような立場の人とつるんで、なあなあになりがちですが、違う立場で、違う意見の方と議論することで、それぞれの立場を反省し、何か新たなものを生み出せるのではないかと思うからです。今後も継続的に会って、できれば他の方にも加わっていただいて、研究会のような形で議論を進められればいちばんよいと思います。以下、個人の問題ではなく、一般化して考えたい問題ですので、個人名はイニシアルにします。なお、K記者には確認を取っていません。あくまでも私から見た見方ですので、その点、ご了承ください。

 

【報道のあり方をめぐって】

1、K記者はジェンダーバイアスはない、ということを強調していました。男性でも同じように書いた、と言いました。でも、そうでしょうか。男性でも、安定した職が得られないので、安定を求めて結婚したら、相手に問題があったので、離婚して自死した、というストーリーが同じように成り立つでしょうか。今の社会では、ちょっとそのストーリーは成り立ちにくいように思います。それなのに、女性の場合には、そのようなストーリーがあってもおかしくないと受け入れられてしまうのは、やはりジェンダーバイアスではないでしょうか。

 

2、K記者は、死者を利用した、ということははっきり認めましたが、それが悪いとは思わないという立場でした。自死に至るには、いろいろな原因が複合しているのは当然だが、その中の一つを取り上げてもよいということでした。あくまで報道は事実を伝えるだけだ、ということでしたが、すでにその「事実」が記者の主張に沿って作られたストーリーでしかないのではないか、ということが問題になると思うのです。今日、「事実」とは何か、ということが報道と関係して問われています。それは次の問題とも絡みます。

 

3、K記者から、「あなたの意見へはネットで批判がたくさんあって、いやな思いをしたでしょうが、賛成の人がたくさんいたから、それでいいではないですか」と言われて、ちょっとショックでした。最初にも書きましたように、私は立場の違う人との議論が大事だと思います。昔、東日本大震災天罰論をめぐって炎上しましたが、いちいちきちんと私の考えはブログで発信し、最終的に『現代仏教論』(新潮新書)にまとめました。私は批判されることは有難いことだと思っていますし、それでいやに思うことはありません。逆に、「いいね」の数が増えればそれでいいとも思いません。批判を受けることのほうが大事です。むしろ「いいね」の人同士がつるむことに今の問題があるのではないでしょうか。安倍・トランプ以来、互いに「いいね」の陣営が自分たちだけで固まる現象が起こり、それが報道にも及んでいます。K記者は、そんなことは現代の常識だと一蹴しましたが、しかし、その現代の現象に疑問を持つことが必要なのではないでしょうか。そして、その現象が客観的な外のことではなく、それに私たち自身も巻き込まれていることを自覚して、そこから抜け出していくことをしなければいけないのではないでしょうか。

 報道も学問も、今日、そのあり方が根底から問い直されているのに対して、「報道は事実を伝えるだけだ、学問は論文を書くだけだ」と、異業種が別々に壁を作ることがいいことでしょうか。それに疑問を持ったからこそ、この記事を書いたのではないでしょうか。相互に越境しつつ、その根底の現代の「知」のあり方を問い直すことが必要なのではないでしょうか。

 

【オーバードクター問題に関して】

4、記事で取り上げられたN氏は、T研究所の専任研究員でした。T研究所は著名なN博士が50年近く前に創設したものですが、その動機は、N博士の友人が若い頃職がなくて自死したことにショックを受け、少しでも職のない若い人の役に立つように、という趣旨でした。そのことは以前のブログにも書きましたし、私自身もN氏もその研究所に所属して、本当に助かりました。K記者は記事の中でそのことに全く触れていませんが、その理由は、「きちんと生活できる安定した職でなければ何の役にも立たないから」だということです。確かに、きちんと生活費を稼げる職がないことで、高学歴ワーキングプアの問題も生じます。しかし、50年も前からその問題を自覚し、何とかしようとして、大変な労力を割いて、努力してきたことはすごいことではないでしょうか。そして、実際にそれは、それだけの役割を果たしてきました。今日では、もはやそれが十分に機能しなくなっていることは事実です。しかし、最善の方法がないときには、次善の方法も考えるべきだと思います。今日どの大学でも、任期付きの研究員ポストを作るなどで、オーバードクター問題に対応しようと努力しています。そうした次善の努力はすべて意味がない、と完全に切り捨てるのがよいことでしょうか。私はそれはおかしいと思います。

 

5、この問題に法政大学の田中優子総長が毎日新聞のコラムに意見を出しています(これに関しては、出典を明らかにするために固有名を出します。田中優子「学問で食べられるか?」毎日新聞201958日 東京夕刊)。それに対して、K記者は非常に批判的でした。私は記事はざっと読んでいましたが、だいたい納得できることで、特におかしいとも思いませんでしたが、確かにネット上ではだいぶたたかれていたようです。記事はネットで見られます。

https://mainichi.jp/articles/20190508/dde/012/070/008000c

 文系の場合、以前のブログにも書いたように、昔から研究者の就職はないというのが当然で、田中氏の場合もそうだったようです。他の人に確認してもだいたいそのようですが、そのことがなかなか他の専門の人には理解されないようです。K記者にもどうもその点が通じないようです。最近、理系も文系と近い状況になってきたということでしょう。しかし、最近の報道では、理系では就職がないことが分かって、学生が博士課程への進学を避けるようになってきたということで、また変化してきているようです。理系と文系(人文系)とは、かなり事情が違い、慎重に区別しながら、議論していく必要があるようです。人文系の学問を人に説明するのは確かに難しいところがあります。それについてはまた別の機会に書きたいと思います。

 K記者のご都合で、次に会えるのは再来年になりそうですが、息長く、3年間くらいかけて、意見交換しながら、議論をまとめて行けたらと思います。他の皆さまも議論に加わってくださることを期待します。

2019年5月16日 (木)

死者を利用してよいのか

 朝日の新聞記事は大きな反響を呼び、それはなお続いているようです。それに対する私の意見はすでに書いた通りです。要するに、この記事は大事な点で事実と異なるところがあること、記者の作ったストーリーに合うように強引に彼女の死が意味づけられていることを、最大の問題点として指摘しました。それに対して、ツイッターやブログのコメントで様々な意見をいただきましたが、多くは私の抗議に否定的で、記事を支持するものでした。果たしてそれでよいのか、もう一度改めて問題提起いたします。と言っても、彼女のことについては、これ以上書きません。亡くなった方についてあげつらうことはすべきでないからです。ですから、あくまで一般論として論じます。

 要するに問題は、はたして自己の目的の達成のために死者を利用してよいのか、ということです。これまで出ているご意見は、基本的には、記事は大事な問題を提起したのだから、それでよいのではないか、それに抗議するのは、その問題を隠蔽したり、否定したりすることになる、というものだったと思います。

 一人の人間の死は重いものです。そして、それだけ誰に対しても訴えるところが大きいものです。最近の子どもの虐待死のことや、運転誤操作による交通事故死の問題、あるいはいじめによる自死、あるいは過労死による自死など、様々なニュースが報道され、死者に同情が集まるとともに、それに伴う社会的問題が提起されています。そうした問題をきちんと報道し、問題を提起するのは報道の大事な役割です。

 しかし、人間は複雑なものですし、自死の直接の引き金ははっきりしていても、それ以前の因果関係ということになれば、複雑であって、必ずしも一つに断定できません。そのことは、記者も取材の中で知っています。そのことを承知の上で、報道が一つの原因だけを直接的な原因として断定してよいのか、ということです。つまり、B(それ以前の原因)⇒A(直接の原因)⇒自死、というふうに一直線に確定して、だからBが問題だ、というふうに決定する権利を、報道は持つのでしょうか。

 例えば、いじめによる自死の場合とか、過労死の場合であれば、直接の引き金となった問題、つまりAが問題とされるわけで、それは明確です。けれども、Aに至るその前の原因まで求めるとなれば、BCDEetc.といろいろな要素が入ってくるので、それをBだけ取り上げて、直線的にBA⇒自死、と決めつけてよいのか、ということです。

 それに対して、今回の記者や、そして多くのその支持者の方たちは、Bという大きな問題を提起したのだから、それでよいのではないか、というものでした。しかし、私ははっきりそれに反対します。死者はかけがえのない、自分だけの生を生き抜いたのであり、その生は、ほんとうにさまざまな要素をもって、喜びも苦しみもすべて含みこんでいたものです。中途で不本意に倒れましたが、充実した生を生きたのであり、同情するよりも、まず一途の生とその達成した成果に思いを致し、敬意をもって対すべきだと思うのです。その上で、もちろんその生の中でぶつかったBという問題が、社会的にも大きな意味を持つから取り上げるという手順であれば、それはそれできちんと筋の通ったことです。しかし、その手順が踏まれていなければ、読者は短絡的にBA⇒自死という一直線の因果関係だけをメッセージとして受け取ることになり、その死は、Bを訴えるためだけの死でしかなくなってしまいます。それではあまりに死者に対してひどくないでしょうか。

 私はずっと戦争の死者の問題を自分の課題として追い続けてきています。その中で、『きけわだつみの声』の問題というのがあります。戦没学徒の手記を集めた同書は、戦争のために本来の仕事をなしえないままに、その生を断ち切られた若者たちの心の声として大きな反響を呼び、戦後の平和運動の大きなよりどころとなりました。それはそれで大きな意義がありました。しかし、その後、必ずしも手記をすべて収録したわけではなく、戦争を肯定するようなところもあったのを、カットして掲載したということが問題とされました。それは、当時の時代状況の中で仕方なかったので、それは彼らの本音ではなかったのだからカットしてもいい、という論理もあり得ます。

 しかし、それに対しては、それと全く反対の立場から、靖国神社が出している『英霊の言乃葉』という冊子があります。その中の言葉は、神社の社頭に掲示されています。それは、戦没した方々、つまり靖国の英霊の遺書を集めたものですが、多くは国の為に死ぬことを誇りとして死に向かう心情が記されています。英霊たちの死は、国為に戦争に行くことを肯定し、人々をそちらへと向かわせるはたらきを持っています。でも、彼らははたして本当に戦争を肯定していたのか、本当に国のために死ぬことを誇りにしていたのか、やはり都合のよいところだけを使っているのではないか、という疑問や批判は当然出ます。

 どちらの立場の人たちも、自分たちは正しいのだから、死者は自分たちと同意見のはずだ、正しいことを主張するのに、死者に語らせてなぜ悪いのか、と言うでしょう。でも、やはりたとえ正しいことであっても、死者を利用する、ということは、絶対してはいけないことだと私は思います。もちろん、死者のすべての重みを受け止めた上で、死者の本当に語りたかったこと、死者の求めていたことを、自分の問題として引き受けることは可能ですし、そうしなければなりません。

 つまり、私の言いたいのは、自分のほうでストーリーをあらかじめ作り、その中に死者を入れ込んで、死者のインパクトを感情的に利用することで、自分の主張を社会に訴えるというのは、間違っているということです。震災以後、死者がステレオタイプの中に押し込められ、一人一人の死者の重みが失われて、マスコミのワンパターンでなければならないかのようになってしまっているような危惧を覚えます。

 こんなことを書くと、きっとまた、こいつはおかしなことを言っている、と散々な非難を浴びるでしょう。でも、どんなに非難を浴びても、言わなければならないこともあります。そして、本当に少数であっても、分かってくださる方がきっといると信じます。そして、死者たちもまた、きっとうなずいてくれるものと信じています。

ポスドク問題再考

 博士課程とポスドクのあり方について、補足します。

1、研究員はどのような位置づけか

 博士課程までは学生であり、指導教員がついて指導を受けますが、博士論文が通れば、学生ではありませんので、当然ながら、指導―被指導という関係はなくなります。すぐに終身雇用の研究・教育職に就くことは今日では非常に難しいので、多くの場合、期限付きの助教や研究員のポストに就くことになります。

 研究員には幅があり、学振の特別研究員や正式の給与が出る場合から、科研などのプロジェクトでパート的に雇用され、週1,2回勤務で時間給の場合や、全く無給で名目だけの場合もあります。授業を担当する場合もあります。そのように千差万別ですが、図書館の本を利用できるというような便宜はあり、また、後のキャリアアップのためにも、研究員の名を得ておくことは必要です。

 研究員は、種別的には厳密に規定されているわけではありませんが、基本的には教員と同じに扱われます。ちなみに、研究生というのは学生で、学部・大学院の正規のルート外の扱いになります。従って、研究生は授業料を払う必要があります。

 海外の大学で学ぼうとする時も、学生と研究員とは扱いが全く異なります。学生の場合は留学ということで、向こうでも学生として授業料が必要です。研究員の場合は教員と同じ待遇で、授業料もいりません。留学ではなく、海外研修等の扱いになります。逆に、海外の方を受け入れる場合も、博士号取得前の場合は基本的に研究生(学生)として受け入れ、博士号取得後は研究員になります。(ただし、ある種の基金は、博士号取得前の学生も研究員として受け入れることを要求する場合があってややこしいのですが、それはさておきます)

 

2、ポスドク研究員の研究上の問題点

 研究員の給与などの生活上の問題は、基本的には受け入れ教員側は関与しません。(ただし、科研などの研究費から支出する場合は別です)。そこで、研究上の問題として何があるかというと、博士論文を出したからと言って、ただちに完全に独り立ちで研究できるかというと、なかなかそうはいきません。確かに若くていちばん馬力が出せるときではありますが、理系であれば実験技術とか、文系であれば文献解読とかの基礎力は経験を必要としますので、博士課程を終えたばかりで十分な力を身に着けているかというと、必ずしもそうは言えません。従って、実験結果の読み取りや文献の解釈でとんでもない間違いをしないとも限りません。その時に、学生であれば、指導教員が必ずチェックしますし、チェックしなければ教員側の責任にもなりますが、ポスドク研究員の場合は、チェックなしにそのまま通ってしまう可能性があります。スタップ細胞事件のときもそうですが、論文不正がそのまま見逃されてしまう危険もあります。

 もちろん受け入れ教員の側でも可能な限りのアドバイスはしますし、研究員の側でも多くの場合は自分の力不足のことが分かっているので、授業や研究会に出たり、アドバイスを求めたりするのが普通です。ただ、それは制度的なものではありませんし、義務ではありません。博士論文であれば、おかしいところがあれば落とすこともできますが、研究員の論文であれば、それは完全に自己責任になります。

 

3、ポスドク研究員のレベルアップは可能か

 それでは、ポスドク研究員の場合、制度的に何もできないのか、というと、考慮の余地はあるように思います。現在の大学制度は、大きい大学の場合、学部生から博士課程までの学生をすべて擁し、その上に学振などのポスドク研究員を受け入れるという場合が少なくありません。それでは教員側もとても対応しきれませんし、ポスドク研究員のために特別のプログラムを組むこともできません。

 しかし今日、大学の多様化に伴い、大学院大学のように、学部生のいない大学もありますし、理系の場合はもちろん、文系でも研究所のような形で基本的に学生がいない施設もあります(実際上は、何らかの形で大学院教育にはかかわっている場合が多いですが)。独立の研究所の他に、大学の付置研究所というのもあります。しばらく前から、このような研究所に対する風当たりが強くなって、不要論が言われるのですが、そのような施設は多数の学生を擁する学部と異なり、独自のプログラムを組める余地があります。そこで、若手研究者を活用する余地はまだ十分にあるように思います。

 私は、東京大学から国際日本文化研究センターという小さな研究施設に移って退職しましたが、そこでは教授は共同研究を組織することが義務となっています。その場合は、他組織の研究者を組み込むことができますので、そこに外からもできるだけ多くの若手研究者を入れて、活躍の場を提供するとともに、必要なアドバイスを与えるということができました。そのような形で、ポスドクの研究者がキャリアップと同時に、研究自体をレベルアップできる場をきちんと作っていく工夫が、もう少しできるのではないかと考えます。研究がレベルアップして、それによって、それに見合った職を得ていくというのが、本来のあり方ではないでしょうか。

2019年5月 1日 (水)

大学改革とオーバードクター問題私見

 以下は、すでに現役を去った元教授のごく狭い視野から見たもので、不十分のところが多いと思いますが、ご参考になればと思います。また、誤りや不備のところは、ご教示いただければ幸いです。

 

1、1990年代から2000年代へかけての大学改革

(1)小講座制の廃止と大講座・学科目制へ(1995頃)、関連して、助教授・助手から准教授・助教へ(2007

 旧来の帝国大学の組織は小講座制に拠っていた。それは、教授―助教授―助手各1人で一講座を形成し、もともとはそれに事務員1名が配属されていた。教授が研究・教育の責任者であり、助教授・助手はそれを助ける職務であった。旧帝国大学の文学部の場合、現実的には小講座が複数集まって研究室を形成していたが、それは正式の制度ではなかった。そのために、教授はそれぞれが一国一城の主であり、研究室内で教授同士が口もきかないというようなことも起りえた。

 1995年頃、小講座が廃止され、大講座となり、だいたい研究室単位で一大講座を形成するようになった。現在もその頃の組織がもとになっているが、かなり流動的になっている。助教授・助手が准教授・助教になったのは、大きな変化である。准教授・助教は教授を助けるのではなく、独立して教育研究に携わることになった。従って、現在は職階による上下関係はない。ただし、東大文学部の場合、教授と准教授で教授会メンバーを構成して、助教はそれには入らない。また、助教は任期制の場合が多いので、その点に差がある。助教も教授会に加わる組織もある。

 ただし、研究室が単位となって動くことになり、大学院教育も研究室単位で行われるために、実際には以前のような個人プレーではなく、研究室で協調して対応しなければならなくなり、そのための会議などが多くなった。

(2)大学院重点化(1995頃)

 旧制大学は4年生で、大学院は卒業して研究職を目指すものが籍を置いたが、大学院専門の授業もなかったはずである。博士号は特別なものであり、通常、教授も博士号を持たなかった。新制になって、大学院が組織されたが、実質的には修士課程で修士論文を書くことがいちばんの課題であり、それでひとまず一人前の研究者とされ、博士課程の指導はほとんど組織的にはなされなかった。課程博士も可能であったが、実際にはほとんどなく、博士論文は10年以上かけるのがふつうであった。

 大学院重点化で、大学院が学部と並ぶ正式の組織となり、その方が中心組織となった。それとともに、博士論文を提出して、課程博士を取得することが必須となり、そのための教育に力点が置かれるようになった。また、大学院の定員充足が要請されるようになった。この変化が急激だったために、さまざまな混乱を引き起こした。オーバードクター問題もそれに伴って大きくなった。

(3)国立大学法人化(2002)

 かつては国立大学は国家予算によって運営されていたが、法人化に伴い、運営費交付金と呼ばれる国からの運営費は大きく削られ、また、年々減少している。それに代わって、大学の自助努力が求められるようになった。大学独自で寄付金を求めることが必要となった。それとともに、従来法律で決まっていた大学内の組織が、各大学の判断で自由になり、それぞれ特徴ある大学を目指したり、新しい内部組織を作ったりすることができるようになった。しかし、大学間格差や、同一大学の学部間でも競争が激しくなり、学部間格差が大きくなるなどの問題を生じた。

 

2、以前からのオーバードクター問題

 専門によっては、かつては修士課程を修了すれば、すぐに大学に職を得られるようなところもあった。どこの大学にも設置されている英文学・国文学(現在の日本文学)・国史学(現在の日本史学)などは、売れ口がよかった。それに対して、インド哲学のような分野は、もともと就職口は小さかった。ただ、寺院の子弟が多かったので、修士課程修了後、自分の寺に帰るというコースがあり、必ずしも大学に就職しなくてもよい者も多かった。

 大学院入学の口述試験の際に、主任教授から、「修了しても就職口はないが、それでもよいか。両親は許してくれているか」と問われるのが慣例であった。ただし、これについては、私が助教授になってから、研究室会議で、大学院での研究とは関係ないことなので、不適切な設問ということで、それ以後取りやめることになった。しかし、実態が変わることはなかった。それ故、寺院のような帰る場所を持たない場合は、あらかじめ予備校・塾の講師や、不動産がある場合はその経営など、各自で収入の道を考える必要があった。

 その頃の大学への就職は、公募ではなく、大部分がコネによるものであった。基本的に研究者養成は、旧帝大系か大きな私立大学に限られていたので、それぞれに縄張りがあり、欠員が生ずると、先任者の出身大学の研究室に依頼して、適任者を紹介して、大体そのルートで就職することになった。旧帝大系の教授の仕事の一つは、どの大学のどの教授がいつ定年になり、その時に誰を推薦するか、その順番を決めることにあった。そのために、教授のボス化が起りやすかった。ボスの気に入られなかったために、就職の順番から外されるというアカハラ的なことも少なからずあった。

 

3、改革後の問題:大学院問題

 大学院重点化によって、博士課程の学生の指導教育が大きな課題となった。従来より門戸が開かれたことにより、人数も多くなり、また、課程博士論文が必須となったので、教員にとってその負担はきわめて大きくなった。修士課程・博士課程をあわせると、比較的少人数の専門でも、一人で十数名の指導学生を抱えることになり、その相談に要する時間だけ見ても、非常に長時間を要するようになった。論文の書き方から指導しなければならず、所定の期間で博士論文まで書きあげるように指導するのは、非常に大変なことである。

 大体、修士課程が2年で、1年延長可、博士課程が3年で、2年延長可であるが、それで書けない場合は、休学して時間を稼いだり、退学後1~3年の猶予期間を認めたりする。3年で博士論文はかなり難しいので、実際には5年くらいが普通であろう。その場合、修士・博士を終えると30歳近くなってしまい、それから一般企業への就職は困難になる。また、論文執筆のために、2年くらいは授業にもほとんど出ずに、論文に専念することが必要なため、文献解読などに必要な基礎的な習練を受ける時間的余裕がなくなる。いわば促成栽培的な論文が多くなり、学問的に未熟なまま外に出る恐れがある。

 もちろんよい点もある。学生が多くなることは、それだけ研究室に活気が出ることになり、学生間で読書会をするなど、自主的な活動がなされるようになる。また、博士論文の中には、非常に優秀なものも少なくなく、その能力が若くから引き出され、成果が上がることが可能となった。

 今日、制度が少し落ち着いてきたために、以前ほど無理に定員を充足せずに、ある程度余裕を持たせたり、また、受験生のほうでも、就職の困難が知られて、本当に研究したい人だけが博士課程に進むようになってきている。また、外国人留学生や社会人入学が増えてきているので、その場合は、就職問題と関係ない。学生の多様化は望ましいことと思われる。

 

4、改革後の問題:就職問題

 かつてのような指導教授によるボス的な就職斡旋はなくなり、今日では、公募が主流となってきている。公募情報は、科学技術振興機構のJREC-INで条件も含めて公開されるので、透明性が高くなっている。ただし、応募側の希望と合致する公募が必ずしもあるわけではないし、一つのポストに対してきわめて多数の応募があるので、公募で採用されるのは宝くじに当たるようなもの、と言われている。また、公募ポストは任期付きのものが多いので、任期終了後の再就職の問題が残される。

 すぐに任期なしのポストに就くのは難しいために、博士課程を終えた若手研究者は、多くはまず助教などのポストに就いたり、日本学術振興会(学振)特別研究員として、よりよいポストへのキャリアアップを目指す。今日、雇用規則により、若手の任期付きポストは多く3年程度で、2年まで延長可能というのが多い。学振特別研究員は任期3年である。これは、学振に雇用されるということになるので、正規の就職として扱われる。ただ、実際には、大学などの研究者が受け入れ教員となり、そこで研究に従事することになる。以前は、指導教員のもとにそのまま留まることが多かったが、徒弟的な形になることを避けるために、今日では、異なる研究機関(ただし、同じ大学内でも研究室が異なれば可)となっている。採用期間中には、科学研究費もほぼ自動的に付き、海外研究も認められるために、若手にとって恵まれた環境で研究に専念できるよい機会である。

 その最大の問題は、3年の任期後の保証がないということである。任期中は、専業義務があるので、専門と関係する非常勤講師は可能であるが、それ以外のアルバイトはできない。そこで、予備校や塾教師など、それまでのアルバイトをやめなければならず、任期終了後にはゼロの状態で放り出されることになる。そこで直ちに就職を得られることは、きわめて困難で、再びオーバードクター問題の振り出しに戻ることになる。

 その問題のただちの解決は困難である。今日、学生数の減少に伴い、大学教員のポストは減少している。そこで、いわば軟着陸のために、それぞれの大学ではさまざまな形で任期付きの研究員のポストを設け、ポスドクを受け入れるように努力している。今日、プロジェクト型の予算は増えているので、大きなプロジェクトや、あるいは大きな科研で研究員を雇用することは、以前より多くなっている。ただ、それも任期の上限があるために、プロジェクトを渡り歩くような不安定なままに、年齢を重ねる恐れもある。今のところ、それに対する根本的な解決はないのが現状である。

 

5、今後の見通し

 今後、大学の安定したポストの増大が望めないために、若手研究者の不安定な状態は今後も続かざるを得ないであろう。それに対しては、若手研究者の側では、必ずしも大学という組織に属して収入を得るという形でなくても、ともかく何らかの生活の道を立てながら、研究を進めるという自衛策を取らざるを得ないであろう。

 制度は、もちろん修正できることはすることが必要であるが、ある程度今の制度が定着してきている中で、それをあまり大きく変革することは、かえって再び混乱を招くように思われる。私自身としては、変革前の牧歌的なアカデミズムが好きであり、現役の時代にことごとく改革に反対して、抵抗勢力のように見られ、窓際に追いやられたこともあった。けれども、今さらそのような時代に戻ることは現実的に無理である。それ故、いまの制度をできるだけ柔軟に応用しながら、よりよい道を探っていくほうが現実的であろう。文教予算が増えることは望ましいが、赤字の国家予算の配分の中で、突出して予算を増やすことは難しいであろう。ただ、一部の巨大プロジェクトに多額の予算を付けるような形で、格差化を進めることがよいかどうかは、きちんと議論することが必要であろう。

 今日、大学の専任職は、きわめて多忙化し、かえって自分の研究に専念できないという問題も生じている。このことは、陰に隠れて見えにくいが、非常に深刻な事態である。そのために、皮肉なことであるが、定職を持たない状態のほうが、かえって研究に専念でき、成果をあげられるというような事態も生じている。

 今後、実際に悩んでいる研究者の声がもっと聞こえるようになり、それが新しい方向を生むことになれば、それは大きな意味のあることだと思う。

 

6、研究の中味も大事だ

 ただ、私自身としては、生活手段を得る定職としての大学のポストという経済的な視点も現実問題として重要と思うが、それとともに、本当によい研究を進め、よい研究成果を上げるという中味の問題を、見失ってはいけないと思う。既存の研究の枠や価値観の中で、認められる成果を挙げればよいのかというと、それだけではいけないと思う。博士課程の段階では、ともかく指導教授に従って、その枠組みの中で成果を上げるということにならざるを得ない。また、就職を得るためには、あまり極端にならず、ほどほどのところで学会に受け入れられる研究のほうが認められやすい。だが、それで終わってはいけない。

 本当の研究は、その基本的なパラダイムそのものを疑問視し、問い直し、新たな枠組みを作り出していくところまでいかなければならない。それは時間がかかる困難な道である。長期的な目で見て、本当に充実した成果が期待できる大きな視野を持った研究プランを立て、そこに志を同じくする仲間が集まってくるのでなければならない。一時的な流行ではなく、本当に今後の世界にとって必要な研究は何なのか。その原点を見失ったら、どんなに巨大な予算をとっても、場合によってはそれが逆に人類に悲惨な結果をもたらすことさえあり得る。反対に、明日の生活の保障さえないような中から、珠玉のような本ものの研究が生まれることもあり得る。

 私が若い頃、環境問題を追及していた工学部の名物助手宇井純が自主ゼミを行なっていた。実利的には何の役にも立たず、むしろそれとは逆なのに、毎回百人を超える聴衆が、学生も社会人も集まり、熱気にあふれていた。その中で、宇井は、かつて戦時下のポーランドで、大学が閉鎖され、それでも学問をしたい学生たちがあちらこちらに集まり、熱気に満ちた研究を続けていた例をモデルとして、しばしば述べていた。確かに1970年前後の全共闘の運動にもそのような理想があったかもしれないが、彼らは大学という組織の解体をめざすことで、その中味を忘れて崩壊した。社会に不要な学問はいらないという彼らの主張は、皮肉なことにそのままそっくり政府の側の主張に採り入れられ、実行に移された。それが大学改革であった。

 しかし、すぐに社会の役に立つ学問だけが学問なのだろうか。あるいは、ノーベル賞を取るような研究だけが優れているのだろうか。一見何の役にも立たず、世間から嘲笑されても、それでも本当に価値のある研究というのもあるのではないか。危機の時代だからこそ、本当に将来に目を据えた、本物の学問を、制度やお金の為でなく、築いていこうということは、単に夢物語なのだろうか。

 私自身はすでに現役を去った一老人に過ぎないが、それでももし志を同じくする若い人と一緒に、未来へ向けて希望の持てる研究をともにする場が持てれば、とても幸せだし、実際、多少の試みはしている。最初はごくささやかで、夢のような話だと馬鹿にされても、いつかは本当に世界を変えることのできる研究だって、決してありえないことではない。実際、そのような研究に資金を投ずる民間企業もないわけではない。必ずしも国だけを頼らなくても、道はあるのではないか。八方ふさがりのような時代だが、それでも希望は捨てなくてもよいと信じている。

2019年4月23日 (火)

西村玲さんの記事に関してご意見有難うございました

この度の朝日新聞の記事に対しては非常に大きな反響があり、また、私の抗議文に対しても、コメントやTwitterで様々なご意見を頂き、有難うございました。本当は書くことのできないもう少し複雑な事情もありますので、単純化したきれいごとのストーリーにまとめて、彼女を悲劇のヒロインに仕立てることには、私は反対でした。ただ、こういう形で問題が提起され、若い研究者の就職や研究のあり方に議論が絞られるとすれば、それはそれで、私の身近にも実際にそのような研究者が多くいますので、それを現実としてあきらめて受け入れるのでなく、何か突破できる道があるのであれば、考えていかなければなりません。それが彼女に対して多少なりとも応える道でしょう。近く小宮山記者とも会いまして、積極的な対応の道を一緒に考えたいと思っています。今回の一回の記事で終わりでなく、長期的な目で考えていかなければなりません。どうぞ皆さまにもこれで終わりでなく、関心を持ち続けてください。必要に応じて私のほうでもまた発信します。

ちょうど彼女の最後の仕事である井筒俊彦『東洋哲学の構造――エラノス会議講演集』の翻訳が出ました。彼女の専門であった近世仏教思想に関しても、これから研究を深めていかなければなりません。

なお、いただいたご意見に対して、多少コメント的なことを付させていただきます。

九州大学での火事の記事、教えていただきましたが、悲惨な事件は過去にもありました。1987年に広島大学で、助教授に昇進できなかった助手が学部長を逆恨みして殺人に及んだ事件でした。Wikipediaに広島大学学部長殺人事件として出ていますので、ご覧ください。

それから海外の例ですが、ドイツにも同じような問題があります。私の知っている範囲でも、助教までしながら、その後定職が得られなかったり、研究と無関係の仕事に就いた方を複数知っています。アメリカの場合は、大学の数が多いので、他に較べれば、大学への就職の門戸はかなり広いようです。それでも、就職できない方もいます。それと、アメリカでは、たいていは任期付きの助教授で採用され、その後テニュアの准教授に昇進するという2段階になるために、後者の段階で落とされる可能性があります。実際にそのような例を知っています。ただ、その方は他のやや条件の悪い大学に移ることができたので、全く放り出されたわけでもありませんでした。

 

2019年4月19日 (金)

朝日新聞小宮山亮磨氏の記事に関する私見

 8年近く放っておいたブログが、今でも残っていたことに自分でも驚いていますが、久しぶりに記事を書きます。

 朝日新聞(大阪本社版)2019年4月18日朝刊に「若手で受賞 でも20超す大学不採用――研究者は追い込まれていった」という記事が掲載されました。一面と、さらに続きが33面にも出る大きな記事です。執筆者は小宮山亮磨記者です。じつはそれ以前にネット版にも掲載されていました(多少違いがあるようですが)。概要は以下で読めます。

 https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

私の名前が出るところから、何人かの方から私宛にも問い合わせをいただきましたので、私の意見を表明するほうがよいと考えました。小宮山記者には事前に本稿を送り、誠意あるご返事をいただきました。私としては、決してケンカを売るつもりではなく、あくまでも私の意見を述べ、議論を進めたいという意図ですので、その点、誤解のないようにお願いいたします。

    *

 はっきり言って、この記事は不適切なものであると考えますので、以下私の意見を記し、同記者に抗議します。簡単に言えば、記事の中の事実に大きな誤りがあるわけではないのですが、一部の事実のみを記すことで、あらかじめ用意した結論に無理やり結びつけるという手法であり、読者をミスリードするものです。

 まず経緯ですが、事前に私に対して電話取材がありました。その時に、無理に一方的な結論に結び付けようとする誘導尋問的な語り方でしたので、そのように単純な問題ではないことを申し上げ、下記のような問題点も指摘しました。死者を自分の都合のよいように利用するということは厳に戒めるべきことであり、できるならば記事にしないでほしい旨、要望しました。ただ、それ以上は私にできることではなく、従って、私がしゃべったことを断片的に談話として使うことは拒否しました。ただ、私の書いたものから引用するのは、すでに公表したものですので、私としても拒否できませんので、記事には引用として私の言葉が出ています。しかし、出典を明記していないので、この掲載の仕方は不適切です。また、本来このような人の死と関係する複雑な問題は、きちんと対面取材すべきであり、電話で簡単にコメントを取って、自分に都合よく使うというようなことをすべきではありません。

 ちなみに、私はN氏が学振の特別研究員の際の受け入れ教員であり、それ以後、アドヴァイスは行っていますが、正式の指導教員ではありません。ただ、ずっとさまざまな場で共同研究を行ってきました。従って、記事に「指導してきた」というのは厳密には間違いですが、私も電話取材で「指導」という言葉を使ったところもありましたので、これは私が誤解を招いたところとして訂正します。

 ここでこの記事の問題点ですが、確かに取り上げられたN氏(享年43歳)が、安定した収入を伴う研究・教育職に就いていなかったことは事実です。そのことが精神的な不安定を招き、その後プライベートな問題で自死に追いやられたということも、まったく間違っているとは言えない面があります。ただ、人の生死を無理やりに一つの原因に結び付けるのはしてはならないことです。しかし、小宮山記者は、記事自体の中では、N氏が死に追いやられた事実を追うように見せながら、最後のところで「博士急増でも教員ポスト増えず」「国の交付金減り大学は財政難」という、現在の大学の問題を取り上げて、結局はN氏の死を、国の大学政策に結び付けるという方向付けを与えています。もちろん、今日の大学政策がいいとは言えません。この部分に関する限り、この指摘はこれで正しいところもあります。しかし、N氏の自死を現今の大学政策批判に直結させ、後者を結論として出すためのインパクトのある実例として、N氏の自死のことを利用したという形になっています。これは完全にミスリードで、認められません。

 まず指摘したいのは、小宮山氏は、N氏の問題を大学問題一般の問題に解消し、それを近年の大学政策を批判するという文脈に結び付けていますが、これは不適切です。N氏の研究分野は、日本思想史であり、そのなかでも近世の仏教思想を専門としています(このことは記事に書かれています)。従って、仏教学や宗教学とも関係するもので、その方面の学会でも発表しています。私自身は仏教学が専門であり、その方面から日本思想史や宗教学とも関わっています。私は、東京大学の印度哲学(現インド哲学仏教学)研究室の出身であり、その教員として学振特別研究員のN氏を受け入れました。しかし、この分野は最近就職がなくなったというのではなく、創設以来、就職の困難な領域でした。私自身も、大学の助手(いまの助教)を3年務めた後、任期で退職し、その後、安定した職を得るまで5年間就職浪人をしました。その間、職業安定所(今のハローワーク)にも通い、失業手当も受けました。40年も前のことですが、N氏とまったく同じ状況でした。従って、N氏の精神的に不安定な状態は、私自身もまったく同じことを経験しているので、よく分かります。私は37歳で職を得ましたが、N氏はそれより遅れています。しかし、今日全般に研究教育職への就職が遅れているので、40代半ばというのは普通です。それ故、それを直ちに最近の大学政策に結び付けるのは間違いです。

 確かに大学院重点化以後、ポスドクの就職の手当てが十分でないということは問題です。大学院重点化により、大学院生を定員まで増やすようにという圧力は大きいものがありますが、それに対しては、それぞれの専門で工夫していますし、特に修士課程から博士課程に進学させる場合はかなり絞っています。私どもの専門では、多少院生は増えていますが、外国人留学生や、定年後や他の専門を経た方の再入学も多いので、ただちにそれで若い人の就職難が大きくなったというわけではありません。そのように、国の大学政策のせいで一律に問題が起ったという書き方はミスリードするものです。

 私どもは、研究者の人数も少なく、厳しい状況の中で、長い伝統を守りながら、地味な研究を続けています。それは決して世間の脚光を浴びる分野ではありません。就職や収入も不確かです。それでも、研究が好きで、誇りをもって日々の研究を進めているのです。億単位の金が動く理科系とはまったく異なるのであり、それと同一に論ずるのは間違っています。

 それと関係して、N氏がまったく就職と無縁であったかのような書き方も間違っています。N氏は公益財団法人中村元東方研究所の専任研究員という専任職を持っていました。この研究所は、もともと私の恩師でもあるインド哲学の大家中村元先生が創設したものですが、中村先生は学生時代、尊敬する先輩がやはり就職がないということから自死したということがあり、職のない若い研究者を救済するということを大きな目的として、同研究所の原形である東方研究会を設立しました。確かにそこでは生活するに足る給料は出ませんが、奨学金の返済免除、科研の応募資格など、研究上の便宜はきわめて大きく、若い研究者にとって、大変心強いものです。私自身も就職浪人中、専任研究員として所属していました。このように、この分野の就職難は最近の政策の故ではありませんし、それに対して、研究者の側もまったく自衛策をとって来なかったわけではありません。そのことは、電話取材で私もきちんと申しましたが、今回の記事では完全にスルーされました。記事の最後に、「科学技術政策に詳しい」という方のコメントが出ていますが、N氏の場合から見ればまったく見当違いの内容であり、おそらくN氏の事情を知らされないままに、記者から求められて出したコメントであろうと思います。

 最後に、この記事は、N氏の研究上の業績にはほとんど触れることなく、「ずっと研究していたかった」というようなお涙頂戴式のリード文で、「経済的困窮」を際立たせるのは、死者に対して大変失礼なことであり、してはいけないことです。N氏は、2冊の著作(1冊は没後ですが)を有し、優れた成果を着実に上げてきた第一線の研究者であり、学会でも次第に指導的な地位に向かいつつありました。存命していれば、おそらくまもなく大学の責任ある職についたであろうと推測されます。確かに生活上の悩みはあったとしても、まず研究者としての実績に注目すべきであり、裏のプライベートな生活を暴き立て、非常に一面的な偏見を持った視点から、自分の主張のために利用するというようなことは、許されることではありません。ここに強く抗議致します。

 ちなみに、これは私の偏見かもしれませんが、もしN氏が男性であれば、このような記事の書き方になっただろうか、という疑問を持ちます。ジェンダーバイアスがなかったかどうか、これも十分な検討を要するところかと思います。

2011年11月30日 (水)

ネット議論のあり方

 先の文章(「ご意見を有難うございます」)に新たなコメントをいただき、佐藤哲郎さんの書評のことをお知らせいただき、有難うございます。情報自体は大変有難く、僕も知りませんでしたが、ただ書き方は少し気になります。

 僕はこれまでもいろいろな方と論争をしてきましたが、いちばん気を付けてきたことは、個人攻撃にならないこと、卑劣な態度を取らないことです。論争はあくまで気心が知れた、尊敬できる友人を相手にしてはじめて有意義なものにできるのであり、敵対関係やお互いに罵倒するような関係では、本当に実りのある論争にはなりません。

 僕はいつもその態度を貫いてきましたし、論争相手にもそのように求めてきました。ですから、論争をしてそれで人間関係が壊れたということはありません。はじめはよく知らず、警戒心を持ったり、敵対的な心情を持っていても、論争することによって、かえって親しくなり、お互いの立場が分かり、親しくなって来ました。論争する以上、そのような方向を求めるべきだと、ずっと信念を持ってやってきました。

 僕は、どうせ本名が分かっているのに、ネット上ではあえて匿名にしています。それに何の意味があるかと、しばしば尋ねられますが、あくまで議論は肩書とか経歴とかなしに、意見そのものを闘わせるべきだと思うからです。印刷されたものですと、公共の場に出るので、言葉にあるセーブが効きますので、きちんと名乗りを上げなければいけませんが、ネット上では、対象があやふやな場合が多く、個人攻撃や、人格攻撃にまでなりかねず、本当の議論から問題がずれてしまいます。それを避けるために、できるだけ個人性は外して、内容本位で議論するほうがよいのではないかと思うのです。ただ、そのあたりは、若い方とは感覚のずれがあるかもしれません。

 そのようなわけで、これまでも意見や態度に対しては、かなり厳しく批判しても、個人攻撃や、ある特定の団体に対して悪口を言ったり、陰口を聞くような態度は、自分であれ、他人であれ、決して認めず、戒めてきました。そのことははっきりさせておきます。今後はそのようなコメントは削除させていただきます。

 ちなみに、今回お名前が出ましたので、あえて書いておきますが、佐藤哲郎氏は僕にとって尊敬すべきよき友人で、そのご著書を高く評価していますし、スマナサーラ長老たちの活動にも注目しています。ですから、『サンガジャパン』にも執筆しています。

 僕は伝統重視派ですが、それに対して、従来からも批判仏教のように、伝統的な日本仏教を批判する立場もあります。意見は違っても、それはそれでありうる立場です。震災自然現象説も、一概に否定するわけではなく、そこからどのような積極的な帰結が出てくるか、これから展開してくださることを期待しています。ぜひもっと議論を深めたいと願っています。

 ネットの中に閉じた党派性を作って、自分たちだけ囲い込んで他人を排除して自己満足にふけるのではなく、本当に開かれた議論の場を作り、反対意見も含めて、お互いの理解を深めるような論争をしたいと切に願いますし、このブログを訪れた方には、そのような基本方針をわかってご協力いただければ有難く存じます。

2011年10月23日 (日)

メモと近況

 これ以上ネット上には書かず、今後、印刷物の場で意見をまとめていくということで考えていますが、堀江さんから大学の授業でも使っていただいたとのことで、貴重なご意見をいただき、有難うございます。なかなか僕のような考えは理解されにくいので、時間をかけて整理していかなければなりませんが、いくつか思いついたことと、今後の予定など記しておきます。

1、石原発言問題とごっちゃになったため、政治的なアジテーションと誤解されたところがある。あくまで、それとは切り離して、哲学・宗教的な問題として考えるべきである。

2、その場合、自然科学者と同じように、「地震」が自然現象としてのプレート移動によるものかどうか、ということを議論しても仕方ない。「震災」の捉え方を問題にしているのであって、自然現象としての「地震」の原因を云々しているのではない。

3、問題は、自然という他者とどのように関係するか、ということである。他者とは、これまでも拙著にしばしば論じてきているように、合理的なコミュニケーションが不可能でありながら、関わりを持たざるを得ない何ものか、である。

4、そのような「他者としての自然」と関わるには、一方で、自らのあり方を反省する必要があり、他方では、「他者」に対して、どのように処遇するかが問題になる。

5、そのことは、「自然現象だから仕方ない」というような無責任な態度でなく、今後も起りうる災害に対してどのように対するかという、将来へ向かっての問題にも絡む。

6、このように考えれば、「震災は天災、原発は人災」というような二分化は成り立たない。

7、思想史的に見ると、仏教理論としては、「業」をどう考えるか、ということがひとつの問題となる。もうひとつは、日蓮の善神捨離説である。他に、中国の天人相関説があり、「天罰」というのは、それを受けて室町期に天道説などと関連して形成されたようである。

8、それらを、単に過去の説として見捨てるのではなく、近代的な合理論が通用しなくなった中で、もう一度その意味を考え直す必要がある。

9、「震災」に対して、「無常」ということが一部の人たちによって言われたが、原発問題をみても、あるいは、なかなか被災地の瓦礫も片付かないことを見ても、「無常」で片付けるべきではない。むしろ、「無常」が通用しなくなった状況にどう向うか、という問題である。

10、議論の方法として、相手の意見も聞かずに、一方的にバッシングして、議論を封ずるような方法は、絶対に認めず、それに対しては断固闘う。

 以上、これだけでは納得していただけないと思いますが、このような方向で理解していただけるように書いたり、発言していきたいと思います。

 今後の予定として、現在、日本の自然観の歴史の論文を執筆中で、来年はじめには、日本の災害観の歴史について書かなければなりません。それらで、歴史的なことを整理してみます。来年予定している拙著の中でも、とりあえず論争を簡単に振り返るようなことは書きたいと思っています。日蓮宗でもようやく震災論を本気になって議論したいということで、そのような機会に発言することも出てきそうです。できれば、今後、反対論者にも加わっていただいてシンポジウムができるようにしたいと思いますが、慌てずに、もう少しそのような気運が出てくるのを待ちたいと思います。もし時間が調整できれば、授業に参加して、学生さんと議論してもかまいませんが、時間の調整が難しいかもしれません。

2011年9月25日 (日)

ご意見有難うございます

 僕の所論に対して、いろいろご意見をいただいて、有難うございます。

 川口さんには、貴重な情報を有難うございます。

 佐藤さんには、ご意見有難うございます。上座部仏教やチベット仏教に関しては、まったく知らないので、見当違いも多いかと思います。お許しください。ただ、業や心の問題が関係するということは、よく理解できますし、東アジアに伝わった『倶舎論』などの理論とも合致するところです。「業」の問題は、僕もまだ、どう理解したらよいのか、はっきりできないところがあり、正直を言っていささか避けています。さらにご教示ください。

 僕自身は、密教を中心とした日本仏教の考え方をどのように生かせるか、ということを考えていますが、既成の仏教教理そのものではなく、それを僕なりに組み替えたいと考えています。その前提から出発して書いていくと、非常に複雑になってしまいますので、とりあえずは『仏教vs.倫理』第20章をご覧いただければ、基本はご理解いただけると思います。「自然」を「他者」として捉えるということは、決して親密なだけのものとしてだけ捉えるということではなく、逆に理解不能ということが原点ですので、師さんのご批判には答えられると思います。もっとも、僕の他者論はやや特殊ですので、それ自体への批判はあろうかと思います。

 ただし、『東京新聞』(中日新聞)にも書きましたように、いろいろな見方があってよいと思います。立場の違いはあっても、一方で違いをはっきりさせると同時に、協力できることはしていければと思います。当初、石原発言是か非かという踏み絵的な二者択一で問題が出されたために議論の論点がずれて混乱しましたが、少なくともそれを超えて、生産的な議論を通じて、理解し合える基盤は作られたのではないかと信じます。

 自然現象説を槍玉に挙げるような書き方になったことは、これもお許しください。もちろん、佐藤さんのようなご理解であれば、まったく賛成であり、十分に協力していけると思います。しかし、例えば、玄侑さんのような方でも、地震と津波は自然現象で、原発はそうではないというようなことを言っておられるし、『在家仏教』9月号の巻頭言で、高崎直道氏も同じようなことを言っています。そうした言い方はかなり通俗的に広く受け入れられているのではないかと思います。それもひとつの立場かとは思いますが、原発と、地震・津波の被害を完全に切り分ける二元論になったら危険かと思います。原発も、ある意味では、地震・津波の被災地と同様に現代社会の縮図であり、連続的に捉えるべきではないかと思います。

 それと、何より重要なことは、震災は終った問題ではなく、これからの被災者の生活、被災地の復興、原発対策、そして、それと同時に、これから起るであろう首都圏の震災に対して、どのように対応していけばよいのか、という未来へ向っての問題も含みます。と言うよりも、それこそ最大の問題です。本当に必要なのは、それをどう考えていけばよいかという理論だということには、賛成していただけると思います。それに向って、ぜひ一緒に考えていくことができればと思います。

 自然は年毎に厳しくなってきています。東北だけでなく、最近の台風で、紀伊半島は壊滅的な打撃を受けました。そうしたことも含めて、僕たちの生活のあり方をもう一度根本から考え直さなければならないのではないかと痛感します。八ツ場ダム工事を続行すべきか否か、諫早湾の開門をどうするか、などの問題は、簡単な二者択一で答えられない難しい問題であると同時に、過去の我々の自然との付き合い方がよかったのかどうか、もう一度検討しなおすように問いかけているように思います。

 もっとも、このようなことがはっきり言えるようになったのは最近のことであり、これは議論の中で自分の立場が次第にはっきりできるようになってきたからです。僕の立場は、皆さんのように決定的な立場が最初から決まっているわけではなく、いろいろと試行錯誤しながら、突き当たり、曲がりくねり進んでいます。ご教示いただければ幸いです。

 ただし、正直を言って、Twitterにはもう関与しないつもりです。もともと瞬間的な判断力に欠けていますので、短く的確に書くことは無理です。それと同時に、たしかに災害時に、Twitter情報がもっとも早くて正確であったという利点もあるとは思いますが、少なくとも公共的な場に出すべきでない、人を傷つけるような言葉が数多く飛び交い、とても読むに耐えません。最近若い方に聞くと、ユーチューブの動画の中には、撮影禁止のところや、個人のプライバシーを侵害したようなものが多数あるということです。

 数年前、僕は自分の哲学を作り上げていくのに、HPを使いました。けれども、その後、ずっとHPからもブログからも離れていて、今回、はじめて臨時のブログを開設しましたが、これも今後定期的に更新していくつもりはなく、特別のことがない限り、閉鎖はしませんが、そのまま放置することになると思います。ネットを使いこなすのは、若いうちでないと、ちょっと無理で、とりわけ、時間をかける思索にはあまり向いていないように思います。

 ただ、前にも書きましたように、ネットに積極的に関わるみなさんには、ネットの倫理というのをきちんと確立していただきたいということを改めて強く要望します。そうでなければ弱者いじめの悪魔の所業になります。ネットを自在に使いこなす人は、他の人もみな同じようにできるとつい思いがちでしょうが、そうではなく、苦手な人はたくさんいます。当事者が見ていないところで悪口を言いあうのが、はたして倫理にかなうことかどうか、ぜひ皆さんの良識で判断してください。

 とりあえず、これから先に進むためには、少し時間をかけて、思索を深めていくことが必要ですので、しばらくブログを離れます。ただ、先に書きましたように、震災は過去の問題ではなく、現在、そして未来の問題でもあるという基本の立場から、発言すべきことがあれば、発言していきたいと思います。

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