2020年6月 8日 (月)

原点のフェイク記事問題に戻り、研究者のあり方を考える

 コロナは大きな時代の転換期となりそうです。報道と情報伝達の問題も、会議や授業もオンラインになる一方、テレビ番組をめぐるSNSの誹謗で自死者が出た問題は、テレビという既成のマスコミの手段と、SNSという新しい情報伝達手段との複合的な問題を提起しました。検察法をめぐる問題でSNSが政治を動かす一方、トランプ大統領とSNSの関係も複雑です。そうした問題も考えてみなければなりません。他方、研究者のあり方をめぐっても、大学の外でどのような活動が可能か、これもきちんと考えていかなければなりません。ただ、先走ってどんどん進んでしまっても、何が問題なの分からなくなってしまいますので、このあたりで、もう一度原点に戻っておきたいと思います。

 もともとこのブログは、一つの新聞記事がフェイクだということを追及することから始まっています。それは、朝日新聞に出た記事です。ネットでは関連する記事がいくつか出ていて、印刷記事との関連がはっきりしません。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

   タイトル「文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死」

   これは全文が見られますが、短縮版です。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html

   タイトル「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた」

   これが印刷版と同じもののようですが、後半は有料です。

   以上は2019410日の記事です。

  https://www.asahi.com/articles/ASM4V7GYNM4VULBJ018.html

   タイトル「女性研究者の自死が伝えるもの「役に立ちたがっていた」

   2019521日の記事ですが、やはり有料ではじめしか見られません。

   これは、後継記事のようですが、実は私も今回発見したもので、知りませんでした。

 取り上げられた記事は201622日に43歳で自ら命を絶った研究者西村玲氏に関するもので、彼女が就職を得られないために追い詰められて自死したというストーリーで、そこから、博士課程を修了しても就職のない若手研究者の窮状へと問題を持っていくというものでした。それは広く共感を呼び、多くの反響がありました。私は、彼女を学術振興会の特別研究員として受け入れ、その後、共同研究を共にしてきたこともあり、記事に私の名前も出てきます。

 けれども、多少経緯を知っているものから見る時、この記事は明らかなフェイクです。すでに指摘してきたように、彼女の自死は結婚に問題があったためであり、決して就職がなかったためではありません。記事ももちろん、結婚のことに触れていますが、あたかも就職がないために、誤った結婚をしたかのような書き方になっていて、いわば、無就職(→

結婚)→自死のように、よほど慎重に読まないと、結婚を飛ばしてしまうような書き方になっています。そもそも、就職がないから、よく調べずに変な相手と結婚したなどというストーリーは、まともに考えれば絶対にあり得ないことでしょう(逆に就職がないから結婚できないという話ならば、実際にたくさんあります)。それなのに、そのようなあり得ないストーリーを信じ込ませてしまうのが、フェイク作りの記者の腕前ということです。

 しかし、もう一つ大きなフェイクがあります。それは、彼女は決して就職してなかったわけではありません。彼女は公益財団法人中村元東方研究所の専任研究員でした。同研究所については、ホームページがあります。

  http://www.toho.or.jp/

 Wikipediaにも簡単な紹介がありますので、ご覧ください。

 私自身、若いころ就職がなく、当時財団法人東方研究会と言っていた頃、専任研究員を5年間勤めました。一時期、同研究所の評議員をしていたこともあり、私が彼女を専任研究員として推薦しました。ただし、今は直接の関係から離れています。

 もともと同研究所は、文化勲章受章者のインド哲学研究者中村元先生が、就職できない若い人たちに研究の場を与えるという目的で設立したものです。専任研究員と言っても、実質的にはほとんど無給で、研究所の事務的な仕事をすることで、時給的に多少出ます。そんなわけで、それだけでは生活できません。ただ、いわば就職浪人者の互助組織的なもので、辞典の項目執筆、非常勤講師職の紹介等の仕事を回してもらえます。

 今日では、国の奨学金の制度が変わってきていますが、以前は、貸与型の奨学金も、ある年数研究教育機関で職に就いていれば、返還免除になりましたが、同研究所はその免除機関となっていたので、専任研究員になれば、返還しないで済みました。これは、厳しい経済事情の中で、大きなメリットです。また、科学研究費の申請資格もあり、研究費を獲得できました。これも重要なことです。科研費があれば、資料代や出張費が賄えます。科研の応募資格があると、他の研究者の科研の返球分担者として、共同研究にも参加できます。

 従って、多くの専任研究員は、他に塾などで生活費を工面しながら、研究所に所属することで、研究を継続することが可能でした。ただ、公益財団法人になってから、かえって制度の締め付けが強くなり、かつてのような自由さがなくなってきています。

 確かに大学や研究機関に就職がないのは厳しいことです。しかし、それを乗り越えようとする試みはいろいろと為されていて、同研究所もその大きなチャレンジです。そういう場で、彼女は専任研究員として仕事を持ち、そこから紹介された仕事もこなしていました。例えば、記事では、「見かねたベテラン研究者が仏典の英訳を点検する仕事を回してくれた」とありますが、これも仏典の英訳プロジェクトに関係している同研究所の人が能力のある適任者に依頼しているものであって、決して「見かねたベテラン研究者が」彼女の経済的窮状を救うために、どこかから探してきて仕事を回したというわけではありません。これも事情を知っていればすぐ分かることですが、それを隠してこうした書き方をすると、知らない人は本当に思ってしまうでしょう。

 このように、記事は徹底的に東方研究所のことを消そうとして、それに成功しています。記者にこのことを尋ねたところ、「それで生活できなければ仕方ないでしょう」と反論しました。けれども、今日大学の就職先が限られ、それに必ずしも大学が本当にいい研究をするのにふさわしい場所かと言うと、そう言えなくなっている現状を考えると、東方研究所のような組織は重要な意味を持ち、そのような大学外の研究のあり方を模索していくことは大事なことと思います。それを一切伏せて、お涙頂戴式の記事に仕立て上げた記者の手腕は大したもので、事情をよほどよく知っている人でなければ騙されてしまいます。

 じつは、この記事のはオチがあります。ネット記事には入っていないのですが、紙媒体には、最後に、「科学技術政策に詳しい一般社団法人「科学・政策と社会研究室」代表・榎木英介さん」という方のコメントがついています。それは、「研究機関に所属していなくても研究しやすい環境の整備も欠かせない」と、必ずしも大学や研究所に就職できなくても、独立研究者でも研究できるようにすべきだ、ということを言っています。これは本当にその通りで、東方研究所は、(現在の状況はともかく)もともとはそのような独立研究者がきちんと研究できるような互助組織的なものを作ろうとしていたのです。ですから、そうであれば、当然記事は同研究所の活動を積極的に評価して書くべきなので、コメントとは逆に、大学に就職できなければ研究者は他の生き方はあり得ない、という前提で書かれているのは、はっきり言って許せないと思います。

 私自身は、三十代後半で、生活できるだけの給料の得られる大学に就職できましたが、それは本当にたまたまであり、そのような職を得られないままでも不思議はない状態でした。それだけに、大学以外の生活手段を得ながら、研究を続けられるような、そういう道を積極的に作っていくことの必要を強く感じています。何でも、既成の道以外はないと決めつけるのでなく、既成を外れたところに積極的に可能性を見つけていくことも、とても重要なことだと思うのです。

2020年5月 9日 (土)

大学と大学の外

 コロナウイルスの蔓延で緊急事態宣言が発せられて、学校の対応が大変です。大学はほとんどすべてが休講状態で、キャンパスへの立ち入りを禁止しているところも少なくありません。オンライン授業も広く行なわれています。大学をネットで開放するのは、しばらく前からの課題でしたが、これから大きく進展するでしょう。

 ところで、このブログでずっと考えてきている大きなテーマの一つは、大学の組織と研究者のあり方です。確かに研究者の大学や研究機関への就職ということは、研究者にとって生活の根本にかかわる問題です。就職して生活が安定しないと、結婚して家庭を持つことも困難ですし、逆に大学院時代に結婚して家庭を持っている研究者がその後就職できないという事態も大変なことになります。コロナで大学が閉鎖されると、身分が不安定な非常勤講師の立場も大きく揺れます。

 そうした就職と生活という問題も大事ですが、もう一つの問題は、大学という組織内でなされる研究の性質の問題ということも考えなければなりません。つまり大学という大きな組織の中で研究が埋没してしまうのではないか、ということであり、そのことは、大学外で研究ができるのか、という問題でもあります。

 そんなことを考えるのは、僕がいわゆる全共闘世代だからでもあるでしょう。僕が入学したのはその最後の年で、入学するとすぐに、全学ストライキとなり、その後、安田講堂占拠と機動隊導入へと続き、翌年には東大入試が中止になりました。最後の盛り上がりの時ですが、僕自身はそういう政治向きの話はまったく分からない、いわゆるノンポリと言われる立場でした。それより自分個人の精神的な問題で手いっぱいというのが正直なところでした。ただ、大学という組織のあり方への疑問は大きく植え付けられたように思います。

 60年安保が全学連の学生を中心としながらも、安保条約改訂という国家社会の問題を中心としたもので、国会へ向けてのデモは一般市民にも広がりました。それに対して、全共闘の運動は、もともと医学部のあり方をめぐって出発し、「大学解体」がスローガンとなったように、大学という場に集約されたものでした。新宿や御茶ノ水のバリケードのように、新左翼による騒乱もありましたが、過激化することで、社会的共感は広がりませんでした。

 その分、大学内の矛盾が大きな問題となり、いわゆる象牙の塔が国家体制の庇護のもとに硬直化して、体制擁護になっていることが問題とされました。そこから「自己批判」「自己否定」がスローガンとなりました。

 今考えてもその過激な主張に同調できませんが、ただ、当時から大学という場の中で行われる研究というものがそれでよいのか、という疑問は、今までずっと持ち続けてきています。

 当時の全共闘の活動家の中には、その後、大学を離れて、学問のあり方を問い続けてきた人たちも少なくありません。東大全共闘議長の山本義隆は、その後駿台予備校のスターとなる一方で、科学史に関する大著を著して、研究者として高く評価されています。また、哲学の長谷川宏は、子供の塾を経営しながら、ヘーゲルの新訳に挑み、従来の難解な訳でなく、分かりやすい日本語に置き換えた画期的な訳で大きな衝撃を与えました。また、生活の場に根ざした哲学を実践してきたという点でも注目される思想家です。

 また、当時、造反助手と言われ、その後も東大に身を置きながら、大学を問い続けた人たちには、宇井純、最首悟、大西廣などがいます。当時は国立大学の助手の身分は任期制ではなかったので、造反しても解雇できなかったので、任期制になった今では不可能です。京大で反原発を貫いた小出裕章も、「万年助手」(最後は制度が変わって助教)でした。

 大学と関わりなく、哲学的な研究を進めた人としては、長谷川さんの他に、内山節さんがいます。内山さんは、群馬県の農村にすみながら、いわば現場から哲学をしてきた方です。後には大学とも関わりますが、もともとはそもそも大学も卒業しておらず、そのあたりの経歴や思想遍歴はよく知りません。内山さんは私などと同世代です。もっと上の世代では、全共闘の神様扱いだった吉本隆明がいます。

 ただ、大学に定職を持たずに研究を続けることは、確かに大変なことです。よほど親の遺産でもあって、生活の心配がないのならば別ですが、そうでなければ、何らかの形で収入を図らなければなりません。本がたくさん売れれば、それで食っていくこともできるでしょうが、今日、本はそれほど売れませんので、その収入だけで生活費を稼ぐのはかなり大変です。かつては、高校教員でも研究日を取ることができ、優れた研究をしていた人たちがいました。僕と同世代でもいます。けれどもそれも難しくなってきました。

 大学を何らかの事情で退職して、その後、活躍している方もいますが、それぞれ大変のようです。宗教学者の島田裕巳さんは、オウム事件で、オウムを擁護し、学生をオウムに引き入れたという風聞のために、日本女子大を退職に追いやられました。社会学者の大澤真幸さんは京大を若くして退職しました。明治学院事件の寄川条路さんもそうです。

 そんなわけで、生活という面を考えると、大学を離れることはなかなか難しいのが現状です。もちろん、研究と関係する職場はあります。最近では、民間企業のほうの研究所のほうが大学よりも研究水準が高いこともあり、企業からのノーベル賞受賞者も出てきました。文系では、博物館・美術館・図書館などもあります。ただ、よほど恵まれていないと、なかなか難しいでしょう。

 そんなわけで、生活ということを考えると、もし大学や研究施設を離れたところで研究しようというのであれば、かなり覚悟を決めて、生活の道を考えておくことが必要です。それでも、困難ではあるけれども、不可能ではない、と思います。先に挙げた人たちは、それぞれ困難な中で道を開いてきました。大学という場が今日、全共闘時代以上に大きな企業体となり、その中の歯車に組み込まれるよりも、その外でなければできないこともあるのではないかと思うのです。とりわけ哲学関係の学問は、もしかしたら大学という組織の外でなければ、本当の発想が生まれない、ということがあるのではないか、ということもあります。そう言えば、『14歳からの哲学』で知られた池田晶子さんも、大学に就職せずに頑張った一人です。

 大学の外でなければできない学問もあるのではないか。大学人も巻き込んで、外でできる活動もあるのではないか。それがどのようにできるのか。定年までサラリーマン教授でいて、退職してから言い出すことではないかもしれませんが、それでも、退職して自由になることで、発想が生まれるということも確かにあると思います。僕なりに考えてみたいと思います。

2020年4月12日 (日)

大学の伝統と学問の自由

 新型コロナウイルスで、他の問題はぶっ飛んでしまいました。確かにこれで、世界の歴史は大きく変わりそうです。大学はほとんどすべて閉鎖され、授業開始延期か、オンライン授業になっています。そんな状態で、仕事も手に着かない現状で、大学問題のほうに手が回りませんが、先月触れた苅谷剛彦・吉見俊哉両氏の対談『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)は、話題がちょっと散漫で、あまりいいと思いません。ただ、そこから芋づる式に読んだ吉見さんの『大学とは何か』(岩波新書、2011)は、勉強になりました。

 この本は、大学の歴史をざっくりと述べたもので、西洋における大学の成立と展開、そして日本の近代における大学成立と戦後の改革と、その流れがざっと見通せます。西洋の大学が中世に形成され、自治組織として外の政治権力と闘いながら学問の自由を作り上げてきたということは、よく言われることで、私もその程度の漠然とした知識しかありませんでした。しかし、そのような中世型の大学は1618世紀には衰退し、19世紀になると、ナショナリズムの高揚の中で、新しい国民国家型の大学ができてくるというのです。その代表がベルリン大学です。

 それに対して、日本の大学は、この19世紀型の大学を輸入したのが日本の大学です。1877年に東京大学ができますが、その前に1869年(明治2年)にすでに大学と呼ばれる組織はできていました。旧昌平坂学問所が本校で、蕃書取調所の系譜を引く南校と、西洋医学所の系譜を引く東校とからなっていました。ところが、翌年にはなんと中心となる本校が廃止となって、後に南校と東校を統合して東京大学となりました。

 この最初の「大学」は、西洋式の大学ではなく、律令の「大学寮」に由来する復古的なもので、儒学と国学を中心としていましたが、その本校が閉鎖になって、西洋の学問を輸入する南校と、実用的な医学を学ぶ東校が核となったわけです。その後、東京大学では、和漢文学科ができますが、その由来から分かるように、中心は輸入学問と実用学だったわけです。それが発展して、1886年に帝国大学になります。その後、京都帝国大学が1897年にできたことで、これまでの帝国大学は東京帝国大学となりますが、その間は、帝国大学は一つだったわけです。しかも、大日本帝国憲法が1889年に発布されるより前に、帝国を名乗っていたわけです。帝国大学令では、「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授」することを目的としていました。

 このように、日本の大学制度は、西洋の19世紀の新しい国民国家型の大学を輸入したのですが、ヨーロッパのように、下から積み上げたものではなく、完全に上から「国家ノ須要」ということを目的に作った大学だったわけです。戦後、変わったとしても、そこでは、自分たちの手で作り上げたり、闘い取った成果という伝統はないのですから、はじめから国家のための大学ということは明白でした。ですから、「学問の自由」などと言っても、所詮は「国家ノ須要」の範囲内のものでしかありません。

 ところで、ヨーロッパの大学は、19世紀に性質が変わったとはいえ、その起源は、ボローニャ大学は1158年、パリ大学が1232年という古い歴史と伝統を誇っています。それに対して、日本の場合、いちばん中核となる昌平坂学問所はもとは林羅山に始まる林家の私塾だったのが、寛政の改革で1790年に幕府直轄となったものです。ところが、それが明治の大学制度の中で消えてしまうという不思議な流れになっています。つまり、日本の古い伝統を受けていないのです。

 このあたりになると、吉見さんが論じていないことですが、江戸時代に源流が遡る大学は、私の知る範囲では、龍谷大学が1639年の西本願寺の学寮に由来するということですので、そのあたりがいちばん古そうです。それに対して、江戸時代は、昌平坂学問所をはじめとする儒学の学校はどうなったのでしょうか。昌平坂学問所は幕府直轄ですが、それに対して各藩は藩校を設けて、武士の教育を行ないました。また、個人の儒者が私塾を開きました。公立大学と私立大学のようなものですね。

 こうした藩校や私塾がどうなったかというと、私塾はほとんどなくなりました。ただ、幕末近くに作られたものは、福沢諭吉の慶應義塾のように、私立大学の名門になったものもあります。学習院は、孝明天皇の代に京都で公家のために作った学校ですね。それならば、藩校はどうなったかというと、一部は現在の地方の国立大学に引き継がれているようですが、旧制中学から現在の高校に繋がっているところが多いようです。

 そう考えると、儒教教育は確かに帝国大学では衰退しましたが、そのもっと基礎となる地方の中等教育の中に生き残ったように思われます。中等教育は大学以上に人格的な基礎となるもので、国民の中に浸透します。また、教員養成のための師範学校は、天皇主義的な教育が強く注入されます。そうして教育された教員が初等教育・中等教育を担うことになります。

 このように、日本の教育は、初等・中等教育は儒教をベースとした天皇主義、つまり教育勅語を中心とし、その上に、エリート養成の大学においては欧米の輸入学問を摂取するという、異なる原理に基づく重層的な形を取りました。そのギャップを埋めるために、旧制高校が機能を発揮します。旧制高校はそれまでの儒教的な教育を洗い流して、外国語をベースに欧米の新しい教養を身に付け、自由を謳歌します。こうしてエリートの自覚が形成されます。彼らは、エリート意識をもって「国家須要」の学問をし、それによって自ら国家の形成に参画していくことになります。

 旧制大学が、「国家ノ須要」の学問をしながらも、ある範囲で屈折した形の「学問の自由」の意識を育んだのは、このような理由に拠ります。つまり、彼らエリートは、初等中等教育で叩きこまれた儒教的な天皇主義を、旧制高校でいったんリセットして、今度は、自らの意志と新しい学問技術をもって「帝国」の形成に参画していくわけです。そこでは、「国家ノ須要」の学問を目指すことと、そのためにこそ自分たちの判断で「自由」な学問をすることとは矛盾しません。上から強制されるのではなく、自分から進んで行う「自由」こそが、本当の「国家ノ須要」の学問を育てることになるわけです。日本の大学における「学問の自由」はこのような由来を持つものと考えられます。

 戦後教育は、このようなエリート主義を排して、大学の大衆化に向かいました。新たに設けられた大学の教養課程は、エリートのための教養ではなく、誰もが身に付けるべき基礎的な教養を意図していました。大学の大衆化は60年代に大きく進展し、70年代初めには男子の大学進学率は30%を超えました。その中で、幅広い教養を身に付けて、その上で専門を学ぶなどという理想は次第に骨抜きにされていきました。大学は通常の企業と同じレベルの職場となり、大学教員は戦前のようなエリートではなく、ふつうの職業の一種であり、会社員と大差なくなりました。大企業ほど給料はよくないが、勤務体制がフレクシブルで、多少は自由な時間が多く、社会的ステータスがいささかある、程度の職業です。そのような中で、学問の自由がどれほどの訴える力を持ち得るでしょうか。学問の自由はもはや無意味化したと見るべきでしょう。

 制度としての大学は今、大きな転換期に来ています。学問もまた、大きく変質しつつあります。どのような理想を求めたらよいのか、混乱の状況はなお続くでしょう。

2020年3月13日 (金)

ちょっと一休みの雑談

 一か月に一度記事を追加していますが、今月は一休みします。はなはだ個人的なことですが、引っ越しをしなければならず、老齢の身にはいささか応えて、ここひと月ほど何もできない状態です。今月いっぱいくらいで片付けばと思っています。書かなければならないことはあるのですが、身体も頭もついていかず、夜はぐったりして早寝しています。そんなわけで、本格的な議論になりませんが、雑談的なことだけ少し書きます。

 こんなブログですが、定期的にチェックしてくださる方がいて、有難いことです。いろいろとコメントいただき、考えさせられます。森新之介氏がブログで大きく取り上げてくれています。

  https://researchmap.jp/m80638718/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0

 私のブログを非常に詳しく読んで、批判をしてくれています。有難うございます。私の見方はあくまでも一面的でしかありません。こうして別の視点からの見方が提示されることで、問題が立体化して、複眼的な視点で見ることができるようになります。それはとても大事なことだと思います。

 「明治学院大学事件」の寄川条路氏からは、同氏の編集になるブックレット第三弾『大学の自治と学問の自由』(晃洋書房)を頂戴しました。今回は、明治学院大学事件と類似の他大学の事例が紹介されていて、いささか衝撃的です。「大学の自治」「学部の自治」の名の下で、何がなされてきたのか、これまで十分に反省されてきていなかったことが、厳しく問い詰められます。杉山和也氏の紹介する宮崎大学のハラスメント捏造事件には、あ然とするほかありません。大学の劣化ということが、深刻に考えさせられます。寄川氏の状況は依然厳しいものがありますが、このシリーズは継続の中で次第に問題が掘り下げられています。

 苅谷剛彦・吉見俊哉両氏の対談『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)は、まだ読むに至っていません。ただ、苅谷氏の大著『追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育』(岩波書店)は、感銘を受けました。これも引っ越しの荷物に入れてしまったので、今詳しく内容を紹介できないのですが、記憶だけで書きますと、追いつき型の日本の近代は、1980年代の臨時教育審議会(臨教審)ではっきり終わりが宣言されているということです。つまり、それ以後には追い付くべき近代のモデルが消えてしまったわけです。そえrが「消えた近代」ということです。1990年代から大きく日本も世界も変わります。それは、一時的な流行としての浮ついた「ポスト近代」などではなく、本当に近代が消えてしまった後、どうしたらいいのか、世界中が右往左往しているということでしょう。2010年代に入っての東日本大震災と原発事故、そして今まさしく世界を覆っているコロナウイルスのパンデミックも、そうした状況と無関係でありません。あたかもペストのパンデミックが中世の終わりを隠したように、コロナウイルスは近代にとどめを刺すものとなるでしょう。その後、どうしたらよいのか、それがこれから問われていくことになると思います。

 近代の消滅の問題はこのブログの趣旨からは外れてしまいますが、それをもう一度引き戻すと、おそらくフェイクの流行もまた、そのような時代の劣化、崩壊と無関係ではないでしょう。安倍首相をはじめとする一派の言葉の劣化は、「ご飯論法」として定式化されましたが、最近では「ご飯論法」にさえならない問答無用がまかり通っています。それは、アメリカのトランプに共通するもので、というか、まさに時代の劣化ということまでも、日本はまだアメリカの真似をして、追いつこうとしているのです。その政権に目の敵にされることで、朝日新聞などもまた逆の方向でフェイクに走ったと考えられます。もうそろそろそのような劣化を競うようなことはやめにしなければなりません。いや、劣化する連中はもっと劣化して、やがて没落するでしょうから、それに巻き込まれることなく、しっかりと未来に向けて何を築いていくことができるかを考えなければならない時期に来ているということでしょう。ちょうど戦争末期の頃に似ているかもしれません。

 というわけで、今回は雑談的なことで、お茶を濁します。ちなみに、自分のブログを見るということはあまりしなかったのですが、今確認してみると、ある分量に達すると、古い記事は見えなくなり、最近の記事だけが出るようです。たまたま古くからNiftyのアドレスを使っているために、そのサービスのココログというブログを借りているのですが、あまりよくないかもしれません。ちなみに、Niftyはインターネットが普及する前、はじめてパソコン同士で通信できるパソコン通信(パソ通)という手段を広めたという歴史があり、その頃からのユーザーです。まだWindowsもなく、MS-DOSのソフトを苦労しながら使いました。それも1980年代のことでした。そうして考えてみると、近代の消滅とネット文化の形成は深く関わっていそうです。


 

2020年2月 8日 (土)

研究者の就職

 ごく狭い分野しかわかりませんが、今日、研究者の就職はますます厳しくなってきているようです。少子化による大学の縮小化傾向はますます進みつつあります。大学の生き残りを賭けた戦いはますます厳しく、それぞれの大学がいろいろとアピール合戦をしているようです。新学部の新設もそれなりにあり、また、いろいろとプロジェクト型の研究所やセンターを設ける大学も多くあります。そのことによって助成金を導入して、研究を活性化するとともに、若手の就職先を確保する工夫です。方向は二分化して、国際的に先端を行くか、さもなければ地域に密着して住民や地方自治体と協力するか、というどちらかに方向づけていくことが求められます。

 そうした努力は大きな意味を持つことで、どの大学も頑張っていますし、そうした企画の中心になる教員もがんばっていい仕事をしています。大学の教員が自分の研究だけしていればいい時代は終わって、どのように有意義な組織を作り、有能な人材を活用していくかが問われるようになってきました。

 ただ、そうした中にもおのずから格差は生じますし、すべてがうまくいくわけでもないので、やはり厳しい状況は変わりません。全体としてみると、若い研究者の就職状況はやはり厳しいものがあります。ポスドクの就職には政府も力を入れていますが、結局のところ任期付きで、不安定であり、安定した職場を得るのは容易でありません。任期付きのポストを渡り歩いて、最終的に放り出されるのは、きついことです。

 僕の知っている範囲で、非常勤職や任期付きしかなく、職を探している研究者が十人以上います。若い方から、すでに還暦を迎えた方もいます。年を取ると、それだけ職を得にくくなります。著名な業績のある人ならばともかく、そうでなければ、選ぶ方もエスタブリッシュした年配の人よりも、どうしても動かしやすい若い人を選びます。非常勤職だけだと、生活も安定しませんし、家庭を持つことも困難です。

 逆に、シングルマザーで、子育てしながらいい仕事をして本も出し、学会的にも活躍していた若い研究者が、安定した職を得られないために、研究を諦めて、他の職種に転身した例もありました。何とも残念なことですが、それを止めることのできる力もありません。いずれ生活が安定したら、何らかの形で研究に戻ってくださることを願うばかりです。

 明治学院大学事件で辞職せざるを得なくなった寄川さんも大変だろうと思います。中年で仕事を失うと、他の職のように、転職が難しいという難点があります。かつてオウム真理教との関係から日本女子大を辞職した島田裕巳さんは、その後執筆や芝居の脚本を書きまくりましたが、それで生活していくにはかなりの時間がかかったと言います。島田さんの場合も頑張れば職に残れた可能性もありましたが、学生をオウムに勧誘したという風評で、大学の受験者が激減して、追われる形になりました。作家でもある程度ヒットを飛ばしていかないと大変ですが、研究者が著作と講演だけで生活を立てていくのは、まず無理です。テレビにレギュラーで出たりすれば、相乗効果で本も売れて、ある程度の収入が望めますが、それだけタレント化できるのは、研究者と違う才能が必要です。

 大学などの研究者がセクハラで表沙汰になって懲戒処分になるのは相当ひどい場合で、多くはその前の自発的に辞職しますが、その場合もやはりその先は困難です。出版社にほぼ専属のような形で学術書の編集を担当している方もいます。出版社はもともと研究者と持ちつ持たれつの仕事で、職がないときに出版社で糊口をしのぐという例は少なくありません。戦前の話ですが、女性問題で東北帝国大学を辞職した物理学者の石原純や、やはり女性問題で京大に職を得られなかった三木清を救ったのは岩波でした。ただ今日、出版がきわめて不況になり、出版社がどんどんつぶれている状態ですので、これも厳しくなっています。

 最近、島津製作所の田中耕一さん、旭化成の吉野彰さんなど、民間企業からノーベル賞受賞者が出たことは、理系の研究者の幅を広げるという点で大きな意味がありました。文系でも、例えば金融関係の研究部門には大学以上の優れた専門家がいます。ただ、経済学、社会学などの実用的な分野を除くと、やはり厳しくなります。かつては、高校教員も、週1回の研究日が認められるなど、ある程度研究可能で、実際優れた研究者が出ていますが、これも今日では激務となって、困難になっています。

 海外の日本語教師として出ていくという方もいます。これも一時的にはいいのですが、必ずしも条件がいいわけではないので、長期になると厳しいようです。ヘッドハンティングや留学の延長で海外に安定したよい職を得る場合は別ですが、そうでないと、契約の問題などで長期的に海外の職に留まるのはかなり難しいようです。

 かつてインド哲学の大家中村元先生は、友人が職がなく自死したということから、そうならないようにと、就職のない若い研究者のたまり場として東方研究会という組織を立ち上げました。今は、公益財団法人中村元東方研究所となり、その性質上、研究員の採用が厳格化して、就職浪人のたまり場としての役割が減じました。最初の頃は、もう数十年も前ですが、次々と就職浪人を受け入れてくれましたので、僕などもずいぶん助かりました。もちろんそれだけでは生活できませんが、中村先生の下請け仕事を回してもらったり、非常勤職を回してもらうなど、いわば生活互助会的な役割を果たしていました。

 東方研究会のようなことは、確かに世間に名が知られている中村先生だからできたことで、その真似が僕たちにできるわけではありませんし、また、批判もいろいろありましたが、今となって見ると、その志の大きさに圧倒されます。

 ちなみに、東方研究所などは、科学研究費を受けられるという利点もありました。科研はもちろん生活費にはなりませんが、少なくとも研究のための費用に生活費を回さなくてもいいという点で、非常に助かります。非常勤職でも原則として可能ですが、自分で金銭を扱うことができず、研究機関に経理を任せなければならないので、研究機関によっては、非常勤職の場合必ずしも受け入れてもらえない場合もあります。

 そんなわけで、今回は結論らしい結論はありませんし、他人事のような書き方になってしまいましたが、その問題の切実さは身に染みています。確かに状況は決して楽観視できませんが、しかし、それでも新しい試みは不可能ではありません。既存の組織や国の援助待ちでなく、何かできないか、注視しながら考えてみたいと思います。

2020年1月 8日 (水)

プライバシーはどこまで公共化してよいか

 伊藤詩織氏が山口敬之氏を訴えた民事訴訟の地裁判決で伊藤氏の勝訴が大きなニュースとなりました。この事件は、2015年に当時TBSのワシントン支局長であった山口氏に対して伊藤氏が就職の相談をし、会食の後、泥酔して判断力をなくした伊藤氏を、山口氏がホテルに連れ込んで、不同意のままに性行為に及んだというものです。

 この事件は、伊藤氏の告訴によって山口氏の逮捕が決まっていながら、警察上部の判断で逮捕が中止され、不起訴となったのが、同氏が首相と近くその宣伝役を果たしていたことによるのではないか、ということで大きなニュースになりました。それについては、さまざまな報道がなされており、ここで改めて述べる必要もないでしょう。

 ここで問題にしたいのは、性犯罪の場合、それを訴えることにより、本来表に出されない性行為の詳細までもが争われるようになることです。それは女性にとって耐えがたいことで、二重被害、セカンドレイプを蒙ることになります。しかも、今回のように、それが大きなニュースになれば、警察や裁判所の範囲の問題で済まず、密室での行為の一つ一つが不特定多数の徴収や読者に公開されてしまいます。

 さすがに、多くの報道ではその点を抑制していたようですが、山口氏のほうが会見でホテルの室内での伊藤氏の行動を逐一説明しました。被告として自らの立場を守るためということでしょうが、それは、もしどうしても主張しなければならないことだとしても、裁判の場で主張すべきことであり、会見の場で逐一語るべきことではありません。

 争点となったのが、性行為に合意があったかなかったかということで、密室での行動の一つ一つが問題にされてしまいます。しかし、密室で合意があったかどうかは、隠しカメラでもない限り二人だけのことであり、外部から判断しようがなく、水掛け論になるでしょう。そもそも就職の相談に来た異性を泥酔させ、ホテルに連れ込むことが、最初から許されないことであり、パワハラであり、セクハラになります。その中で半睡状態で合意があったかどうかを争うこと自体が、論点がずれてしまいます。もっとも今の法律では、就職活動中はまだ上司・部下の関係ではないから、パワハラにはならないようですが、立場上の関係は明らかです。ホテルに連れ込んだ時点で、どんな言い訳も認められないとすべきです。

 最近では、性犯罪の認定はかなり加害者側に厳しく、密室での合意の有無が争われても、かなり被害者側の言い分が通るようです。状況的によほどおかしいことがない限り、その流れは当然でしょう。ただ、不起訴になる例もしばしばあり、伊藤氏の事件も含めて、その際の理由が明確化されないために、不明瞭なところが少なくありません。逆に、満員電車で冤罪で痴漢とされたとき、それを反証することの難しさが言われています。それに対しては、手を下に下げないなど、疑われないようにするような自衛手段を取ることが必要になります。性犯罪に対しては、厳しく対処する方向を取るべきです。

 ところで、伊藤氏は会見で、山口氏を擁護した小川榮太郎氏の雑誌記事が、伊藤氏の下着の問題に触れたことに関して、「私はやはり女性として、下着を公開したくなかったです。それを公にされた」と訴えています。これは、二次被害の典型的なものです。本来、下着をどうしたかなどということが論点ではないはずです。

 個人のプライバシー、個人情報に関しては、このところ公的機関も報道もかなり慎重になっています。京アニ事件の時も、そのために被害者の名前の公表が遅れました。相模原の障碍者施設の殺人事件でも、被害者の一人の遺族が実名を名乗り出て公表されましたが、他は匿名にされています。国や警察が個人情報を理由に犯罪を隠蔽するようなことがあってはいけませんが、被害者のプライバシーが十分に保護されなければならないということは、絶対の前提でなければなりません。

 自死の場合、どうなのか。西部邁氏の場合、第三者を巻き込んでいたために、大きな問題となりました。最近も元衆議院議員の三宅雪子氏の自死がニュースになっています。私自身、以前自死について関心を持って、いろいろ調べて多少の文章を書いたこともあります。死に至る心の問題はそれはそれで大きな課題ではありますが、その場合でも個人のプライバシーには最低限必要以上には立ち入ることは許されません。遺族のプライバシーが問題になりますが、それと同時に、亡くなった方自身のプライバシーをあからさまにしてはいけません。

 西村玲氏の死をめぐる記事は、その点で私は許されないと考えます。確かに遺族であるご両親はそれを記事にすることを認めています。私も遺族のお気持ちは分かりますし、十分に尊重すべきと思います。しかし、40代の社会人である以上、遺族の判断だけがすべてとは言えないのではないでしょうか。遺族も、死に至る事情はあくまでも自費出版という形で、事情の分かる方にだけ公開しました。それは、決して不特定多数に公にされていいものではありません。

 記事は、三つの点で死者を侮辱するものです。

 第一に、就職がないから、生活の安定を求めて結婚したという筋書きです。それが成り立たないことはすでに書きました。もちろん誰でも生活の安定を求めるということはあるでしょう。けれども、それは結婚する二人の相互の愛情があることを前提として言えることであり、それが愛情よりも優先するはずがありません。

 第二に、氏の自死は結婚した相手に問題があったことが原因で、それははっきりしています。しかし、記事はそれを捻じ曲げて、あたかも就職がないことが原因で自死したかのように読み取れるように書いています。以前引用した田中優子氏のコラムも、「気鋭の研究者が大学に職を得られず自死したことが報道された」と書かれています。これは田中氏の誤解ですが、もとの記事自体がそのように読めるのであり、その点では、田中氏の読みは素直であって、誤解とは言い切れません。

 第三に、確かに彼女の結婚は失敗でした。しかし、それを不特定多数の人に対して公開する意味があるのでしょうか。私はそれは、伊藤詩織氏の言う、女性の下着を公にするのと一緒のように思います。結婚に失敗したかもしれないが、それは彼女の罪ではありません。職を得られないから、相手をよく選ばずに結婚して、それが悲劇を招いた、というような筋書きを描くのは、あまりに彼女を侮辱するものではないでしょうか。

 自ら死を選ぶという究極の選択をした人に対して、あたかもちょうどいい特ダネを見つけたかのように利用するということは、私は絶対に許せません。死者に対しては、まずつつしみをもって向かわなければならず、そのプライバシーを可能な限り尊重しなければなりません。また、生者であれ、死者であれ、結婚ということはきわめて微妙な問題を含むものであり、それに立ち入って第三者が、あたかも自分はその事情が分かっているかのように語り、ましてそれを事実のように報道するのは、とんでもないことです。

 もちろんこれは私の意見です。記事を書いたK記者には、K記者としての言い分があるでしょう。それをきちんと聞かせていただきたいと思っています。

2019年12月 8日 (日)

学問の自由は成り立つか

 前々回の「研究現場は今」では、『毎日新聞』の記事を手掛かりに若手研究者の状況に触れましたが、最後に、記事の中の「「常勤のポストを得てもバラ色の未来が待っているわけではない」」という箇所を引いて、そのままになっていました。今、大学という場がどうなのか、それについて少し考えてみましょう。

 以前書いたように、明治学院大学事件というのがあり、私も一応支援者として名を連ねました。ただ、事件そのものを必ずしも十分に把握していたわけではありませんし、直ちに当事者の寄川条路さんの立場を全面的に支持するというわけではありません。けれども、大学の解雇権の乱用は論外ですし、大学における研究のあり方を考えていく手掛かりとしたいという思いもありまして、寄川さんから求められたとき、支援者として名を連ねました。それに対して十分に考えがまとまっているわけではありませんが、現段階の途中報告というところで、少し書いてみます。

 まず、明治学院事件についてですが、HPに概要が記されています。

https://sites.google.com/view/meiji-gakuin-university-jiken/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0

 私は必ずしも経緯をきちんと把握しているわけではないので、詳しくは、上記HP、並びに寄川氏が編集して出版している2冊の冊子をご覧ください。

  『大学における〈学問・教育・表現の自由〉を問う』(法律文化社、2018

  『大学の危機と学問の自由』(同、2019

 要するに、明治学院大学教養教育センター教授の寄川氏の授業を、無断で職員が録音し、大学を批判し、大学の基本方針であるキリスト教を批判したという理由で、氏を解雇したという事件です。それに対して、寄川氏は裁判に訴え、第1審の東京地方裁判所では、氏の解雇を無効として地位を確認したが、慰謝料の請求は認めませんでした。そこで双方が控訴し、東京高裁で審議中、2019年11月に和解が成立したということです。和解条件は、大学側が無断録音を謝罪するとともに、寄川氏は解決金をもらって退職するということだと言います。寄川氏としては、こうした和解での解決は必ずしも本意でなかったようですが、そのあたりの事情はまだ十分に公開されていません。

 ここでは、上記の2冊の本を基本テキストとしますが、それらを読んでやや違和感を感ずるのは、今日、「学問の自由」ということを正面に据えることが一体どうなのか、ということです。こういう言い方はやや誤解を招くので注意が必要ですが、ある意味では、今回の問題は「学問の自由」以前の問題であり、ある意味では「学問の自由」以後ではないか、ということです。「以前」というのは、そもそも労働者の解雇を雇用主側が勝手になしうるか、という問題です。「以後」というのは、近代的な価値観が崩壊している今日、近代的な「学問の自由」を旗頭にできるか、という問題です。

 第一の「学問の自由」以前という点ですが、ここでの問題は雇用と解雇という雇用者と被雇用者の問題の特殊例であって、「学問の自由」というのはその一部をなすものの、それが争いの正面に出る問題なのかどうか、ということです。そもそも雇用者が勝手に被雇用者を解雇できないのは当然であり、解雇するには正当な理由がなければなりません。もちろん原告側の情報だけで判断できませんが、この事件の解雇は、どう考えても無理であろうと思います。そのことは一審の判決でも明らかですし、二審の途中で和解した際の条件も、大学側が謝罪し、教授側は自主退職になりますので、形の上では大学のほうの落ち度が大きいことになります。

 その中に、確かに研究・授業の自由ということは含まれるにしても、ここでの中心となる問題は、より一般的に被雇用者の地位の問題として捉えられるのではないかと思います。つまり、研究者でなくても、被雇用者が雇用者に都合の悪い言動を行なった時に、勝手にその権利を侵害して、解雇できるか、という問題です。

 この点は、かつては労働組合の力が強く、被雇用者の権利は雇用者と組合との交渉によって決められていたのが、今日では組合の力が弱体化して、組合の力で被雇用者の立場が保護されないようになりつつあるという問題があります。教職に関して言えば、かつて自民党などから目の敵にされた日教組(日本教職員組合)というのが大きな力を持っていました。私が大学の助手をしていた1980年前後頃は、衰えたと言ってもまだ組合がそれなりの力を持っていて、私も組合に入って、かなり高い組合費を払っていました。私が先の就職なしに助手を退職することになった時も、組合で地位保全の交渉をしてくれるということでしたが、私自身激務に耐えかねて自分から退職を望んだこともあって、それは断りました。ただ、そのように応援してくれる味方がいてくれることは心強いことでした。

 今日、日教組は総崩れ状態で、ほとんど力がありません。また、私立大学で経営側の力が強いところでは、そもそもはじめから組合を認めないところも多く、たぶん明治学院大学もそうであろうと思います。逆に今でも組合が力を持っている私立大学もあります。イデオロギー的な問題はさておき、少なくとも自分たちの雇用条件を向上させるために、組合は必要だと私は考えます。日教組の場合、小学校から大学まで含むので、広い範囲の教職員の交流という意味も大きかったと思います。そうした組合がない中で、今日、被雇用者である教員はどうしたら自分たちの雇用条件を守れるのか、これは大きな問題です。

 多くの国立大学や被雇用者の教員の力の強い私立大学では、教授会が自分たちの権利を守る砦としてある程度の役割を果たします。それに対して、経営側の力の強い大学では、教授会はほとんど力を発揮できません。明治学院大学でも、教授会はむしろ大学側に立って、寄川氏を非難する側に立ったようです。今日、国立大学も、国や経済界の意向に従って、次第にトップダウン方式に向かい、教授会の力を弱める方向に動いています。

 「学問の自由」以前というのは、こういう状況の中で、大学教員だけ特別の「学問の自由」という理念を旗頭にするよりも、もう少し大きく、戦後の労働運動の崩壊の中で、被雇用者の権利をどのような形で主張できるか、というところから考えるべきではないかということです。「働き方改革」の名の下で、注目されるようになった裁量労働制が、すでに大学教員においては採用されていることはあまり知られていません。国立大学の場合、大学が法人化した段階で、多くの大学では裁量労働制を採用しています。裁量労働制のものとでは、一応形式として、労働者側の代表が経営側と毎年交渉して労働条件を承認することになっています。それがある意味では労働組合に代わるものです。しかし、はたして大学教員が裁量労働制に当てはまるものか、また、毎年の交渉が単なる儀式以上の機能を有しているかは疑問です。

 「学問の自由」以後というのは、そもそも近代の「学問の自由」という理念が今日通用するのか、という問題です。とりわけ西欧においては、「学問の自由」は市民社会の確立の中で、大学が闘って勝ち取った権利であったのに対して、日本でははじめから大学は国家のものであり、その枠の中でひ弱な「自由」を与えられてきただけではなかったか、という疑問です。それが今日、ますます大学は国や経済界の意向で左右されるようになっていく中で、もはや「学問の自由」を正面から言える段階ではないのではないか、ということです。隣の中国などではもっと厳しい状況に置かれています。

 これは大学という場の中だけの問題ではありません。先日の名古屋の「表現の不自由展」で、はからずも文字通り表現がいかに「不自由」であるかが如実に示されたように、「表現の自由」や「学問の自由」が社会的に確実に支持されているわけではありません。逆に、「学問の自由」が言えるのであれば、大学における軍事研究だって自由ではないか、という議論も可能です。あるいは、ヘイトスピーチだって表現の自由ではないか、という主張も実際になされています。抽象的に「学問の自由」「表現の自由」を謳い文句にすることでは何にもならない状況に今私たちはいるのではないでしょうか。「表現の自由」「学問の自由」は、もっと大きな社会国家、ひいては世界のシステムの中ではじめて考えられる問題ではないでしょうか。

2019年11月 4日 (月)

なぜフェイク記事が書かれたのか?

 このブログは、西村玲氏に関するあまりにひどいフェイク記事が掲載され、それが大きな反響を呼んで誤解が広まったことから、それを反省し、その問題点を考えていくということから出発しました。その記事は下記のものです。

  https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html

 これまで、フェイク記事であるということを前提として話を進めてきましたが、それがどうしてできたのか、なぜフェイクなのか、という具体的なことには十分に立ち入ってきませんでした。記事が出たすぐ後に書いたブログの文章「小宮山記者の記事に対する私見」(2019.4.19)には問題点を指摘しましたが、私自身が混乱していて、十分に整理された文章ではありません。そのため、かえって誤解を招いたところもあったかと思います。今後、少しずつ記事を検証していきたいと思いますが、まず今回は、どうしてこのような記事が書かれることになったか、そのいきさつを書いておきます。なお、西村氏のこと、また氏と私とのかかわりについては、別に書きます。

 西村玲氏は、2016年2月2日に逝去されました。自死であることは、一部の親しい方の間には知らされましたが、それ以外には伏せられました。ご両親による四十九日の挨拶状は、後述の『遺稿拾遺』にも掲載されていますが、そこには、「娘 玲は、旧年十二月中旬より体調を崩しておりましたが、本年二月二日に急逝致しました」と記されています。うつ病でした。

 その後、遺稿となった論文を集めた『近世仏教論』が2018年2月に法藏館から出版されました。これは主として友人たちの手により編集されたもので、私もお手伝いしました。その際、学術的な論文集の為に、重複するものや、エッセー的なものは入れず、厳選しました。なお、その出版費用の一部は、友人たちが結成した「西村玲氏論文集刊行委員会」で募金し、それに多くの方が賛同して、ご寄付くださいました。その時に、氏のお父様から、そこに入らないものを別の形で出せないか、という相談を受け、自費出版という形がよいのではないか、という意見を述べました。

 その後、その本はご両親の編集で『西村玲遺稿拾遺』として2019年1月29日付で私家版として出版されました。これは、外に発表した文章だけでなく、手紙や日記類、そして写真や年譜をも含め、本当にご両親の愛情のこもった素晴らしい編集の本です。ご両親ともに編集者でしたので、その力のすべてを出し切ったように思います。この本をどの範囲の方にお送りしたかは存じませんが、論文集出版の際にご寄付くださった方にはすべて配布されたようです。

 この『遺稿拾遺』の中で、初めてご両親は玲氏が自死であったことを明らかにして、彼女の最後の頃の日記をも併せて収録しています。このようなわけで、『遺稿拾遺』はあくまでも関係者の間だけに配布されたものでしたが、それが広く伝わったのは、同書を受け取られた方の一人M氏がツイッターで書いたことによります。それがどの範囲に広まったかは、私はきちんとフォローしていないので分かりませんが、かなり広くリツイートされたようです。M氏が最後の日記の箇所の本文写真も掲載したために、衝撃を受けた方が多くいたようです(この本文写真はその後削除されました)。朝日新聞のK記者もそのツイート、あるいはリツイートによって知ったようです。

 M氏のツイート/リツイートを知って、西村氏の友人たちはそれが広まることを懸念しました。私はそのことを彼女の友人の一人からメールで知らされ、どうしたらよいかと相談を受けました。彼女の非常にプライベートな心情が、事情を知らない不特定多数の人たちの間に流され、話題とされるのは、彼女にとってあまりに残酷すぎます。また、自死の原因となった結婚・離婚の事情まで明らかにされるのは、その相手の方のプライバシーにも関わります。私もまたそれが広まることを心配しましたが、結局、そのまま放置して、自然に収まるのを待つことにしました。すでに広まってしまったことを止めることは難しいし、それに対する意見を発信しても、かえって炎上するような事態になれば、逆効果と考えました。

 今になって見ると、その判断は間違っていたかもしれません。何らかのメッセージをきちんと発信しておくべきだったかもしれません。ツイッターのアカウントは持っていますが、ふだんあまり見ることもありませんし、まして発信することはほとんどありませんでしたので、このようなSNSでの発信の使い方や広まり方に関する知識が乏しく、的確な判断が下せなかったことは、深く反省しています。それを新聞記者が見て、記事にするということは、まったく想定していませんでした。今日、政治の世界でもツイッターが有力な発信源とされていることを考えると、それを軽視したのは、甘すぎました。

 M氏のツイートは、必ずしも就職ができないことと自死とを直接結びつけたわけではありません。どうして、新聞記事ではそのような結びつきになったのでしょうか。おそらくその根拠となりうるのは、ただ一か所だけ、最後の日記の中の15年11月6日に「大学に職がなく、安定を求めて結婚したら、相手が統合失調症で、自分が病気になりかけて、離婚を決めたけれど、応じてくれない。安定に目がくらんだことを認めつつ、認められない」(『遺稿拾遺』324頁)とある箇所だけだろうと思います。その頁がM氏のツイートに写真で出ていたために、学術問題を担当して、研究者の就職問題を追っていたK記者の目に留まったものと思います。

 『遺稿拾遺』をすべて読めば明らかですが、就職問題と結婚・離婚を結び付けて書いているのは、この箇所だけです。この頃の彼女は結婚の失敗で非常に追い込まれて、自分の人生はすべて失敗で、それは自分の責任だと、自分を責めていました。10月に数人の人に結婚の破綻を知らせる私信を出していますが(そのことは、渡邊寶陽先生宛FAX、170頁に出ています)、それを受け取った時に、いちばん心配だったことはその強度な自責でした。それはうつ病の一つの兆候なのでしょう。そこから、日記のような書き方になったのでしょう。『遺稿拾遺』全体を通して読めば、ここの書き方に違和感を持つはずです。

 もちろん誰でも結婚には経済的な裏付けを考えるでしょう。それが悪いわけではありません。「もう年だから、そろそろ結婚して、生活を安定させなければ」という意識や焦りは誰にもあることです。それは彼女にもあったでしょう。それは事実だったと思います。しかし、結婚の時に経済的安定だけを最優先に考えるというドライな割り切りをする人は、非常に特殊でしょう。彼女がそのように打算的な性格だったとは、おそらく彼女を知っている人は誰も認めないでしょう。

 彼女は結婚の際に非常に慎重でした。知り合って半年ほど交際し、それから入籍しても直ちには同居せず、半年ほどは遠距離で行き来して、それで大丈夫と判断してから、同居に踏み切っています。それだけの慎重な手順を踏みながら、相手の病気が見抜けなかったのは、彼女の責任ではありません。相手の男性も薬をきちんと服用していれば、平常の生活が保てたようです。ただ、同居後、(医師でありながら、あるいは医師であるから自己過信したためか)薬の服用を自分の判断でやめたために、病状がひどくなったということのようです。ですから、「職がないから、焦って結婚して失敗した」などという短絡的な因果関係のストーリーが成り立つわけもありません。

 記事を細かく検討するのは、今後順次行っていきたいと思いますが、この記事は、研究職がないということを前面に出し、彼女の自死はそれが原因だという誤解を生じさせるような書き方を、意図的にしています。それは明らかにフェイクです。なぜそのようなフェイク記事が書かれたのか、そして、どうして多くの読者がそのフェイクに騙されて、信じ込んでしまったのか、それは今後検証していきたいと思います。

 今日、SNSを使っての発信や、それに伴いフェイクニュースが人々を動かすということが大きな問題となっています。小さな事例かもしれませんが、現代という時代の特徴をよく表わすような事象と言えるかもしれません。

2019年10月 6日 (日)

研究現場は今

 いろいろな方に関心を持っていただき、コメントを頂いて、有難うございます。若手研究者の現状をめぐっての関心が高いことがよく分かります。これは本当に切実な問題です。これについては、毎日新聞京都版が「研究現場は今」という精力的な連載をしています。地方版なので、目に触れることが少ないかもしれませんが、ネットに掲載されています。

https://mainichi.jp/ch190638893i/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%AF%E4%BB%8A

 ただ、有料記事で、冒頭部分しか無料で読めないのが残念です。無料化していただきたいものです。私はずっと毎日新聞を取っています。マイナーでいつも経営危機に瀕しながら何とかがんばっているところが、応援したくなります。

 それはともかく、10月1日の第6回「研究と収入、両立で葛藤 文系、常勤ポストでも見通せぬ未来」という記事は、博士問題を要領よく正確にまとめていて、首肯されるところが少なくありません。担当記者は菅沼舞氏です。目に触れにくい記事ですので、以下に(前後したり、省略しながら)引用しながら、コメントを付していきます。

 この記事では、次のような方が例として挙げられています。

《文系の分野で今年3月に博士号を取得し大学院を修了した男性(33)は、府内の大学で非常勤講師として週に数コマの授業を受け持ちながら、アルバイトも掛け持ちして研究を続けている。妻(35)も研究者を目指して関東の大学院に籍を置いているが、幼い子がいるため、一家は今、京都で生活している。》

《博士号取得後、家族のためにも収入を安定させようと、給料と研究費が得られる学術振興会の研究員(博士)に応募したが、2年連続で逃した。非常勤講師の収入は週3~4コマを担当して月8万~10万円。これだけでは親子3人の生活をまかなうのは不可能で、男性は現役で働く両親から毎月30万円の仕送りを受けている。》

 学振(PD)は、確かに3年という期限はありますが、その間に自由に研究ができるので、もらえるのともらえないのでは大違いです。もらえない場合は実際厳しい状況になります。この方の場合、非常勤が週3~4コマということですが、通常はそれほど実家からの仕送りが望めないので、非常勤をもっと増やすか、それ以外のアルバイトをすることになります。私も就職浪人中は非常勤をかき集め、多い時は週6コマ、それに市民講座的なものを1コマ持っていました。だいたい1コマ2万円台前半くらいで、その頃から今も大きくは変わらないと思います。ただ、非常勤の場合、同じ大学ならばよいのですが、1コマずつ別の大学を駆け回ることになると、疲れます。中には片道2時間もかけて、1コマだけ非常勤に行くという方もいます。非常勤講師は、研究・教育の仕事を継続していることの証明になりますので、どうしても必要です。

 この方の場合は、妻が離れたところの大学院に所属しているので、不在の間の育児や家事があるので、外での仕事を増やせないのでしょう。同じような状況の方の場合、模試の採点、出版社の編集の補助、企業の書類の翻訳、ネット関係の仕事など、家でできるアルバイトをすることが少なくありません。科研などのデータ入力やその処理などは、研究にも関わるもので、研究室の教員や先輩から回してもらえることが少なくありません。

《妻とは互いが大学院生だった時に結婚した。双方とも学術振興会の研究員として収入があったので決断できたが、非常勤で研究を続けている周りの先輩たちは結婚する余裕すらなかった。》

 生活が安定しない若手研究者の場合、結婚は大問題です。私自身もそれで苦労しましたし、周囲の若い研究者も独身の方が少なくありません。どうしても狭い範囲の生活なので、研究者同士の結婚が多くなります。結婚しても、夫婦別居はふつうですし、子供を作れない場合も少なくありません。この方の場合も、妻は関東の大学院に在籍ということですので、旅費もかかるでしょうし、授業料も必要でしょうから、金銭的な負担も多くなります。専任職をもっても、夫婦で全く離れた地方の大学に就職する場合も少なくありません。アメリカの方ですが、東海岸と西海岸に別居で、飛行機で4時間という方もいました。

 小さな子供がいる場合、研究の継続は本当に大変です。夫婦のうち、どちらかは研究をあきらめざるを得ない場合が少なくありません。そこで、学振の特別研究員の中に、RPDというのが設けられています。これは、出産・育児で研究を中断せざるを得なかった場合に、その後研究を再開するのを援助するものです。制度としては、男女を問わないはずですが、現実問題として、多く女性のほうに負担がかかり、この制度は実際には女性が活用する場合が多いようです。その点では明らかに性差別的ですが、中には妻のほうが研究能力が高く、夫のほうがサポートに回る例もあります。そのあたりは、夫婦で話し合っていく他ありません。

 もちろんそのような制度があっても、それだけでうまくいくというわけにはいきません。いちばん成果をあげられる時期に研究を中断せざるを得ないマイナスは後まで響きます。子供が大きくなって、手がかからなくなると、今度は教育費などの金銭的な負担が増します。そうなると、不安定な非常勤職だけではとてもやっていけません。常勤職が得られないで、研究をあきらめて他の職に就いた方も少なからず知っています。

《常勤職に就けば安定した収入が見込めるが、大学や研究機関の常勤ポストを得るには業績を積む必要がある。だが、非常勤講師という身分で研究を続け業績を出すのは簡単ではない。研究室を持つこともできず、資料を借りるのも一苦労だ。授業の準備もあり、家族を養うためにコマ数を増やすと研究時間が減る。》

 常勤ポストへの就職に業績が必要ということは確かです。博士論文は公開することが原則になっています。そのままネット公開ということもありますが、業績として認められやすいのは、それに手を加えて単行本として出版することです。以前はそれほどでもなかったのですが、最近では立派な研究書を出す若手が多くなり、公募の場合その方が高く評価されます。そこで、博士号取得後の最大の仕事は、博論の部分を学会などで発表して、その成果をアピールするするとともに、他の研究者の批判を受けながら、博論に手を入れてその出版の準備をすることが中心になります。その際に、学振(PD)をもらえると確かに有利です。

 この方の場合、非常勤が3~4コマだということですので、遠距離でなければ週2日にまとめられます。授業の準備は、最初の1,2年は慣れないので確かに大変です。ただ、その後はそれを改良していけばよいので、負担は減っていきます。ですから、育児などの家庭生活の負担を除けば、研究時間が取れないというほどでもないように思います。

 この方の場合、「資料を借りるのも一苦労」というのは、もとの大学を完全に離れてしまっているようですが、学振(PD)が受けられなくとも、多くの場合は、研究の継続のために、博士課程を在籍した大学、あるいはその他のところで何らかの形でポスドク研究員の資格を得ることがなされます。今日、多くの大学では、ポスドク対応のため、報酬は少なくても何らかのポストを作って、研究の便宜を図っています。ですから、なるべくそのような形で、大学や研究機関に繋がっていることは必要です。そうすれば、図書館を利用して資料を借りたり、新しい情報を得る便宜が図られます。

 じつは、研究の継続の困難は、時間の問題よりも、孤立してしまうことで、研究へのモチベーションが下がってしまうことが大きな原因となります。できるだけ博士課程の時に在籍した大学の研究室なり、他の研究機関なりとの関係を持ち続けることが必要です。そうすれば、先輩や同輩との研究会などで、刺激を受け、研究意欲が高まります。この方の場合、それにどう対処しているのか分かりませんが、研究時間が減るからというので、自分だけの世界に閉じこもるのは危険です。逆に積極的に研究者間の交流の中に飛び込むほうが、最新の研究情報も得られますし、いいヒントも得られますので、かえっていい論文が書けるようになります。

《運良く常勤職を得られても、今度は事務作業や学生の指導、学内のもろもろの用事に追われ、研究に割ける時間が十分に確保できない恐れがある。「常勤のポストを得てもバラ色の未来が待っているわけではない」。》

 これも大きな問題ですが、少し長くなりましたので、次に回します。

 

2019年9月12日 (木)

ポスト真実時代にどう立ち向かうか

 前回のエッセーで明らかにしたように、このブログで追究しようということは、N氏をめぐる朝日新聞の一つの記事を分析したいということであり、それとともに、現代の学問・報道、広く言えば「知」の構造がどのような状況にあり、それにどのように立ち向かうことができるか、という問題です。たった一つの記事で、それほど大きな問題に展開しうるのか、という疑問はあるかもしれません。けれども、今日の大きな問題にいきなり取り組もうとしても、問題が大きすぎて、それだけの装備をしていなければ、弾き飛ばされてしまうだけでしょう。一見小さな問題をしっかり考えていくことが、大きな問題を解く鍵となっていくのではないでしょうか。

 今日、ポスト真実と言われる時代を迎え、学問も報道も大きな危機状況にあります。ポスト真実時代は、トランプ政権の誕生とともに、大きくクローズアップされることになりました。2017年のことです。その前年、イギリスではEU離脱が国民投票で決められました。日本で森友学園問題が大きな話題となったのも2017年です。

 ポスト真実というのは、簡単に言ってしまえば、一義的な「真実」などというものはなく、正義は勝者が決めるという考え方です。それまで何らかの形で「真実」というものが一義的に決められ、それが正否を糺す鏡となって、紆余曲折があったとしても、最終的には、真実が勝つ、ということが、一応の共通理解でした。そこには、(1)「真実」は一義的に確定できるということ、(2)それが同時に倫理的な規範となり、最終的に勝利するということ、の二つが含意されています。このような古典的真実主義が必ずしも素朴に額面どおり信じられていたわけではありませんし、政治の世界では「勝てば官軍」で、虚偽が勝利してきたことも事実です。けれども、理念としては、それは「真実」に反することで、倫理的にも正当化されない、と考えられてきました。それは、いわばニュートン的な古典物理学の世界と類比的と言ってもよいでしょう。ニュートン的世界では、物質の運動は厳密に計算され、一義的に決定するとされます。

 一義的な真実の時代は、長い戦いを経て達成されました。それが輝かしい「近代」という時代です。アメリカの独立、フランス革命を経て、自由・平等な個人の権利、即ち「人権」の観念が確立し、一義的な正しさの基準となります。それは、科学が宗教の支配を脱して、唯一の「真実」を明らかにできるという信念と相補的です。真実も正義も一義的に決まります。民主制はその基準から必然的に出てくるものです。それが人類全体に普及することが、社会進化の究極的な目標として設定されます。一見、マルクス主義はそれに反するかのように見られますが、あくまでも科学的社会主義を標榜している点で、近代の価値観を共有しています。

 その近代の価値観が崩れ出すのは、おそらくは20世紀の終わり、1990年代からでしょう。冷戦構造は戦争の危機を孕みつつも、近代的価値観に基づいて、構造自体は分かりやすいものでした。そこでは、唯一の真理がどちら側にあるかは不明ですが、二者択一で、どちらかに必ず真実と正義があるということを前提とすることができました。その構造が崩れることで、近代的な唯一の真理と正義という前提も崩壊しました。ポスト近代時代への突入です。ポスト近代ということは、それ以前から言われてきたことですが、それが狭い思想界の問題ではなく、社会全体に波及することになったのです。古典的物理学から、相対論的、量子論的物理学への転換とも関連するでしょう。

 ポスト近代思想の一つとして、言語論的転回ということが言われました。真実は外側に唯一のものとして確定されるのではなく、言語空間に内在する流動的なものだということです。そこから、歴史物語論ということが主張されました。唯一の真実がないならば、歴史というのは、いかにして物語として語られるか、という問題に帰着するという主張です。それは特に、従軍慰安婦問題をめぐって論じられました。いわゆる歴史修正主義問題です。唯一の真実がないのならば、従軍慰安婦問題を否定するのも一つの物語の作り方ということになります。

 こうした過去の経緯を経て、ポスト真実時代に入りました。そこでは、まさしく言語論的転回以後として、そもそも一義的な真実などはない、ということが前提とされ、それが現実の政治の中核に躍り出ます。最終的に真実を決めるのは、政治的な勝者となります。今のところ、ポスト民主主義にまでは至っておらず、むしろ民主主義の徹底としてのポピュリズムが最終的な判断基準となります。選挙なり国民投票で勝ったものが、すべてを決める権利を有するということです。そうであれば、如何に巧みに人の心をつかみ、勝者となることができるか、ということが問題であり、言論はそのための手段となります。即ち、それは論理よりも修辞(レトリック)の問題となります。正義もまた一義的に決められず、最終的に勝者がその基準となります。一義的に決まらない、というよりもむしろ、最終的な勝者が一義的な真実や正義を決める、と言ってよいかもしれません。政治の力が極めて強くなり、それが学術や報道という「知」の領域をも侵犯します。

 フェイクニュースということが、大きくクローズアップされたのも、まさしくポスト真実時代の特徴です。もちろん古くからフェイクということはありました。しかし、それは唯一の真実に背くものであって、本来あってはならない悪と考えられてきました。場合によっては、それが戦術として使われ、必要悪と見なされることもありました。ところが、ポスト真実時代にあっては、フェイクは特にとがめだてをされるものではなくなりました。というか、フェイクということが、唯一の真実に背くということではなく、修辞的に相手を攻撃するための用語となりました。トランプがあらゆる手段を使って偽情報を流布させながら、「新聞はすべてフェイクだ」として、攻撃手段としました。

 その中で、ポスト真実時代の特徴は、それがSNSによる新しい情報伝達と深く関係していることです。トランプは、記者会見よりもTwitterでの発信を重視しました。日本でもYouTuberから支持を広げたN国の立花孝志のように、まったく従来の政治家から考えたらとても政治家とは言えないような人間が国会議員になるという事態にまで至っています。新しいネットによる情報発信は、まったく従来の常識を覆してしまいます。従来型の政治家は、そこまで行ってはいませんが、現在の安倍政権がネトウヨと言われる人たちによって強く支持されていることはよく知られています。

 ネットによる発信は、従来型の意見表明とは全く異なる性格のものです。Twitterでの発信は字数を制限されるため、じっくり考え、十分な論証をすることができません。短い言葉で、いかに強い印象を与えるか、ということが勝負どころとなります。そのために、しばしば指摘されるのは、極端化しやすく、理性よりも感情に訴えるようになり、敵対的な態度を取りがちです。また、いつでも取り下げられるために、言葉が軽く、無責任になります。炎上のように、集中砲火によって相手をつぶすこともなされます。瞬間的、刹那的で、その場限りの効果を狙うことになります。

 今日、新聞や雑誌という古典的メディアは総崩れ状態です。とりわけ新聞は、かつてのように、「真実」を振りかざして権力に挑む、という構図が成り立たなくなりました。それでは今日、このようなポスト真実の時代に、どのように立ち向かうことができるのでしょうか。まず確認しておきたいのは、今日、古典的な意味の「真実」が全く無意味になったわけではない、ということです。それは、相対性論・量子論が出たからと言って、古典物理学が否定されるわけではないのと同様です。「真実」や「正義」にしても、ある意味では古典的な議論が成り立たないわけではありません。しかし、それを万能として、ポスト真実を打ち倒す、という単純な議論は成り立ちません。ポスト真実側が、それを認めなければ、それ以上押していくことはできなくなります。

 それでは、どうしたらよいのか。それはSNS的な言論と正反対のことをすることです。その場限りの瞬間だけの軽い言説に対して、時間の中で熟させるという手間暇をかけるということです。どんどん問題を移っていくのではなく、一つの問題にじっくりと時間をかけて取り組むという反時代性を徹底することです。それによって、瞬間的に消えてしまう言説ではなく、歴史の中に根差した重さを獲得することができるのではないでしょうか。少なくとも私としては、そのように、時間の中で成熟し、立ち上がってくるものに立脚したいと思うのです。

 ところで、問題がなんだか大きくなってしまいましたが、最初に問題にした新聞記事を考えるのに、どうしてそんな回りくどいことが必要なのか、と問われるかもしれません。しかし、その記事はもともとTwitterから情報を得て出発してものであり、感情に訴え、「真実」を拠り所としない、意図的なフェイク記事という点で、きわめて現代的、ポスト真実的な報道になっているように思います。それをじっくり考えてみるのは、決して無意味なことではありません。

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